「特高の親玉」正力松太郎が読売に乗り込む背景には、
王希天虐殺事件が潜んでいた!?
四分の三世紀を経て解明される驚愕のドラマの真相!!
電網木村書店 Web無料公開 2003.12.1
注:出版社編集前のデータをWEB公開。誤記等に関しては可能な限り訂正しています。
木村愛二著/汐文社/384頁/定価2500円 1996年3月6日 初版第1刷発行 ➡注文
特高の親玉・正力松太郎が関東大震災で焼け落ちた文芸紙読売に乗込み、天皇内務官僚トップが戦後の放送系列までを支配するに至る暗黒メディア史。
『読売新聞・歴史検証』目次
(0-1)はしがき(扉・カバー写真)
(0-2)原本目次
(0-3)序章 「独裁」「押し売り」「世界一」
(0-3-1)「読売改憲論批判」には「彼(敵)を知り」の基本戦略があるか
(0-3-2)「新聞セールス近代化センター」を在京六社で設立の社告
(0-3-3)巨大企業の自宅訪問と系列専売、生産と流通の双方支配は禁止
(0-3-4)ピストル密輸のテキ屋「拡販団長」の身元を隠す大手紙報道
(0-3-5)「出刃包丁の刃を相手に向けて刺せ」と指導したベテラン販売員
(1)第一部「文学新聞」読売の最初の半世紀
(1-0)第一章 近代日本メディアの曙
(1-1)準幕臣の江戸期文化人が創設した日本最古の大衆向け教養新聞
(1-2)文学の薫りに満ちて銀座の一時代を築いた明治文化の華
(1-3)国会開設の世論形成から社会主義の紹介に至る思想の激動期
(2-0)第二章 武家の商法による創業者時代の終り
(2-1)本野子爵家の私有財産化した読売の古い経営体質の矛盾
(2-2)「多数の新聞を操縦する事を得べし」と考えていた内務大臣
(2-3)陸軍が機密費付きで右翼紙『国民新聞』から主筆を送り込む
(2-4)ストライキを構えて「軍閥」を追い払った読売現場の抵抗
(2-5)首都東京で新聞がすべて発行停止の「世界でもまれな出来事」
(2-6)革進会の屈服と正進会の再建のはざまに編集ストライキ
(3-0)第三章 屈辱の誓いに変質した「不偏不党」
(3-1)絵入り小新聞だった朝日が議会傍聴筆記を付録に部数増大
(3-2)政府官報局長と「極秘」同行で輪転機を購入した朝日の政治姿勢
(3-3)米騒動と「朝憲紊乱罪」で脅かされた新聞史上最大の筆禍事件
(3-4)朝日が権力に救命を懇願した日本版「カノッサの屈辱」誓約
(3-7)朝日を仮想敵とみなして抜き返しを図った読売再生策の成功
(3-9)第二次護憲運動の山場で座長に推された読売社長の立場
(3-10)「黄金の魔槌」に圧殺された大正デモクラシーの言論の自由
(4)第二部「大正デモクラシー」圧殺の構図
(4-0)第四章 神話を自分で信じこんだワンマン
(4-2)「創意の人」、実は「盗作専門」だった正力の晩年の我執
(5-0)第五章 新聞業界が驚倒した画期的異常事態
(5-1)第一声は「正力君、ここはポリのくるところじゃない」
(5-2)「千古の美談」に祭り上げられた「軍資金」調達への疑問
(5-3)最近なら「金丸システム」だった「番町会」への「食い込み」
(5-4)「帝人事件」から「陰鬱なサムシング」の数々への疑惑の発展
(5-5)「大きな支配する力を握って見たい」という珍しい本音の告白
(5-6)CIA長官に匹敵!?「総監の幕僚長」お得意の「汚れ役」
(6-0)第六章 内務・警察高級官僚によるメディア支配
(6-1)思想取締りを目的に内務省警保局図書課を拡張した大臣
(6-2)言論の封殺に走った後進資本主義国日本の悲劇の分岐点
(6-3)帝国主義政策のイデオローグだった初代台湾総督府民政長官
(6-4)問答無用の裁判で「約一万二千人を『土匪』として殺した」
(6-5)「王道の旗を以て覇術を行う」インフラの「文装的武備」
(6-6)「阿片漸禁」による「専売」で「百六十万円の収入増」立案
(6-7)満鉄調査部を創設した初代総裁への登竜門にわだかまる疑惑
(6-8)シベリア出兵で「強硬論」の外相と「言論機関との小波乱」
(6-9)治安維持法の成立と「反ソ・反革命的キャンぺーン」の関係
(6-10)「大調査機関設立の議」の建白から東京放送局初代総裁まで
