沖縄県 第一準備書面
平成七年(行ケ)第三号
原告 内閣総理大臣
村 山 富 市
被告 沖縄県知事
大 田 昌 秀
一九九五年一二月二二日
右被告訴訟代理人
弁護士 中 野 清 光
同 池宮城 紀 夫
同 新 垣 勉
同 大 城 純 市
同 加 藤 裕
同 金 城 睦
同 島 袋 秀 勝
同 仲 山 忠 克
同 前 田 朝 福
同 松 永 和 宏
同 宮 國 英 男
同 榎 本 信 行
同 鎌 形 寛 之
同 佐 井 孝 和
同 中 野 新
同 宮 里 邦 雄
右指定代理人
同 宮 城 悦二郎
同 粟 国 正 昭
同 大 浜 高 伸
同 山 田 義 人
同 垣 花 忠 芳
同 兼 島 規
同 宮 城 信 之
同 比 嘉 靖
同 仲村渠 重 政
同 上 原 貴 志
福岡高等裁判所
那覇支部御中
目次
第一 はじめに
一 本件訴え提起の意味するもの
二 沖縄県知事の基本的立場
第二 本件訴訟の審理の範囲
一 総理大臣と県知事との法的関係
二 砂川町長職務執行命令事件最高裁判決
三 本件審理の範囲
第三 沖縄の苦難の歴史
一 戦前の沖縄
二 沖縄戦
三 戦後の沖縄
第四 沖縄の米軍基地の形成過程
一 沖縄占領から対日平和条約発効まで
二 対日平和条約発効から沖縄返還まで
三 沖縄返還
四 復帰後の土地の強制使用
第五 米軍基地の実態と被害
一 米軍基地の概況
二 米軍の演習・訓練及び事件・事故の状況
三 環境破壊
四 振興開発の阻害
五 行政事務の過重負担
第六 米軍基地等に対する沖縄県民の世論
一 行政と世論
二 政治意識調査
三 まとめ
第七 米軍基地に起因する憲法問題
一 平和的生存権
二 平等原則違反
三 財産権の侵害
第八 地方自治と国の機関委任事務
一 地方自治の本旨
二 知事の責務と機関委任事務の内在的限界
三 地方自治の本旨に反する本件立会・署名
第九 駐留軍用地特措法に基づく本件立会・署名の違憲・違法性
一 駐留軍用地特措法の違憲性
二 駐留軍用地特措法を本件各土地に適用することの違憲性
三 本件強制使用認定の違法性
四 本件土地・物件調書の作成手続・内容の瑕疵
第一〇 地方自治法一五一条のニの要件の欠缺
一 地方自治法一五一条のニの要件
ニ 法令違反等の不存在
三 他の是正措置の存在
四 公益侵害の不存在
第一一 結び
第一準備書面
被告は、その主張の骨子を次のとおり明らかにする。
第一 はじめに
一 本件訴え提起の意味するもの
原告内閣総理大臣村山富市が被告沖縄県知事大田昌秀に対して提起した本
件訴えは、その形式・外形は駐留軍用地特措法(一四条一項)、土地収用法
(三六条)、地方自治法(一五二条の二)に基づく土地・物件調書への立会
・署名を求めるもので、沖縄県収用委員会に対する裁決申請手続に必要とさ
れる一連の手続の一環である。
しかし、実質的にその意味するものは、日本というこの国の基本法たる日
本国憲法の、そのまた基本原則たる基本的人権、平和主義、民主主義の根幹
にかかわリ、極めて重大である。そして、その内容は深刻かつ広範にわたる
ものである。
本件訴えの目的・狙いは、米軍用地として提供するために、沖縄県民の所
有する土地を、その所有者の意思に反して、無理やリに強制使用すること、
そのための権原を国が取得することにある。それは広大・強大な沖縄の米軍
基地を維持・存続させることを意味する。
米軍基地の維持・存続は、第一に、「銃剣とブルドーザー」による強制接
収に象徴される米軍支配下の土地強奪をはじめ、過去の沖縄における不法な
米軍基地の形成を合理化、合法化、正当化することを意味する。
第二に、基地あるが故のさまざまな被害、米軍犯罪や騒音、流弾、山林火
災、廃油流出、赤土汚染等の環境破壊、産業振興、都市形成等の地域振輿開
発の阻害等、基地被害の絶え間ない発生をもたらす。
そして、第三に、日本や極東地域だけでなく、ひろく太平洋、インド洋、
中東、アフリカに至る全地球的規模の広範囲にわたって展開する米車の軍事
行動・軍事介人による他国や他民族への抑圧と威嚇、世界平和への脅威の源、
発信地となっている沖縄基地のもつ加害者的役割を、引続き沖縄が担わされ
ることをも意味する。
米軍基地は、沖縄における諸悪の根源といわれてきたが、その維持・存続
は、沖縄県民への犠牲と他国民への加害の役割と立場を、沖縄と沖縄県民に
強要することである。このようなことが過去五○年に引続き、更に将来にわ
たって存続させられることは、沖縄県民には耐えがたいことであリ、県民の
代表たる知事にとっても到底許容できるものではない。
