イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法特別委員会
参考人意見陳述書
2003年7月1日
藤田祐幸
私は、本年5月19日から6月2日にかけて、テレビの取材チームに同行して、バクダッドとバスラで、劣化ウラン弾が今次戦争においてどのように使われたか、その結果環境がいかに汚染されたかを調べるために、放射能測定を行なってきました。本日は、この調査の結果を報告させていただきます。
1)劣化ウラン
劣化ウランとは、原子力産業および核兵器産業の、ウラン濃縮過程の副産物で、ほぼ100パーセントがウラン238同位体であり、かつてはプルトニウムの原料としての資源価値がありましたが、世界的にプルトニウム路線が破綻し、現在は資源価値のない廃棄物の扱いをうけております。
物理的特性として、重く、硬い金属であり、廃棄物であるがゆえに極めて安価である、という利点から、米・英軍の対戦車砲の砲弾として利用されております。高速で打ち出されたウラン金属が戦車の鋼鉄版に当たりますと、衝撃力のためウラン金属は高温で発火し、鉄板を溶かし、内部で激しく燃焼し、搭乗員を焼き殺すことができます。そのとき、数ミクロンの微粒子になったウラン粉末が環境に噴き出し、これを吸い込みますと肺に沈着して重篤な放射線障害を引き起こすことが知られています。
戦車に当たらなかったウラン弾は地中に深く突き刺さり、土の中の水分と反応して水溶性のウランへと変質し、地下水を汚染し、生態系を通じて循環し、水や食物を通じて胎児や乳幼児に大きな影響を与えます。
10年前の湾岸戦争で初めて大量に使用され、米国の帰還兵に健康障害が多発し、子供に先天的異常や発ガンが頻発し、湾岸戦争症候群として社会問題になりました。イラクやバルカン半島では、小児がんや先天的機能障害、死産や流産が相次ぐようになりました。
2)現地調査
今次の戦争において劣化ウラン弾がどのように使用されたのかを調べるため、5月末から6月はじめにかけて、バクダッドとバスラで環境放射能の調査しました。短期間の調査であったため、点と点を結ぶ調査にとどまり、面的な調査は行いえなかったことを、まずお断りいたします。
まず、バクダッド中心部のイラク計画省に向かいました。この建物は米軍が管理しており、破壊された建物の中に入ることは許可されませんでしたが、建物の周辺で多数の劣化ウラン弾を発見しました。劣化ウラン弾にとってコンクリートは紙のように柔らかいため、ウラン弾は発火せず、弾頭のまま散乱しておりました。建物の中にはさらに多量の弾頭が散乱していることが想像されます。測定すると6マイクロシーベルトほどの放射線を放出しており、環境放射線の百倍ほどの値を示しておりました。対戦車砲の砲弾が街の中で、建造物攻撃に使われたことは明らかです。子供たちの手に触れる前に、散乱するウラン弾の早急なる回収が必要です。
バクダッドおよびバスラ南方の郊外の、幹線道路上に放置された複数のイラク軍戦車に、劣化ウラン弾を被弾した痕跡があり、いずれも環境の10倍から20倍程度の放射能汚染を確認しました。バスラ郊外に放置された戦車から放射能を検出したことは、米軍のみならず英軍も劣化ウラン弾を使用したことを示しています。
バスラの南部の被弾した戦車の背後には製氷工場があり、この工場にも多数の劣化ウラン弾が打ち込まれておりました。特に製氷用の鉄製のプールの底に打ち込まれたウラン弾による貫通孔周辺からは、最大2.9マイクロシーベルトの汚染が検出され、これは環境放射線の45倍にも達するものでありました。工場再開のためには大掛かりな改修工事が必要となり、工場長は悩み苦しんでおりました。
また、この工場の周辺のアスファルトで舗装された道路上には多数の穴が開いており、その全ての孔の周辺から環境の2倍程度の放射能汚染が確認されました。A10攻撃機から30ミリ機関砲で打ち出された劣化ウラン砲弾の大部分は、このように戦車に命中することなく、民家や道路や砂漠に打ち込まれていることは明らかです。その痕跡はアスファルト道路上でしか確認することはできません。
私のコソボでの調査の経験から、大地に打ち込まれた砲弾は、金属ウランのまま1.5ないし2メートルほどの地下に留まり、ゆっくり水と反応して地下水に溶け込んでいくことになります。
私たちは、バクダッド市内のマンスール(Mansur)地区、および郊外のラシッド(Rashid)イラク軍基地において、バンカーバスター攻撃によると思われるクレーターの調査も行ないました。クレーターは直径20メートル程度、深さ7〜8メートルほどの大きさで、その底部からは0.1マイクロシーベルトほどの放射線を検知しました。これは環境放射線の1.5倍程度のもので、有意の差であると認識しています。
