From: "辺野古命を守る会" <henoko@f5.dion.ne.jp>
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Date: Wed, 10 Nov 2004 19:06:27 +0900
Subject: [keystone 9823] 阻止行動日誌205日目。富田晋。
X-BeenThere: keystone@list.jca.apc.org
11月9日(火)
・防衛施設局による潜水調査及び磁器探査は行なわれていない。那覇市長選挙とも重
なり、自粛しているもようです。ただ、漁港からダイバーを乗せた大型船2隻に小型
船2隻が出港しています。作業台船が中城湾から沖合い500メートルに停泊してい
ます。悪魔で憶測ですが、沖合いに作業台船を泊めるためのアンカーを降ろす位置を
確認するためなのかもしれません。
私用で東京に行き、5日間ほど現場を離れていました。日誌が更新されていなかった
ことをお詫びします。
これまでの9月9日以降の状況をまとめて書きたいと考えます。
防衛施設局は144日間に渡って座り込みが行なわれボーリング調査を阻止されてい
る現実に追い込まれ9月9日、ついに強行的に調査を開始しました。しかし、この調
査強行はアリバイ的なものでした。那覇より南部に位置する「佐敷町」の馬天港から
調査船2隻を出港させ、辺野古まで3時間以上もかけて到着し、ポイントブイを5つ
逃げ回りながら落としただけです。
漁港内において防衛施設局は「資材置き場」を建設する予定でした。私達は陸上でそ
れを阻止するために座り込みを県内外の600人の人々で埋め尽くし機動隊の導入に
備えていました。しかし、防衛施設局は600名もの人達による阻止線と80%の県
民の基地建設反対の意思によって陸上に機動隊を入れることさえ出来ず、防衛施設局
による陸上での資材置き場建設は阻止されました。
9月9日から私達は海上に阻止船とカヌー隊を出して調査への阻止行動を開始。
那覇から来た「未来」「ゆいまーる」という名前の作業船2隻がポイントブイを落と
すという作業をし、他の大型船4隻は「ダミー」として阻止船を撹乱しました。さら
に海上保安庁も作業船から目を離させるために警備を他の船につけて撹乱。5つのポ
イントブイを投げ込んで那覇へと帰って行きました。前文で述べたとおりアリバイ的
な調査といわざるを得ない調査でした。
それから毎日阻止行動は続けられてきました。
[阻止行動の展開。]
・9月9日から調査船は2週間に渡りポイントブイを落とす作業に入り、阻止船とカ
ヌー隊がリーフ内外で止めに入る。この結果、防衛施設局は63ポイントの内の50
ポイントでのポイントブイを落とす作業にとどまりました。
・9月の末から防衛施設局は調査船にダイバーを乗り込ませ潜水調査に入る。
9月24日までに終わらせるはずだった潜水調査は11月に入っても続けられていま
した。このことについて那覇防衛施設西局長は「阻止行動によって作業が遅れてい
る」ことを9月28日の定期記者懇談会で認めました。実質、防衛施設局の敗北宣言
と受け取っていい内容であり、防衛施設局のボーリング調査が私達の阻止行動によっ
て追い込まれている現実を露呈しました。
・防衛施設局は10月の半ば「潜水調査」が終わらないため、後に続く「磁器探査」
を潜水調査と同時並行という形をとるようになります。
10月の半ばから外洋で「磁器探査」に入っていることを確認しています。
私達の阻止行動はダイバーが入るようになってから海中での闘いも伴うようになりま
す。海上で調査船へ阻止船とカヌー隊が阻止の線を作り出しとめに入り、阻止線を突
破された場合は海中での阻止行動となります。
陸上での座り込み、シュワブゲート前での阻止線、監視行動、海上での阻止線、海底
での座り込み。闘いは継続され展開され前進し続けられてきました。
10月28日の防衛施設局による定期記者懇談会では「36ポイントでの潜水調査が
終了」と発表。しかし、海底で行なわれている調査は見ても分かるぐらいにずさんな
ものです。「調査を終わらせた」という既成事実のためだけの調査が横行していまし
た。ダイバー達は仕事をしていましたが、防衛施設局の調査が阻止行動によって阻止
され、そのようなでたらめのものになっているということは認めない発表でした。
・11月1日からリーフの中でも「磁器探査」に入るようになります。
磁器探査は潜水夫が潜り1m50cmほどの筒状の機器を海底に降ろし、その機器を
持って360度回転しながら調査を行ない、最後に写真を撮って終了というもの。
毎日多くのダイバー達の手を借り止めに入りました。リーフ内は少なくとも10ポイ