このような目的をもち、結果をもたらすことになる本件訴えが、財産権の
保障や法の下の平等を含む基本的人権尊重主義、平和的生存権を中核にもつ
平和主義、地方自治の本旨を強調する民主主義の原理などを基本原則に掲げ
る日本国憲法のもとで、法と正義の名において許されるか否かが、本件訴訟
の本質的問題である。
二 沖縄県知事の基本的立場
知事は、十代の青春時代に鉄血勤皇隊の一員として沖縄戦に巻き込まれ目
前で多くの学友をはじめとする無数の無辜の一般住民が残酷に殺されていく
姿に接し、自らも九死に一生を得た沖縄戦の体験から、戦後は一貫して、沖
縄戦と沖縄近・現代史の研究に没頭してきた学究である。
その知事が、五年前の一九九○年、永年にわたる沖縄研究の成果をふまえ
て、県勢の発展のために、また、日本と世界の平和的発展に寄与するために、
戦争から生き延ぴた命を棒げたいという強い使命感をもって、沖縄県の知事
に就任した。昨年一二月には、 (1)憲法と沖縄の歴史に根ざした平和行政の
推進と、基地問題及び戦後処理問題の解決、 (2)経済の自立、特色ある産業
の振興、県民所得の向上と雇用の場の創出、 (3)沖縄の地理的、歴史的特色
を生かした、国際交流拠点にふさわしい社会基盤の整備と世界に開かれた国
際交流の推進、 (4)地方自治の碓立のため、県民とともに歩む開かれた県政
の推進など一○大基本政策を掲げ、県民の圧倒的な支持を得て二期目の再選
を果たした。
知事は、県民に公約したこの基本政策の実現をめざすとともに、国が策定
した第三次沖縄興開発計画が掲げる「本土との格差を是正し、自立的発展の
基礎条件を整傭するとともに、広く我が国の経済社会及び文化の発展に寄与
する特色ある地域として整備を図り、・・・平和で活力に満ち潤いのある沖
縄県を実現する」ことを目標に全力を傾けている。
沖縄は、歴史的にも、「武器なき邦」、「平和愛好の民」として内外に広
く知られており、また、沖縄県民は、沖縄戦と米軍支配下の痛苦の経験から
戦争の悲惨さと平和の尊さを認識し、強い平和志向の念をもっている。
去る大戦の過程で、沖縄は日本本土防衛の捨て石の役割を担わされたのに
加えて、戦後も米軍支配のもとで太平洋の要石として軍事基地化され、それ
が復帰後の現在まで引き継がれ、実に五○年もの長期にわたり、基地の重圧
のもとに呻吟させられてきた。
沖縄戦の戦禍をとおして、沖縄県民一人ひとりが身をもって体験し体得し
たことは「命(ヌチ)どぅ宝」という人間の命の尊さと、戦争を憎み平和を
愛する「沖縄のこころ」であった。沖縄には「他人(チユ)に殺(クル)さっ
てん寝(ニ)んだりしが、他人(チユ)殺(クル)ちぇ寝(ニ)んだらん」
(他人に痛めつけられても眠ることはできるが、他人を痛めつけては眠るこ
とができない。)という言い伝えがある。この戦争を憎み平和を愛する「沖
縄のこころ」は、沖縄が戦場となり沖縄県民が直接の被害者にならなくとも、
沖縄に存在する基地からの出撃・補給により他国民が被害者となること、そ
れによって自らが間接的な加害者となることをも拒否する。
こうした気持ちの表れが、県民と県民の代表である知事の平和・反基地の
主張の本質である。平和・反基地の主張は、ありきたりの政治スローガンで
はなく、県民の生活実感をとおした心からの叫ぴであり、未来にわたって人
間的生き方を希求してやまない切実な願いである。そして、この沖縄県民と
知事の願いと主張は、日本国憲法の精神に合致し、多くの日本国民と人類普
遍の願いに通じるものである。
このような認識のもと、知事は、特に平和行政の推進と基地問題の解決促
進を沖縄県の最重要課題に位置づけ、知事就任以来その解決に鋭意取り組み、
「基地の島」沖縄を「みどり豊かで平和な島」に変えるべく最大限の努力を
重ねてきた。
沖縄県の基地問題に対する基本政策は、来るべき二一世紀に向けて、若い
世代が希望の持てる「基地のない平和な沖縄をめざし、米軍基地の整理縮小
を促進する」ことである。
しかし、復帰後今日まで返還された米軍施設は、復帰時の面積のわずか一
五%にしか過ぎず、国土面積の○・六パーセントしかない狭隘な沖縄県内に、
米軍専用施設の七五パーセントが集中しているのが現実である。戦後五○年
を経た今なお過密な米軍基地の負担を、沖縄県民は否応なしに背負わされ、
その重圧のもとに苦悩させられているのである。
米軍基地の存在は、沖縄の地域特性を生かした振興開発による自立的発展
を阻害し、米軍基地から派生する米兵による暴行事件のような無数の事件・