(6-11)明治維新の元勲、山県有朋の直系で、仏門出身の儒学者
(7-0)第七章 メディア支配の斬りこみ隊長
(7-1)「蛮勇を揮った」ことを戦後も自慢話にしていた元「鬼警視」
(7-2)「僕は我儘一杯に育ってきた」と自認する元「餓鬼大将」の正体
(7-3)第一次共産党検挙の手柄をあせった特高の親玉の独裁性
(8-0)第八章 関東大震災に便乗した治安対策
(8-2)「朝鮮人暴動説」を新聞記者を通じて意図的に流していた正力
(8-4)号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄
(8-5)「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者
(8-6)戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺
(8-7)「社会主義者」の「監視」と「検束」を命令していた警視庁
(8-8)「使命感すら感じていた」亀戸署長の暴走を弁護する正力
(9-0)第九章 虐殺者たちの国際的隠蔽工作
(9-1)留学生で中華民国僑日共済会の会長、王希天の逆殺事件
(9-2)「震災当時の新聞」による偶然の発掘から始まった再発掘
(9-3)「相手は外国人だから国際問題」という理解の重大な意味
(9-4)「まぼろしの読売社説」の劇的発見!分散して資料を温存か?
(9-5)中国側の調査団は「陸軍の手で殺されたと思う」と語って帰国
(9-6)九二四件の発売禁止・差押処分を大手紙の社史はほぼ無視
(9-7)後藤内相が呼び掛けた「五大臣会議」で隠蔽工作を決定
(9-8)「荒療治」を踏まえた「警備会議」と正力の「ニヤニヤ笑い」
(9-9)戒厳令から治安維持法への一本道の上に見る正力の任務配置
(10)第三部「換骨奪胎」メディア汚辱の半世紀
(10-0)第十章 没理想主義の新聞経営から戦犯への道
(10-1)「エロとグロ」から「血しぶき」に走った正力と「言論弾圧」
(10-2)「黄色主義」の直輸入で「騒音を立て」まくる堕落の先兵
(10-3)「首切り浅右衛門」まで登場した読売記者の総入れ替え
(10-4)暖房なし社屋の夜勤に「飲酒禁止」で「武力」を直接行使
(10-5)「死屍の山を踏み越えて」読売を発展させた「進軍喇叭」
(10-6)「君はアカだそうだな」と一発かます元鬼警視の人使い戦法
(10-7)「警視庁人脈で固めたから読売は伸びた」と自慢した正力
(10-8)震災後に大阪財界バックで朝毎が展開した乱売合戦への復讐
(11-0)第十一章 侵略戦争へと軍部を挑発した新聞の責任
(11-1)「満州国の独立」を支持する日本全国一三二社の「共同宣言」
(11-2)戦時体制で焼け太りした読売の不動産取得「脅迫」戦略
(11-3)「競争でヒトラー礼讃」する呉越同舟の「醜態」ぶり
(11-4)アジア侵略の思想戦の先兵としての日本の大手メディア
(12-0)第十二章 敗戦後の「ケイレツ」生き残り戦略
(12-1)「自らを罪するの弁」から「一斉に右へならへ」までの軌跡
(12-2)「新聞自体が生きのびるため」の基本条件を棚に上げた議論
(12-3)「社長……」と嗚咽しつつ、今度は米軍に妥協した戦後史
(12-4)レッド・パージに先駆けた読売争議で三七名の解雇と退社
(13-0)第十三章「独裁主義」の継承者たち
(13-1)「ワンマン正力」の後継者決定の七か月の骨肉の争い
(13-2)「日本テレビ、粉飾決算」の爆弾犯人は誰だったのか
(13-3)「円月殺法」答弁を自慢する元自治省事務次官の赤字決算
(13-4)「はで」な警防で「絨毯爆撃を仮想」、「個人はない」と講義
(13-5)最後の「独裁」継承者はフィクサー児玉誉士夫の小姓上がり
(13-6)「公開質問状」に答えない読売広報部の大手メディア体質
(13-7)政治思想経歴を詐称する元学生共産党細胞長の出世主義
(14)あとがき
(15)資料「まぼろしの読売社説」(1923.11.7)
(16)主要参考資料
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