私たち劣化ウラン研究会(DUCJ)は、湾岸戦争(1991年)ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(95年)コソボ紛争(99年)において実戦で劣化ウラン兵器が使用され、その結果、従軍兵士、現地住民がウランのために健康を冒されてきたことに心を痛め、劣化ウランの軍事利用と防護されない形での商業利用の禁止を求めて活動をしてきました。
95年12月から96年1月にかけて沖縄県鳥島射爆場で米国海兵隊が演習で使用し、それが後日発覚したことで、大きな問題となりましたが、隣の韓国では、同様に劣化ウラン弾を演習で使った梅香里国際射爆場に対して広範な市民による撤去運動が行われています。またプエルトリコの米海軍ビエケス演習場でも劣化ウラン弾が使われていることが分かっています。
いずれも演習場での使用ですが、厳重に密閉管理すべき放射性同位元素を銃砲弾の弾丸として発射したのです。またその特性から目標に命中すれば70%が微粉末となって環境に拡散し広い範囲の土壌や水を汚染します。そして、それを通じて被曝することで、ガンや白血病、あるいはさまざまな病気の原因になり、多くの人々が死に至ります。
国連人権小委員会では、劣化ウラン兵器を、ナパーム弾やクラスター爆弾あるいは気化爆弾などと共に「非人道的な大量破壊兵器」として廃絶を求める決議を採択しています。
今回の有事関連三法案は、それ以前のテロ対策特措法や周辺事態法とともに、米軍との緊密な連携が重要な柱となっております。
仮に米軍がいずれかの軍事勢力と交戦状態に入れば、状況によっては自動的に日本の自衛隊もそれを支援ないしは、場合によっては共同作戦行動を行うことが想定されています。
その場合、米軍は「通常兵器」と位置づけている劣化ウラン弾など劣化ウランを使う兵器を配備し、実戦にも使います。すなわち、米軍の武器弾薬を運び、あるいは作戦を支援するということは、日本も劣化ウラン兵器を運び、あるいは使用することも考えられるのです。
日本の平和と安全を求める行為が、放射性物質による日本ならびに周辺地域の放射能汚染を引きおこしかねないのに、そのことには何の配慮も検討した形跡も見受けられません。
有事関連三法案の策定で、その程度の考慮さえされていないことに、驚愕と怒りを感じております。いったい「平和と安全」とはどういうものであると認識しているのでしょうか。
米国は湾岸戦争後に多数の帰還兵やその家族に後遺症を残しました。いわゆる「湾岸戦争症候群」と呼ばれるものです。有力な原因の一つに劣化ウランが疑われています。
自国の兵士や家族を犠牲にしてまでも戦争という形で国際紛争に介入してきたのが米国流のやり方です。
また、米国は国家防衛の柱に核兵器をおき、米ソ冷戦時代には「大量報復戦略」という、自国が核攻撃を受けてもそれをはるかに上回る報復攻撃により相手を破壊する、つまり民衆を人質にとり殺戮することさえ戦略の基本にしてきました。
自らの国を守るのに、守るべき市民をも盾に使う。それが核戦略の基本でもあるのです。
そのような防衛政策は、世界中に反核運動の波を巻き起こし、時間こそかかったものの核軍縮の流れを一定程度作ってきました。日本も不十分ながら「唯一の被爆国」としてその一翼を担ってきたのではなかったでしょうか。
今、その日本が自国の防衛政策を論じるに当たって、劣化ウラン兵器や核兵器をも使って守るかのごとく前提となった法案を出すこと自体、世界への間違ったシグナルであり、日本の「非核三原則政策」さえも放棄することを宣言するに等しい行為です。
劣化ウラン兵器は、湾岸戦争などの「戦果」を見た結果、多くの国が配備をしました。世界で20ヶ国、地域の軍が配備していると言われています。歯止めをかけなければ全世界で使われていくことでしょう。
既にアフガニスタンで行われた戦闘で使用されている疑いが高く、イスラエル軍もパレスチナ人への攻撃に使っていると疑われています。
このような時に、日本政府が果たすべき役割は、米軍と一体となった軍事行動を可能とするような法案作りではなく、国際社会に対して劣化ウラン兵器など非人道的な大量破壊兵器を使わせないための努力を続けることです。
私たちは要求します。
有事関連三法案は直ちに撤回し、国際社会に対して核兵器など大量破壊兵器を廃絶するための努力を行うことを。
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