事故や騒音、山火事等にみられる環境破壊は、県民の生命、安全を脅かし、
その基本的人権を日常的に侵害し続けている。
しかも、「東アジア・太平洋地域合衆国安全保障戦略報告」(ナイ・イニ
シアチプ)や「安保の再定義」にみられる最近の日米安保体制をめぐる動向
は、日米安保条約の地球規模化(グローバル化)をめざし、沖縄基地の整理
縮少ではなく、その固定化につながるのではないかと危倶されるものである。
本件立会・署名を求める職務執行命令は、このような沖縄県のおかれた厳
しい現実の容認を強要し、県民の切実な願いをふみにじり、憲法の精神に合
致した沖縄県の基本政策に反するものである。
県民の負託を受けた知事は、「地方自治の本旨」に基づき、県民の基本的
人権を保障し、県民の生命、安全を守り、福祉の増進を図ることをその責務
としている。知事が機関委任事務を行うにあたっても、この責務に何ら変り
はない。
したがって、地方自治体をとおして遂行されることになる機関委任事務に
よって、憲法が基本的人権として保証する地域住民の平和のうちに生きる権
利や財産権などを侵害し、あるいは、結果的に地域住民の生命・財産の侵害
を容認したり又はこれに加担したりすることになったり、また、地域の振興
開発の阻害要因の是正を将来にわたって放棄させることとなるような場合に
は、知事は、「地方自治の本旨」に基づき、地域住民の総意を踏まえてこれ
を拒否し、さらに、地域にふさわしい地方自治の内容を創造する義務を負っ
ていると言わなければならない。
本件立会・署名は、これが仮に機関委任事務だとしても、知事が、これを
行わない即ち拒否することこそ、県民の総意に基づき、かつ地方自治の本旨
にそい、憲法原理と真の公益を実現するものであり、正当で正義に適うもの
である。
第二 本件訴訟の審理の範囲
一 総理大臣と県知事との法的関係
地方自治法一五一条の二、三項の趣旨は、公選による普通地方公共団体の
長が独自の立場から国の要求を拒否した場合、裁判所に地方公共団体の自主
独立性を尊重しつつ法に従って公正に審理・判断させようというものであり、
それによって中央政府の一方的な意思による恣意的な権力の発動を防止・抑
止しようとするものである。
二 砂川町長職務執行命令事件最高裁判決
この問題については、周知のようにすでに最高裁判所の判決がある(一九
六○年六月一七日)。その要旨は、 (1)「地方公共団体の長本来の地位の自
主独立性の尊重と、国の委任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の
実効性の確保との間に調和を図る必要があり、地方自治法第一四六条は、右
調和を図るためのいわゆる職務執行命令等訴訟の制度を採用したものと解す
べきである。」、 (2)「この趣旨から考えると、職務執行命令訴訟において、
裁判所が国の当該指揮命令の内容の適否を実質的に審査することは当然であっ
て、したがってこの点、形式的審査でたりるとした原審の判断は正当でない。」
この判決は、今日でも学界で支持されている。その後、一九九一年の地方
自治法の改正により、地方自治体の長が命令を拒否した場合の罷免制度など
が廃止され、地方自治の本旨が一層生かされるようになった。
三 本件審理の範囲
1 駐留軍用地特措法の違憲性について
駐留軍用地特措法は土地収用法とともに本件手続全体の基本になる法
律であるが、この合憲性・違憲性についての審理が本法廷でなされるべ
きことは、当然である。
先例として右砂川事件の差戻審・東京地裁判決(一九六三年三月二八
日・判例時報三三一号)がある。同判決は、「都遺府県知事や市町村長
は、地方自治体の長としての立場において、憲法に違反するごとき法律
によって特別に課せられた国の事務たる職務については、その遂行を拒
否することができるものと解する」と判示している。
2 使用認定の違法性について
次に内閣総理大臣の使用認定が適法か否かの論点であるが、前記砂川
事件差戻審判決は、収用認定の適法・違法などの論点は審理の範囲外だ
とした。その理由は、土地収用認定など、手続的に先行した行為はそれ
ぞれの機関が判断権をもっており、町長はそれについて判断権限はない
というのである。
この判決は、先行行為・後続行為という論理に惑わされ、誤りを犯し
ている。前記最高裁判決がいうように、先行行為・後続行為にかかわり
なく、裁判所がすべての状況を考慮して形成判決的に判断すればよいの
である。駐留軍用地特措法のいう「適正且つ合理的」の要件について判