このことは、対戦車用砲弾だけではなく、バンカーバスターの弾頭にもウラン金属が使用されている可能性を示唆しております。バンカーバスターは地下20ないし30メートルほどまで貫通してから爆発する爆弾であるとされており、もしそこまでウラン金属が打ち込まれているとすれば、近い将来地下水の汚染が憂慮されることになります。マンスール地区の住民の多くは井戸水を飲用に使っており、住民の不安は大きなものでありました。
3)バスラ母子病院
私たちは、バスラの母子病院の小児がん病棟を訪ねました。そこにはすでにさまざま報道されているように、多数の子供たちが白血病や幼児性腎腫瘍などで入院しておりました。同病院のJanan Ghalib Hassan医師によれば、バスラ州の子供たちの悪性腫瘍の発生数は、1990年には年間20人ほどでありましたが、湾岸戦争以後次第に増加し、2002年には160人に達し、90年の8倍にもなっております。
15歳以下の児童のがん発生確率は、90年には10万人当たり3.98人であったのに対し2002年には18.5人に増加し、4.6倍の増加となっております。地域別にこれを見ると、激戦地であったクウェートとの国境周辺地域の発生率が高くなっております。
子供たちの悪性腫瘍のうち、その約半分が白血病で、リンパ腫、神経芽細胞腫、幼児性腎腫瘍などが続いております。また、早産、死産も多く、その中には数多くの先天的機能不全、いわゆる奇形児が多く見られます。これは、広島・長崎・チェルノブイリの経験から推測される事態と一致しております。バスラでもバクダッドでもこの傾向は共通しており、長期にわたる経済封鎖のため、医療機材、薬品、人材ともに絶望的に不足しており、治癒率はきわめて低いのが現状です。
4)大量破壊兵器
ウランの放射能の半減期は45億年であり、この時間は地球の誕生以来の時間に匹敵します。一旦汚染された大地が元に戻ることは永遠にないといっていいでしょう。ウランは環境の中で循環し、今後極めて長期にわたってイラクとその周辺国の子供と母親たちを苦しめることになります。
ウラン金属を兵器として用い、イラクの大地を永久に汚染したことは、極めて非人道的な行為であります。目の前で大量に人が死ぬということはありませんが、数年後には多くの子供たちと母親が悲惨な運命を引き受けねばならないことになります。その悲劇は終わることなく続くことになるでしょう。「サイレント ジェノサイド(静かなる虐殺)」あるいは「サイレント エスニッククレンジング(静かなる民族浄化)」と呼ぶべき事態であると私は認識しております。
その無差別性と大量性は、大量破壊兵器の定義を満たしております。米国はすでに、広島と長崎に大量破壊兵器を投下し、しかし戦争犯罪が問われることはありませんでした。そして、湾岸戦争においても劣化ウラン弾を大量にイラクの大地に打ち込み、その結果イラクの子供たちに残酷な悲劇をもたらしましたが、その罪も問われることはありませんでした。そして今次の戦争においてさらに多量のウラン弾を再びイラクの大地に打ち込みました。イラクが大量破壊兵器を隠しているのではないかという理由で、大量破壊兵器が使われたことになります。
その結果再び子供たちの悲劇が拡大していくことになります。イラクの人々はそのことをよく知っており、深刻に憂慮しております。
イラクを訪れて感じたことは、市民が英米軍を解放軍とは認識しておらず、占領軍・征服者として認識しており、激しい敵意をいだいていることです。そこに日本が武力をもって参加することは、言語道断であり、後世に禍根を残すことになることでしょう。
5)小児がんセンターの建設を
今日本が、この特措法3条にいうように、真に「イラクの国民に対して医療その他の人道上の支援を行なう」のを望むのであれば、武装した兵士を送ることのではなく、バスラとバクダッドに最新の施設を備えた「小児がんセンター」を建設することでありましょう。広島・長崎の被曝者治療の経験を伝え、イラクの医師たちに希望を与え、医療水準の改善に寄与することは、現在の日本にしかなし得ないことでありましょう。建物や機材のみならず、我々の半世紀にも及ぶ長い苦しい経験をも伝えていくことが肝要です。
イラクの人々が最も望んでいることはそのことです。もし日本が総力を挙げてイラクの子供たちの命を救うための努力をすれば、イラクのみならずイスラム諸国の人々は、日本に対する友好的な関係を続けることになるでしょう。しかし、軍隊を派遣すれば憎しみだけが残されることになります。
日本はこの不当な攻撃に加担したことの贖罪の意味を込めて、イラクの子供たちのための、がん専門の最先端の医療設備と、若い医者の教育のためのプログラムを贈ることを提言して、私の発言を終わります。
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