From: "辺野古命を守る会" <henoko@f5.dion.ne.jp>
To: <"Undisclosed-Recipient:;;"@mx-list.jca.ne.jp>
Date: Thu, 30 Dec 2004 23:19:14 +0900
Subject: [keystone 10102] 阻止行動日誌255日目。富田晋。
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12月29日(水)
12月に入り、サンコーコンサルタント、パシィフィックコンサルタンツは防衛施設
局の指示のもとで暴行行為が激化しました。そういう中で4ポイントのヤグラ建設を
強行しました。
作業台船2隻は12月1日に台風27号の影響で中城湾港へと戻されています。
12月7日には女性が阻止行動の行動中にしがみついていた両腕を鉄筋から外され落
下し頭部を強打しました。偶然にもその女性がヨガの先生をしており体が柔らかかっ
たために大事には至らなかったものの2週間は絶対に安静という状況がありました。
12月9日には私と共に阻止行動をしていた男性に作業員が殴る蹴るの暴行行為を繰
り返しその男性は腰を痛めました。
次の日の12月10日にはまたもサンコーコンサルタントの作業員が男性をヤグラか
ら引き釣り落とし、男性は海中の鉄筋に頭部を強打。一時的に意識を失い、息もあり
ませんでした。急遽、私が漁港まで搬送し、すぐさま救急車で運ばれ大事には至りま
せんでした。
私達はこの理不尽な横暴に怒り、全国的にこの業者及び防衛施設局に対して抗議行動
を起して欲しいと訴えました。
ヤグラから落とされた2人は落とされた直後に「調査を中断してくれ。」と訴えてい
ました。私達はその思いを受け止め、引き受け阻止行動にこの怒りをぶつけることを
確認しました。
それでも現場では連日くい打ちがされるか否かのギリギリの攻防戦が続いていまし
た。
そんな中12月13日(月)に国頭、宜野座、金武、石川の海人達が辺野古の闘いに
参加するために総決起しました。
今までたったの2隻で阻止行動をしていたことがうそのようになりました。4ポイン
トあるやぐらにはそれぞれ4隻以上の阻止船がはりつき、完全に作業をさせない状況
を作り出したのです。
数日たたない内に海人達の参加は増え、東村からも駆けつけてくれるようになりまし
た。沖縄本島の東海岸側における海人達の総決起でした。
「この海を潰すことは許さない」その一点で集まった海人達。シンプルですが、その
言葉の重みは誰よりも重いものでした。
渡嘉敷島の灰谷健次郎氏からも「ナイワイ丸」が辺野古に送られ、辺野古の阻止船の
1つとして闘っています。
朝、船で海上に出るとこちらに船がたくさん駆けつける姿は何度見ても涙が出ます。
私はトラウマというか癖というか、船団を見るといまだに「作業船が来た!」と思っ
てしまいます。
小さなレジャーボートで大型船8隻を相手にしていたこともありますから致し方ない
かもしれません。
国頭の海人が辺野古の海人から「ここはわったー達の漁業権がある場所だ!!国頭の
海人は出て行け。」と言われた時に言い返した言葉。
「辺野古の海人よ、知っているか。漁業権とは海を破壊するためにあるんじゃない。
海を守るために先代達が築いたものだ!!この海を破壊することに参加して、魚達に
顔向けが出来るのか!!」
海人だからこそ語れる言葉。
海人達から色々な話しを聞くにつれ彼らが辺野古のこの8年間を知っていて、ずっと
見ていたことを知りました。
「海を守るために動き出すときが来た。」海人達は時の訪れを垣間見ていました。
そう、その時が来たのです。
くやし涙ばかりが流れていた今年。最後をうれし涙で終えることが出来ました。
全国で沖縄で。
東京で。座り込みが始まってから「この問題の根っこがある東京でも座り込みがあっ
ていいんじゃないか。いやあるべきた。」という論議が続いていました。
海上での攻防が始まろうとしている8月、平良夏芽さんは国会前で座り込みをするこ
とを決めました。「辺野古の基地建設を止めるには東京を変えなければならない。」
その思いで。
東京では辺野古についての国会行動や施設局に対する申し入れ、抗議行動、地域で訴
えることはずっとつづけられていました。
そういう中でしかし、基地を押し付けている人として沖縄、辺野古の問題について責
任ある行動をとって欲しい。今の行動だけが限界、それだけではならない。沖縄の
人々の思いは東京の人達を奮い立たせる結果につながりました。沖縄の問題を大和の
責任、日本全体の問題として多くの人達が東京で東京を変え始めています。
国会前での座り込みは150日を超え、現在も続けられています。
大阪で。亜季ちゃんが辺野古に来たのは1年と半年前のことです。彼女は今、私達に
とってなくてはならないかけがえのない大切な存在となりました。
大阪で大学生をしていた亜季ちゃんが辺野古に来て多くのことを学び、4月19日に
も駆けつけてくれていました。1週間で帰る予定を2ヶ月間と延ばしてもらい、あの
厳しい中を懸命に支え、助けてくれていました。
そういう中で彼女は「大阪で何かをしたい」と大阪に帰っていきました。
亜季ちゃんは大阪を確かに変えました。
JR大阪駅前は1週間に一度、多い時で40人もの人達が集まり、ギターを弾き、署
名を集め、多くの人達がマイクを握りときには小学生が訴え、ビラを撒いたりしてい
ます。
決して一人の力ではない。でも大阪を変えることも亜季ちゃんがいなければ出来な
かった。
「一人が変わることが世界を変える」彼女は僕達に多くのことを教えてくれました。
京都で。京都でも「京都緊急行動」と銘打って、辺野古を訪れた大学生達や多くの人
達が集まり、行動を起こしています。駅前や人が集まる場所などで街頭宣伝などを週
に一度やっています。
辺野古にも手伝いで京都から多くの人達が訪れてくれています。とてもとても助かっ
ています。
名古屋で。名古屋から来てくれていた女性が辺野古の問題をつなげようと報告会や集
会を開いてくれています。本当に心強いです。
12月30日に続く・・・