断する場合、知事が立会・署名を拒否した理由・その背景事情を勘案し
て審理・判断すべきである。
3 地方自治法一五一条の二、一項の要件について
同項は、「国の執行機開としての都道府県知事の権限に属する国の事
務の管理若しくは執行が法令の規定若しくは主務大臣の処分に違反する
ものがある場合」「執行を怠るものがある場合」、「本項から第八項ま
でに規定する措置以外の方法によってその是正を図ることが困難であリ、
かつ、それを放置することにより著しく公益を害することが明らかであ
るとき」などの要件を掲げている。この要件の存否の判断は裁判所のな
すべき事項であることに異論はない。この点について判断する場合、特
に立会・署名を拒否した知事が県民世論を背景に主張している事項を裁
判所は十分勘案すべきである。そうでないと「執行を怠る」にしろ「公
益」にしろ、裁判所は単純に政府・国にお墨付きを与える機関に堕すこ
ととなり、裁判所自らが司法権の独立を放棄することになるのである。
第三 沖縄の苦難の歴史
一 戦前の沖縄
1 一六〇九年、薩摩藩の島津氏は、兵三〇〇〇名と船一〇〇隻をだして、
琉球を征服した。薩摩は、琉球の支配実権を握り、徳川幕府や諸藩に対
しては、琉球を付庸していることを誇示していたが、他方、中国との関
係では、琉球が薩摩に隷属していることが発覚すれば、中国との通交が
拒絶されることをおそれて、中国に対してひた隠しにしていた。一八七
九年の明治政府による「琉球処分」以前の沖縄は、薩摩への付庸、清国
への朝貢という二元的な従属体制をとり、いわば日清両属の政治形態を
余儀なくさせられたのであった。こうして民衆は薩摩と首里王府の二重
の収奪にあえぎながら、明治維新をむかえた。
一八六八年、明治政府が成立し、中央集権的国家体制確立のための政
策がおしすすめられ、琉球問題も政治日程にのぼっていった。まず、明
治政府は、一八七一年の廃藩置県とともに、琉球王国をひとまず鹿児島
県の管轄下に置いた。ところが、同年一二月、沖縄の宮古島住民六九人
が台湾に漂着し、その中の五四人が殺害されるという事件が発生し、琉
球は急速に明治政府の関心を引くことになった。この事件を契機にして、
明治政府は日清両属を精算し、沖縄が日本のみに専属していることを公
然化させるため、一八七二年に琉球王国を鹿児島県から引き離して琉球
藩とし、最後の琉球国王尚泰を琉球藩主とした。
一八七九年、明治政府は、警官一六〇人、歩兵大隊四〇〇人を出動さ
せ、琉球藩を廃し沖縄県を設置する廃藩置県を断行した。このいわゆる
「琉球処分」は、琉球が日本の近代国家の中に強制的に統合される過程
であり、それ自体は当時の歴史的事情からは必然であったと言える。し
かし、それは、琉球側(支配者及び人民)の主体的な意思や働きより導
かれたものではなかった。むしろ、琉球の支配階級(士族)の反対、抵
抗を押さえて、一方的に貫徹された。
沖縄県の発足によって、琉球処分は内政的には一応の決着をみた。し
かし、明治政府の一方的なやり方は清国側の執拗な外交的抗議に直面す
ることとなった。明治政府は、台湾に近い八重山・宮古島の両先島を割
譲する代わりに、一八七一年に締結された日清修好条約を改正して、日
本にも西欧なみの待遇を追加するという案を提示した。ついに、一八八
八年には、日本側の希望通り交渉妥結をみるに至り、両国代表の調印を
まつばかりになった。しかし、この案は清国とロシア間の国境問題のあ
おりを受け、結局うやむやになり、現在の沖縄県の形に固定することに
なるのである。
2 このように、沖縄県は近代日本の版図に強制的に組み込まれたものであ
この遅れが沖縄県民に他府県人と平等に認められていないという、ある種
の屈辱感と悲哀をもたらす大きな要因となり、できるだけ日本化しようとす
る為政者や教育界の動きとなっていった。また、昭和に入り、中央での国民
精神総動員運動の流れに伴い、県内でも国民的同化・一体化が強くおしすす
められた。
二 沖縄戦
一九四五年三月二六日、米軍は沖縄本島西方海上の慶良間諸島に上陸し、
ついで同年四月一日、沖縄本島に上陸した。米艦船は上陸地点に終結して猛
火をあびせかけ、空からは艦載機が爆撃をくり返した。これらの砲爆撃の支
援の下で、米軍の主力部隊六万余が、日本軍の抵抗にあうことなく上陸を敢
行し、飛行場を占領した。
米軍は、七個師団、兵力一八万三〇〇〇からなり、これに補給部隊をあわ
せると、総勢約五五万人ともいわれ、太平洋戦争中最大規模の編成であった
のに対し、日本軍・沖縄方面守備軍は総勢約一一万人であり、戦力に圧倒的
