From: "辺野古命を守る会" <henoko@f5.dion.ne.jp>
To: <"Undisclosed-Recipient:;;"@mx-list.jca.ne.jp>
Date: Wed, 28 Jul 2004 12:20:05 +0900
Subject: [keystone 9018] 阻止行動100日目!!! 生きることの全てを賭けて。
X-BeenThere: keystone@list.jca.apc.org
7月27日(火)
・防衛施設局は来ませんでした。
今日で座り込みはついに100日目を迎えました。
今までの大変な苦労、消耗を考えると「なぜ100日も・・」と思います。また、多
くの人々との歴史的な出会いの中で一人一人が可能性を見出し、成長し、基地建設を
100日間も止め続けている誇りはとても強いものがあります。
いつものように午前7時より、座り込みは50名以上で行われました。そこに朝から
座っている人ほど100日間座り続けてきた仲間たちだと感じています。
「基地建設を止める」という1つの目的を貫き通すこと、決して一人では出来なかっ
たことです。ただ、平穏な生活を取り戻したい。私達はそれだけです。
静かな、海、星空、太陽の中で魚を獲り、畑を耕し生活する。
「何者にも脅かされず、脅かさず。その土地にあった野菜を作り、労働をする。そう
いう中で平和を創造する、平和のために行動する人を育てていく。そういう生活こそ
が平和ではないか。」
1フィート運動の代表である仲村文子さんがそんなことを話しておられました。
防衛施設局がいつくるか分からない。機動隊がいつくるかわからない。そういう緊張
感の中で今日もそして明日も座り続ける。
午後7時、座り込み現場で「100日集会」が行われ、500人もの人達が集まりま
した。多くの人達が集いました。島の人達の強い思いはやはり状況を変え始めてると
感じています。
集会では、糸数慶子さんや東門美津子さん、嘉陽宗義さんなどの議員の紹介と発言が
ありました。歌では、前半に瀬嵩の金城繁師匠が三線で盛り上げ、海瀬頭豊さんが
「キセンバル」を歌いました。
沖縄の抵抗の音楽が波の音共に聞こえてきます。生活の歌である三線。抵抗の歌「キ
センバル」。
女性の代表では村山友子さんが発言しました。「私達は毎日座り込みの炊き出しをし
て"団結弁当"を作って支援してきましたーー!」と元気に。本当に苦労をかけてきま
した。ありがたく、ありがたく団結弁当をいただいています。
「生活から出発している基地建設を止める闘い」なんだと毎日認識させてくれるお弁
当でした。
一番印象に残ったのは「命を守る会」の代表・金城祐冶さんの話でした。
「若者たちに言いたい!!今やらなくていつやるんだ!と。今やらなくて皆さん!!いつ
やるんですか!!!今こそ立ち上がる時です。」と祐治さん。
心に奥の方に強く強く響きました。「今やらなくて、いつやるのか!!!」その通り
だーー!!!そして、もう祐治さんにそんなことを言わせたくはない。もう私達が引き
受ける時が来ている。
100日目を迎えて自分が辺野古へ関わった原点を改めて思います。
命を守る会で共に生きようと思ったおばぁの言葉があります。
「あんたぁー"森"って何か知っているか!?」と聞かれました。
「森??木があって、緑で、ヤンバルクイナが住んでいますよね。」と私。
「うんー。それもそうなんだけどね。わったーにとって森と言うのは、木というのは
人間の手本みたいなものだと思っている。でもねぇ、見てごらん、裏の山を。"国立
高専"を作るだとか言って山がアカンチャ(木がなくなって赤土がむきだしになってい
る)になっている。あれは基地建設の見返りよぉ。なんて人間は愚かしいのかや。」
とおばぁ。
「そうですね。」と私。
「だけれどね、森っていうのは諦めないんだ。種1つになっても木一本になっても絶
対に諦めない。常に蘇る可能性を持って、そうやって闘っている生き物なんだ。わっ
たーたーもおんなじさぁ。この辺野古にガジュマルの木のように根をはっている。こ
こに種1つでも木一本でも残せたらこの基地建設問題はわったー達の勝ちさ!!!」お
ばぁはそう誇り高々に語ってくれていました。
何も出来ない人間ですが、共に生きることは出来ると思いました。
「基地建設が始まって、もし、埋め立てが始まったら、わったーは海に座るさ!!そう
いう覚悟で今日もここに座っている。」と92歳のヨシおばぁに言われました。
そういう言葉を聞く度に葛藤してきました。
沖縄戦を押し付けられ、米軍の占領と基地を押し付けられ、そしてまた基地建設を押
し付けられた。私は東京の出身です。沖縄にそれを押し付けた人間です。
ここで闘う、意味とは自分らしさがここにあるというだけではなく、琉球の人と大和
の人が本当の意味で連帯するためなのだと感じます。そして今までの歴史において犯
してきた私達の罪に対する謝罪の意味があります。
絶対に基地は造らせない、沖縄に対する日本政府による差別的な構造を変えなければ
ならない。基地は自衛隊基地も米軍基地も全て撤去させなければいけません。それが
私なりの責任の取り方であり、それが出来れば世界中の状況を変えることさえも出来
ます。
いつか、日本とアメリカの手によって、現在二分されてしまっている辺野古の浜の
フェンスを引っこ抜き、フェンスのなくなった浜辺でイラクの人とも、パレスチナの
人とも、イスラエルの人とも、アフガニスタンの人とも、朝鮮半島、中国、フィリピ
ンの人達とも、部落民、在日の人々、アイヌ、琉球、大和、障害のある人もない人
も、世界中の人達とともに差別なく、月明かりの下、一緒に三線を弾きながら泡盛を
飲めたらどんなにすばらしいことだろうと思います。
途方もない夢なのかも知れません。しかし、私達の次を生きる人達のために、その夢
のために犠牲になったとしても私は構いません。それがおばぁ達から教えられた生き
方です。
これからも生命を賭けてこの海を守ります。生きることの全てを賭けて。