From: "辺野古命を守る会" <henoko@f5.dion.ne.jp>
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Date: Mon, 16 Aug 2004 01:15:13 +0900

Subject: [keystone 9147] 阻止行動119日目
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8月15日(日)
・防衛施設局は来ませんでした。

昨日の夜から休みをいただいて南部へと出かけました。
午前は平良夏芽さんが牧師をしている「うふざと教会」(大里村)の礼拝にも初めて
参加させていただきました。
今日、うふざと教会では、研修に来ている、そして座り込みをこの一ヶ月間共にして
いる稲垣真実(いながきまこと)さん(農村神学校、神学生)が夏芽さんに代わって
説教をします。研修も兼ねてです。真実さんの初デビューです!!
写真が見せられなくて残念、緊張でがちがちでしたが、りんとして誇り高く語った彼
の姿をお見せしたかったです。

私が説教などを聞くのは幼少の頃に通っていた学校以来でしょうか。
しかし、うふざと教会は私の幼少の頃に聞いていた説教とはまったく違います。戦
争、平和、共生、全てを現実の問題と共にに訴えています。
真実さんは沖縄、辺野古に来てからの切実な強い思いを説教という形で語りました。
「私は13日に沖縄国際大学で起こった事件を許せません。私は大和人です。沖縄の
人々に基地を押し付けている人間としてその現実を目の当たりにし、現在もなおその
状況を変えられていないことがくやしい!米兵が学内を占拠し、学生、住民を排除し
ている姿は占領そのものでした。このことを絶対に許せない!許さない!!辺野古基
地建設を普天間の閉鎖、撤去を求めて私は闘います!!」と。(聞き取りで覚えてい
る部分を書いていますので、真実さん、少しニュアンスが間違っていたらごめんなさ
い。)
説教なのか決意表明なのか。しかし、彼は涙を流しながら精一杯に現実を受止め、そ
して決意した。今と闘うと。

この危機的な沖縄の状況、そして世界の状況は人々を変えていく。
真実さんにとって今日は祝福されるべき日でした。現実を引き受け、自分を引き受
け、これからの未来を引き受けると誓った彼の姿はとてもかっこよかった。この日を
私は生涯忘れることはないでしょう。ありがとう、真実さん、感謝の気持ちでいっぱ
いです。
最後に夏芽さんは涙を拭きながら「ありがとう。」と言いました。そして、「本来、
今回の事件は彼のような感性で受止めるべきなのだと思います。」と付け加えた。
どんな裕福な生活や利益の奪い合いよりもこうやって人が何かを引き受け、変わると
いうことがどれだけ素敵か。心の中で涙が溢れていた。

その後、かんきちさんと沖縄国際大学へと向かいました。
東京の国会前から連絡があり、「今、今回の事件に対しての抗議のために国会前から
大使館前まで20人ほどでデモをしている。大使館にたどり着く前に機動隊が私達の
倍以上で出来て、”歩道を歩くな!!”という。だったらどこを歩けばいいの?!車
道かよって感じです。」ということでした。電話の後ろでは、人々の抗議の声が燃え
上がっていました。
沖縄国際大学へ来ると、やはり道路は封鎖されていた。かんきちさんの話では、「昨
日よりも(封鎖されている)範囲が狭められている」とのこと。
封鎖している県警のおっちやんに話しかけてみる。「まだ封鎖されているんですか。
県警は現場検証などしたのですか。」と話しかけると、「いやまだできていない。」
という。「本当に腹立ちますね。嫌ですね。」と言うと、「ごもっとも」と言ってい
た。
現場が見える、マンションの下に行くと、40人〜50人ほどひとが集まっていまし
た。マスコミ関係者、学生、市民などでした。学生たちは墜落当日の写真をパネルに
して張り出していて、来た人達が見られるように工夫していました。
そこでまよなかしんやさんに会い、民家にプロペラが落ちた現場などを色々と教えて
いただきました。
プロペラの一部が落ちた民家は木が折れていたり、家の入り口のアーケードが完全に
破壊されていたり。セメントブロックの壁に銃弾の後のように残っていた破片が貫い
た跡などはものすごい衝撃でした。
かんきちさんと2人で大学構内に入り、米兵達が現在なにをしているのか見に行きま
した。現場の周りにはチリ1つ落ちてなく、機動隊のバスが3台、県警の車が10台
ほど、公安警察車両は4台、米軍のバスは2台ありました。現場のすぐ近くにはミリ
タリーポリスの特別車が乗り付けられており、その車には赤いシートがかぶせられて
いました。その中で何かの作業をしているようでした。
黄色いひもを超えようとすると米兵がすっ飛んできて「NO!!」と叫ぶ。続けて
「なぜ入ってはいけない!!占拠しているのがおかしいんじゃないのか」と訴える
と、上官と5名ほどが出てきてにらみ付けてきました。それからは学内を歩いている
途中、ずーっと後を付けられていました。
その様子を遠巻きに伺っていた沖国大生に話しかけると、「入れないいのはおかしい
と思う。」「不安です。」「米兵がこちらに発砲してくるんじゃないかと恐いで
す。」と返ってきました。「イラクみたいだ」という男性もいました。
「辺野古は知っている?」と言うと、「うん、知ってる。」と言う。自分が何をして
いるか話すと「機会があったら伺おうと思ってる。」と言ってくれました。
今回の事件の当事者である沖国大の学生達の意識が変わってきているように感じると
ころでした。

現場に言って得た、新しい情報によると、「県警は昨日の7時頃に学長館(被害に
あった建物)の中を現場検証した。落っこちた現場ではビデオやカメラなどで撮って
いたが、具体的な調査などは一切できていない。米軍の財産は扱えないというのがあ
るからね。」ということでした。
私達が帰った後に伊波宜野湾市長が訪れ、現場に入ったとのこと。13日から毎日来
ている市長は米兵達に阻まれ、中にさえ入れなかった。なんという差別なんだ。

とにかく怒りだけが残り、現場を後にしました。
佐喜真美術館で石川真生さんの写真を見て、真生さんとも再会。元気そうでした。
「晋くんがきてくれてうれしいよぉ」といつものように楽しく振舞ってくれました。
佐喜真さんにも久しぶりに会い、今回の事件に対して話し合った。
辺野古に帰る途中に金武町の都市型訓練施設建設現場が見える高台にも立ち寄り、現
場を見ました。土が盛られ、トラクターと現場事務所のようなものが見えました。
都市型訓練施設建設現場付近の山々は広大な広さに木が一本も生えていません。全
て、米軍の実弾演習による原野火災によって焼き払われたのです。
そして、やっとこさ辺野古に帰ってきました。
どこもかしこも、どこもかしこも沖縄には差別の中で闘いの場が広がっていることを
改めて実感します。辺野古の基地建設を止める座り込みがその支柱となっていること
も再度実感しました。
全てを賭けて、全てを変えなければ。共に生きるために。