な差があった。この頃、日本軍は本土決戦の準備を進めており、そのために
は米軍を少しでも長く沖縄に釘付けして時をかせぐ必要があった。日本軍は、
可能な限り敵の攻撃を持ちこたえて、敵軍にもより多くの犠牲を強いる作戦、
いわゆる持久戦を敢行した。慶良間諸島への米軍の上陸を傍観し、沖縄本島
への無血上陸を許したのも、日本軍の作戦任務が飛行場の守備よりも持久戦
のための兵力温存が優先していたからに他ならなかった。日本軍は、飛行場
地帯を放棄して首里北方の地下陣地に兵力を集中して、猛烈な砲爆撃にさら
されながら一進一退の白兵戦を続けたが、五〇日に及ぶ攻防戦の末、壊滅的
な打撃を受けた。軍司令部は、持久戦遂行のため、首里決戦をさけて同年五
月に沖縄本島南部の摩文仁一帯に移動した。
この沖縄戦引き延ばしのために、住民たちの尊い命が犠牲となった。浦添
市の記録でみると、戦死率は四四・六%と高いが、時期別にみると、首里の
司令部が摩文仁へ移った同年五月二八日を境にして、それまでの戦没者は全
体の四五・三%、首里撤退以降は五四・三%(不明〇・四%)が犠牲となっ
ている。
日清・日露戦争から「満州事変」以降の日本に関わる戦争のすべては、外
国を戦場としてきた。有史以来体験したことのない地上戦の結果、約一六万
人もの多数の県民が戦火の中で非業の死を遂げた。
沖縄戦は、いわゆる鉄の暴風となって荒れ狂い、山野の地形まで変えてし
まい、それにもまして多大な人的・物的犠牲をもたらした。県民は今なお、
戦争の傷痕を背負わされている。
県民は、沖縄戦をとおして、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を
求め、生命の尊さと人間性の発露である文化をこよなく愛することの大切さ
を身をもって体験した。
沖縄県は、戦争の犠牲となった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正
しく次代に伝え、世界の恒久的平和に寄与するため、沖縄戦最後の決戦の地
摩文仁に、県立平和祈念資料館を設置している。平和祈念資料館の「展示の
むすびの言葉」はつぎのように記されている。
「沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍でこれほど汚辱にまみれたものはないと思うのです
このなまなましい体験のまえでは
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することはできないはずです
戦争をおこすのはたしかに人間です
しかしそれ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち人間ではないでしょうか
戦後このかた私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねばと思いつづけてきました
これが
余りにも大きな代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです
三 戦後の沖縄
沖縄の戦後は、一九七二年五月の沖縄返還の前後に大きく二分することが
できる。占領政策のうえで、沖縄を日本本土から分離することを最初に明ら
かにしたのは、一九四六年一月二九日付のGHQ覚書である。当初米軍部は、
非武装日本の存在を想定しつつ、沖縄の日本からの分離と軍事基地化を考え
ていた。
一九五〇年六月朝鮮戦争が勃発し、その影響下で、アメリカの対日講和構
想が具体化する。日本が独立して後も、沖縄が米軍支配化にとり残されるこ
とがはっきりすると、民衆の政治的動向は急速に日本復帰の方向に集約され
ていった。「平和憲法化への復帰」を求める日本復帰運動の始まりである。
しかし、こうした住民の意向は、一顧だにされることなく、一九五一年九月
八日対日平和条約が締結され、その三条によって沖縄は日本から半永久的に
分離されることになった。
対日平和条約が締結された日、同じサンフランシスコで日米安保条約が締
結され、この二条約は翌年四月二八日、同時に発効した。その結果アメリカ
は、日本全土に軍事基地を維持し続けることが可能になった。日本の非武装
化を前提にして沖縄の分離軍事支配が考えられていた段階とは、明らかに状
況が異なっていた。対日平和条約三条下の在沖米軍基地は、日米安保条約下
の在日米軍基地とは、明確に異なった役割を担わされていた。それは、核兵
器の持ち込みや戦闘作戦行動の自由を保障し、日本、韓国、フィリピン、台