ント以上を私達が阻止し続けています。
・11月8日には中城湾港に接岸しているボーリング調査のための作業台船が接岸許
可の期間を終えています。
つぎはぎ調査になっているにも関わらず、防衛施設局は明日にでも作業台船を動かし
ボーリング調査にはいろうとしています。私達はそれを絶対に止めます。
・・この間に二人の官僚が辺野古の視察に訪れています。
一人は環境大臣、沖縄担当大臣小池大臣が10月の初旬、キャンプシュワブ内から辺
野古の海の視察に訪れていました。小泉首相は海を守る仕事と海を埋め立てる仕事を
一人の人間に委ねたのです。小池大臣は沖国大のヘリ墜落現場も普天間基地も泡瀬干
潟埋め立て工事も辺野古の新基地建設視察も全てたったの「15分」ほどで切り上げ
ました。
沖縄国際大学のへり墜落現場で「普天間基地を返還して」「辺野古に移設しても何の
解決にもなりません」といったプラカードを持つ学生達に何のリアクションもありま
せんでした。
泡瀬干潟においても埋め立て工事をしている業者から説明を受けました。たったの
「15分」で。泡瀬に住む人達の声さえも聞かずに。
辺野古においてもキャンプシュワブの中から防衛施設局員の説明を聞き、私達が海上
から阻止船とカヌー隊で「お願いです。基地を作らないで」「この美しい海を見てく
ださい」「ジュゴンがすんでいます。」と訴えても耳を傾けませんでした。
国民の代表者という決定力があり、国民の声を一番に聞かなければいけない人が海上
まで来て訴えた人の声を無視しました。
もう一人は町村外務大臣。10月16日。
外務大臣は沖縄国際大学のヘリ墜落事件に対して「操縦士はいい働きをした。被害は
最小限にとどまった。」というような発言をしてとても批判を浴びました。
辺野古での視察もしたとのことですが、言語道断。沖縄の差別を知らず、何も知らな
いような人間が外務大臣をやっているのを思うとこの国の現実を見る思いでした。
その他にも10月12日に県環境影響審査会が辺野古を海上から視察しました。
県環境影響審査会は環境アセスメント法に基づいて作られた県の機関で、今回の基地
建設計画の方法書に対して苦言を言っています。「データが欠落している。」「評価
項目や手法が適切か否かを判断する十分な内容が示されているとは言い難い」と話し
ています。
この2ヶ月間、私達は船を出してカヌー隊が海上に出て、ダイバーが海中で阻止して
きました。海での阻止行動という前代未聞のものすごい闘いをやり通してきました。
とても厳しい闘いでしたが、日々一歩一歩阻止行動の闘いを前進させてきました。そ
のことによって大きな大きなうねりが県内外だけでなく世界へと広がり始めていま
す。
アメリカの労働組合の人達と会う機会があり、そこでアメリカの労働組合の人達は
「辺野古の闘いは戦争を止めるための最重要な課題のひとつです。私達は沖縄の米軍
基地をなくすために、私達の最重要課題のひとつとして取り組んでいくことを約束し
ます。」と言ってくれました。ILWUというとてもすごいアメリカでは闘う労働組合の
方々でした。
日本の多くの労働組合の人達も私達の闘いに共感を示してくれています。韓国の民主
労総という労働組合の人達も韓国で行なわれている米軍再編の問題と共に辺野古と
闘っていかなければならないと話してくれています。
205日間、200日を越えた長期的な闘いの中で切り開かれていくものはこの世界
を変えていくような力を持ち始めています。
おばぁ達の8年間(2639日)に渡る闘いが1年前たったの6人からの出発を今年の4月
19日には200人に変え、今年の9月9日には600人へと変えました。数ではな
く、そこに集まった人達一人一人の力、思いは多くの違いを超えて作り上げられてい
ます。テントはたった一張りから五張りになりました。
辺野古のおじぃ、おばぁは私達ニセーターがつらい時や厳しい時にいつもその姿勢
で、後姿で励ましてくれました。静かに力強く、誇りを持ち、愚直に座り続けてくだ
さっていました。船から帰り着き、疲れ果てた体をその後姿が押してくださいまし
た。
でも、もうおばぁ達にそんな思いをさせてはいけない。私達の力で私達の手でこの国
を変えていかなければなりません。この辺野古に20代の人達、若い世代の人達が集
まっていること自体がこの国の変わり目を語っているようです。
命をはる覚悟、しかし、生き抜くという覚悟。おばぁが私に植えた大きな種は闘いの
中で力強く根付いています。
今日もまだ作業台船は中城湾沖合い500メートルの地点から動いてはいません。闘
いはこれからです。これからです。希望を持って絶対にあきらめない。こんな、こん
な理不尽なことは許さない。