イラク・クエート国境非武装地帯訪問記


戦争はトマトになにをしたか?

TOMATOES AND THE GULF WAR; IRAQ/KUWAIT
イラク・クエート国境非武装地帯

湾岸戦争から8年、昨年末にも、イスラムの重要な行事「ラマダン」を無視して米英軍による「砂漠の狐作戦」と称する空爆が加えられたイラク。その昨年末、わたしは、イラク−クエート国境の国連監視区域である非武装地帯に外国人ジャーナリストとして初めて入る事を許された。今なお立入禁止区域であるはずのそこには、意外なことに、農業を悠然と営む人々が暮らしていたのだった。

写真・文:森住 卓(地上1999/4月号より)


砂漠を旅する遊牧民
湾岸戦争で破壊された戦車から鉄くずを取り、市場に持っていく。この鉄くずも放射能で汚染されており、彼らの移動によってイラクじゅうに汚染が広がる一因になっているという
(phot by TAKASHI MORIZUMI)

 1991年の湾岸戦争で多国籍軍に破れたイラク−−戦後確定された国境は戦前のそれより4キロ、イラク国内側に設定されていた。そこからさらに新しい国境に沿うかたちで10キロ幅の非武装地帯がサウジアラビアの国境まで続いている。ここは同時に、米英軍が使用した劣化ウラン弾による「放射能汚染地帯」として国連から指定されており、イラク側では国防省と厚生省の合同管理下に置かれている立入禁止地帯でもある。
 案内してくれたのはイラク国防省の将軍だった。バスラから西の非武装地帯にはいると砂漠地帯が延々と続く。しかし、ところどころに、アシでつくった防風垣で囲われた緑の畑が見えるではないか。砂漠の真ん中にアシなど生えているわけはない、聞くと、この地の農民たちが100キロ以上離れたユーフラテス川の低地帯から運んできたものだという。
 イラクはずっと昔から戦争だった。しかし、ここの人々は、そんなことにはおかまいなしに井戸を掘り、畑をつくり、作物を育て、砂と闘い続けながら、ずっとイラクの人々の命を支え、食糧を生産し続けてきたのだ。
 マホメッド・アルワン(80)さんはこの農園の長老だ。この村では2家族12人が生活していた。村の名前を聞くと「そんなものはない」という。
 マホメッドさんが所有している土地は2500アール。トマトを中心に小麦、ブロッコリー、ネギ、豆などを栽培している。そして羊15頭、アヒル5羽、シボレーの真っ赤なトラック、地下水を汲み上げるヤンマー製のポンプ−−これが財産のすべてだ。
「冬でも日中は17〜8度、夜間は3〜4度なので甘いトマトができるんだ」
 白髪交じりの自慢のヒゲをなでながら、日焼けしたかおをほこらばせてマホメッドさんが言った。彼は、30キロ入りの箱で年間1500から2000箱のトマトを出荷しているという。ここでできたトマトは、イラク全土に出荷される。
 だが−−。
 イラク国内では、今、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾の影響で子どもたちにガンや白血病が急増している。その原因の一つにこのトマトにあるといわれているのだ。劣化ウラン弾の金属ウランは地下に浸透し、地下水を汚染している。ここで作られるトマトは、まちがいなくこれらのウランを濃縮して含んでいるのである。しかし、経済制裁で慢性的な食糧不足に悩み、明日食う物にも事欠く現在のイラクでは、食料の安全性まで問題にするほどの余裕はない。
 マホメッドさんの家に入れてもらった。土を乾燥させた粘土を積み上げただけの家の中は、外の熱射を防いでとても快適だ。 家具などなにもなく、部屋に、じゅうたんを敷き詰めただけの部屋に、6人の家族が住んでいる。壁にはフセインの写真が貼ってあった。
「戦前は政府から農薬や肥料の援助があったが、経済制裁でそれもほとんどなくなっている。だから、自分たちでアンマンに行って調達してくるのだ」とマホメッドさん。
「経費ばかりかかって、たいしてもうからないよ」と息子のワシムさんがぽつりと言った。 遠くには、ルメイラ油田の黒煙が真っ青な空を覆っている。経済制裁のあおりを食らって輸出できずにいる石油が、なす術もなくむだに燃やし続けられているのだ。
 突如、青黒い砂漠の空にジェット機の音だけが響きわたる。米軍の偵察機だ。ここは国連が決めた飛行禁止空域なのだ。
 農園にいると、この地が今もなお戦場であると言うことを暫し忘れてしまう。立ち入り禁止の非武装地帯で、昔と変わらずに土地を耕し、作物を育て続けている人たち。彼らは何も変わらない。国や政治が勝手に変わり、環境も一変した。
 放射能に汚染された大地と地下水と、その水で育つトマト。現代戦争の残酷さを目のあたりにして、この地に一日も早く平和が訪れることを願いつつ、私は名もなき国境の村を後にした。

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<写真>イラク・クエート国境非武装地帯の農村
<写真>バグダッドの市場

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