湾等の米軍基地の一体化した機能を確保するという役割であった。
沖縄では、すべてに軍事政策が優先した。そして軍事優先政策は、当然な
がら民衆の言論活動や日常生活を著しく制約した。由美子ちゃん事件(米兵
による六歳の幼女暴行惨殺事件)に象徴されるような米兵犯罪や「銃剣とブ
ルドーザーによる土地接収」が頻発した。一九五〇年代中頃のほぼ同じ時期
に起きた東京都砂川町の立川基地拡張問題と沖縄の伊江島・伊佐浜の土地取
り上げを対比させるとき、対日平和条約三条下の沖縄と日米安保条約下の日
本本土との差異がはっきりする。こうした状況に対する住民の総抵抗が、一
九五六年六月に爆発したいわゆる「島ぐるみ闘争」である。島ぐるみ闘争は、
一括払の廃止と軍用地料の引き上げという経済的条件闘争として、一応の終
止符を打ったが、この闘争によって沖縄の民衆は、自らの力に対してある程
度の自信をもった。また島ぐるみ闘争は、日本国民にも一定の共感を呼び起
こし、これ以降沖縄問題は、日本における政治的争点として存在し続けるこ
とになった。
その後の沖縄における政治状況の流動化を一挙に押しすすめたのは、ベト
ナム戦争の全面的拡大である。やがて、日本政府は、いわゆる沖縄返還交渉
に乗り出す。沖縄返還交渉の本質は、一九六〇年代後半、相対的な力関係が
変化しつつあった日米両国が、その軍事的、政治的、経済的役割分担を、日
本の役割を増大させるかたちで再調整するための話し合いであった。日米両
政府は、一九六九年一一月の日米首脳会談で、沖縄の七二年返還に合意した。
日本復帰(沖縄返還)によって、沖縄にも日米安保条約、地位協定および
その実施に伴う特別法が適用されることになったが、それは決して、沖縄が
「本土並み」になったことを意味しなかった。沖縄の民衆の求めたものは、
「平和憲法下への復帰」であったのに対し、現実の七二年沖縄返還は、米国
に沖縄基地の継続使用を許したものであった。日本政府はいわゆる公用地法
によって米軍用地の強制使用を図った。要するに復帰後の沖縄における米軍
基地問題の核心は、事実上の軍事占領下で、つくりあげられてきた米軍基地
とその機能を、日米安保条約、地位協定、その実施に伴う特別措置法等の下
で、保障したという点にある。
第四 沖縄の米軍基地の形成過程
一 沖縄占領から対日平和条約発効まで
一九四五年四月から六月にかけて激烈を極めた沖縄戦は、鉄の暴風となっ
て荒れ狂い、一般市民を巻き込んでの多大な犠牲をもたらし、全島を焦土と
化して終結した。 沖縄を占領した米軍は、旧日本軍が接収して築いた嘉手
納、読谷各飛行場などを中心に基地構築を開始し、生き残った住民を収用所
に強制収用して、あたかも白地図に線を描くがごとくにして、必要な土地を
好きなだけ囲い込み、軍用地を確保した。やがて、住民が収容所から引き上
げてくると、故郷は基地の金網の向こうに消え、住民は僅かに残された土地
で再出発することを強いられた。
一九四九年に中国大陸において革命が成功して中華人民共和国が成立し、
一九五〇年には「冷戦の熱い戦争」朝鮮戦争が勃発する等の極東情勢の急変
により、米国は沖縄を「太平洋のキーストーン(要石)」であると表明して
極東における重要な軍事戦略拠点に位置づけた。そして、新たな生活を始め
ていた住民から、再び土地を接収し、恒久的基地建設を強行していったので
ある。
米軍は、これらの土地接収は、ヘーグ陸戦法規に基づくものであると説明
していたが、ヘーグ陸戦法規は、戦争中に、食糧や衣類などの必要最小限の
動産を徴発することを認めているにすぎず、戦争終了後の戦略基地建設用地
の取得の根拠となるものではない。明らかに国際法に違反する土地接収であっ
た。
二 対日平和条約発効から沖縄返還まで
冷戦が激化していくなか、米国は日本に対して、軍需産業の復活、米軍基
地の維持強化と日本の再軍備を求めるようになったが、これは、日本軍国主
義の解体と民主化を内容とするポツダム宣言に違反するものであった。そし
て、一九五一年九月八日に「対日平和条約」が締結され、日本は独立したが、
同条約三条によって、沖縄は日本から分断され、米国の施政下におかれるこ
とになった。日米両政府は、日本復帰を願う沖縄の住民の意思を踏みにじり、
沖縄を日本から切り捨てたのである。対日平和条約の発効日である一九五二
年四月二八日は、以後沖縄では「屈辱の日」と呼ばれるようになった。
対日平和条約の発効によってヘーグ陸戦法規という土地接収の口実を失っ
