From: "辺野古命を守る会" <henoko@f5.dion.ne.jp>
To: <"Undisclosed-Recipient:;;"@mx-list.jca.ne.jp>
Date: Thu, 29 Jul 2004 19:40:33 +0900
Subject: [keystone 9020] 阻止行動101日目。
X-BeenThere: keystone@list.jca.apc.org
7月28日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。
101日目。100日の節目を迎えて、今日は多くの人が座り込みを訪れてい
ました。
一日で100名は超えていたと思います。
防衛施設局が来ることもなく、三線が鳴り、歌が響いていました。
辺野古はキャンプ・シュワブ、基地内から朝8時にアメリカ国家と「君が代」
が流されます。その度にこの国とアメリカの傲慢さに煮え湯を飲まされています。そ
の度に私達はまだ日米に勝ってはいないのだと感じています。
座り込みでは「ボーリング調査を止めている」ことを祝して金城師匠の三線が
ならされ歌が歌われる。生活と闘いの中にある、そういう中で生まれる三線の音色で
あってほしい。二度と「安里屋ユンタ」のように戦争に利用される歌であってほしく
ない。
私達は「ボーリング調査」を止め続けている。しかし、基地建設を止めたわけ
ではない。闘いは始まったばかりなのだと思います。
帰り際、琉球新報社の記者が「子ども新聞記者」という企画で名護の小学生を
連れてきました。
辺野古の取材に来たのです。
小さい記者さんがおばぁ達に質問します。
「なぜ基地建設に反対するのですか?」とってもストレート。
92歳ヨシおばぁ、「そんなものが出来たら大変さ!!」おおっとこっちもスト
レート。
普段は寡黙なおばぁも口を開いて丁寧に子ども新聞記者に答えます。
「わったー達はねあんた達の未来のために座っているのですよ。この海に基地
が出来たら、基地や演習場に囲まれたこの村は生活をしていけなくなる。わったー達
はいずれいなくなる。でもあんたたちはどうね?残された人達は大変さね。ここでは
生きていけなくなる。だから反対するんだよぉ。分かる??」とおばぁ。
豆記者は小さくうなずいていました。
彼らが生きる世界に戦争なんてあってはならない。せめて私の世代で変えた
い。そう強く思います。
以下は「100日集会」で配られた決議文です。
ボーリング調査中止、普天間基地の辺野古移設計画の撤回を求める決議
那覇防衛施設局によるボーリング調査を阻止してから本日で100日を迎え
ました。この100日間、ボーリング調査の中止と機知建設計画の撤回を求めて、地
元のおじぃやおばぁたちを先頭にして来る日も来る日も座り込みを続けてきました。
しかし、那覇防衛施設局は地元住民の願いをまったく聞き入れず、ボーリン
グ調査の強行実施を押し付けることに終止しました。そして、日本政府はアメリカ政
府からも辺野古移設計画の全面見直しが打診されてたいるのにもかかわらず、「米国
からの打診はない」と知らぬ存ぜぬを決め込み、ただただ「SACO合意の着実な実施」
を繰り返すのみであります。
他方、沖縄県当局は「辺野古移設を進めるのが県の立場だ」と強弁し、名護
市当局に至っては辺野古区民の苦悩を顧みず現状を放置しているのみです。県民の生
命と財産を守る立場にあるべき県、市当局が、ここに至ってもなお国の意に沿って基
地建設を推進する役目を果たしていることは、国策の名の下に地元住民を見殺しにす
ることに等しいといわなければなりません。
県民の頭越しに基地建設を押し付ける政府、県・市当局になんらの正当性も
ありません。子や孫のために命がけで座り込み基地建設反対を訴える地元住民にこそ
正義がある事は明白です。
私達は、座り込み100日にあたり新基地建設を断固として反対し、ボーリ
ング調査の中止まで座り込みを継続していくことを改めて表明します。そして日米両
政府による県民への基地押し付けに対して強く抗議すると共に、ボーリング調査を直
ちに中止し「SACO合意」を見直し普天間基地の辺野古伊勢地計画を撤回するよう求め
ます。又、稲嶺知事と岸本市長に対し名護市民投票で示された「基地建設反対」の民
意に基づいて辺野古移設受け入れを撤回するよう強く求めます。
別紙「基地建設座り込み100日集会アピール」を添付し以下の諸点につい
て申し入れ致します。
(1)ボーリング調査を直ちに中止すること。
(2)「SACO合意」を見直し普天間基地の辺野古移設計画を撤回すること。
以上を決議します。
2004年7
月27日
基地建設阻止座り込み10
0日集会
宛先
米国大統領 ジョージ・W・ブッシュ 殿
内閣総理大臣 小泉 純一郎 殿
防衛庁長官 石波 茂 殿
沖縄県知事 稲嶺 惠一 殿
名護市長 岸本 建男 殿