た米軍は、今度は次ぎから次ぎへと布告・布令を公布して、軍事基地の継続
確保を図った。 米軍はまず、「契約権」を公布して、賃貸借契約によって
土地の継続使用を確保しようとしたが、賃貸借期間が二〇年もの長期にわた
り、しかも一坪の年間賃料がコーラ一本の五分の一の金額というただ同然の
ものであったため、契約による土地取得は失敗した。すると米軍は、一九五
三年四月には「土地収用令」を公布して、強制的な土地接収を開始したが、
その方法は、銃剣で武装した米兵に守られたブルドーザーが、住民の反対を
押し切って家屋を押し倒し、耕作地を敷きならしていくという、文字通りの
土地強奪であった。
土地を強奪された住民は各地にあふれた。伊江村真謝区の住民などは、栄
養失調で妊婦が死亡していくような土地強奪の悲惨な実情を訴えるため、区
民全員が乞食となって、沖縄全島を乞食進行した。こうしたなか、時の立法
院をはじめ、行政府、市町村その他の各種団体が一斉に、絶対的権限をもつ
米軍を相手どって、土地を守闘いに立ち上がった。現地においては、住民が
銃剣とブルドーザーの前に座り込み、また行政主席と県民代表は連日米国民
政府と折衝を重ねていった。
しかし、土地取り上げに反対する沖縄県民の声に対し、米国は、軍用地料
を一括払いして土地を恒久的に使用するという政策をもって応える旨を表明
したのである。これは、沖縄県民にとっては決して容認できないことであっ
た。沖縄県民は、平和憲法を持つ日本国への復帰を願っていたのであり、基
地の恒久化につながる軍用地料一括払いなど決して認めるわけにはいかなかっ
たのである。県民の怒りは「島ぐるみ闘争」へと発展していった。立法院、
行政府、市町村長会、軍用地主連合会は、一括払い阻止をできなかった場合
には総辞職する旨を決議し、県民は、各地で反対の集会を持ち、県民総決起
大会には一五万人もの県民が結集した。そして、沖縄県民の怒りに押され、
ついに米軍は軍用地料一括払い断念に追い込まれたのである。
三 沖縄返還
一九六九年の佐藤・ニクソン共同声明によって、沖縄の七二年返還が決まっ
たが、その内容は、沖縄基地の重要性とその機能維持が強調され、復帰後も
沖縄の軍事基地が不変であるとの約束がなされた。このような復帰の内容が
明らかになるにつれて、県民が叫び続けてきた核も基地もない形での真の復
帰に逆行するものであることが判明した。共同声明に沿った復帰を不満とす
る県民の抗議と完全本土並み返還を要求する運動は大きな盛り上がりとなっ
てあらわれた。しかし、ここでも沖縄県民の声は封殺され、共同声明を具体
化した形で沖縄返還協定が調印され、膨大な米軍基地は、日米安保条約体制
下に組み込まれてそのまま存続することとなったのである。
四 復帰後の土地の強制使用
日本復帰に伴い、施政権を失った米軍に対し、日本国はなお沖縄における
米軍基地を引き続き提供するため、公用地法を制定し、更に地籍明確化法を
制定した。これらの法律について、琉球政府そして復帰後の沖縄県は憲法二
九条、三一条および一四条に違反するものであると強く抗議したが、日本政
府は、沖縄県の抗議を受け入れず、これらの法律を駆使して米軍用地として
強制使用していった。さらに、地籍明確化法による使用期限が切れると、事
実上、「死法化」していた駐留軍用地特措法を突如復活させ、強権発動した
のである。
このように、沖縄における米軍用地は、沖縄戦に伴い米軍が住民の意思を
無視して強制的に接収し、その後も銃剣とブルドーザーで強奪して形成され
たものである。これについて日本政府は何ら抜本的な改善を行わないばかり
か、むしろそれを追認したのである。その結果、戦後五〇年間も米軍基地と
して使用されているが、これは事実上、戦争による占領が現在もなお継続し
ていることを物語るものである。このような苦しみを味わされているのは、
我が国において沖縄県以外にはない。
第五 米軍基地の実態と被害
一 米軍基地の概況
沖縄には、一九九四年三月末現在、県下五三市町村のうち二五市町村にわ
たって四二施設、二万四五二六ヘクタールの米軍基地が存在しており、県土
面積の一〇・八パーセントを占めている。
沖縄県は、復帰後、常に、基地の整理縮小と跡地利用を重点政策に掲げて
施策を進めてきており、また、日米両政府に対しても、これまで、基地の整
理縮小をいくどとなく要請して来ている。
しかし、沖縄の基地の整理・縮小については、日米両政府ともその必要性
を認めながら、実際は、遅々として進んでいない。
それに比して、本土においてはいわゆる関東計画等による整理・縮小が着
実に進展して来ている。実際に復帰時から現在までの施設の返還状況を本土
と比較すると、次の通りである。
米軍専用施設の返還状況(施設面積)
一九七二年五月一五日(本土は一九七二年三月末)
本土 一万九七〇〇ヘクタール
沖縄 二万七八九三ヘクタール
一九九四年三月末(本土は一九九四年一月一日)
本土 八〇六〇ヘクタール(五九・一パーセント減少)
沖縄 二万三七三九ヘクタール(一四・九パーセント減少)
以上により、基地の整理縮小について、沖縄が本土に比べて、著しく立ち
遅れた取扱いを受けていることが明白である。
1 在沖米軍施設の全国比率
一九九四年三月末現在の米軍基地の状況を全国(本土の米軍基地に
ついては、一九九四年一月一日現在)と比べてみると、沖縄の米軍基
地面積は、全国の米軍基地面積の二四・九パーセントに相当し、北海
道の三四・七パーセントに次いで大きな面積を占めている。中でも米
軍が情事使用できる専用施設に限ってみると実に全国の七四・七パー
セントが、国土面積のわずか〇・六パーセントしかない沖縄県に集中
しており、他の都道府県に比べて過重な基地の負担を強いられている。
他の都道府県の面積に占める米軍基地の割合をみると、沖縄県の一
〇・八パーセントに対し、静岡県一・二パーセント、山梨県一・一パー
セントが一パーセント台であるほかは、他は一パーセントにも満たな
い状況であり、また、国土面積に占める米軍基地の割合は〇・二六パー
セントである。
沖縄県においては米軍基地面積の九六・八パーセントが専用施設で
あるのに対し、他の都道府県においては、米軍専用施設は米軍基地面
積の一〇・九パーセントに過ぎず、大半は自衛隊施設等を米軍が一時
的に使用する形態となっている。
2 所有形態
一九九四年三月末現在における沖縄県の米軍基地の所有形態をみる
と、私有地が三二・七パーセント、市町村有地が三〇・五パーセント、
県有地が三・六パーセントと、全体の六六・八パーセントが民公有地
となっており、国有地は三三・二パーセントである。
これは、本土の米軍基地面積の八七パーセントが国有地で、民公有
地は一三パーセントに過ぎないのに比べると、大きな特徴である。本
土の米軍基地の大半が戦前の旧日本軍の基地をそのまま使用してきた
のに対し、沖縄県の米軍基地は、旧日本軍の基地の使用に止まらず、
米軍による民公有地の新規接収が各地で行われた背景の違いを表して
いる。
3 用途別使用状況
一九九四年三月末現在の沖縄県の米軍基地の用途状況をみると、
「演習場」が施設数、面積とも多く、一七施設、一万六三七四ヘクター
ル(全基地面積の六六・八パーセント)となっている。
この「演習場」施設には、県内の米軍基地で最大の面積を有する
「北部訓練場」をはじめ、実弾射撃訓練に使用される「キャンプ・シュ
ワブ」や「キャンプ・ハンセン」、パラシュート降下訓練が行われる
「読谷補助飛行場」、部隊の上陸訓練が行われる「金武ブルービーチ
訓練場」「金武レッドビーチ訓練場」などのほか、南部地区や八重山
地区(尖閣諸島)の離島に存在する射爆撃場等がある。
次に面積が大きいのは「倉庫」で、三施設、三二八〇ヘクタール
(全基地面積の一三・四パーセント)を占めている。
この施設には、各軍が必要とする弾薬の総合貯蔵・補給施設として
重要な役割を果たしている「嘉手納弾薬庫地区」や「辺野古弾薬庫」
の二つの弾薬庫のほか、在日米軍の中でも主要な兵站基地となってい
る「牧港補給地区」があるが、「嘉手納弾薬地区」だけで「倉庫」施
設の面積の九〇パーセントを占めている。
三番目に面積が大きいのが「飛行場」施設で、「嘉手納飛行場」と
「普天間飛行場」の二施設、二四七九ヘクタールである。この両施設
はいずれも中部地区に存在し、しかもそれぞれ空軍及び海兵隊の中枢
基地となっているものである。
このほか、沖縄県の米軍基地には、「キャンプ瑞慶覧」や「キャン
プ・コートニー」等の「兵舎」施設が五施設、九五四ヘクタール、
「象の檻」と呼ばれる施設を有し、軍事通信の傍受をしていると言わ
れている「楚辺通信所」、陸軍特殊部隊(グリーンベレー)が配備さ
れている「トリイ通信施設」等の「通信施設」が七施設、四四七ヘク
タール存在する。
また、第七艦隊の兵站支援港で原子力潜水艦の寄港地としても重要
な役割を果たしている「ホワイト・ビーチ地区」や湾岸戦争の際の軍
事物資の積み出し港として使用された「那覇港湾施設」等の「港湾」
施設が三施設、二一八ヘクタール、軍病院が置かれている「医療」施
設が一施設、一〇八ヘクタールとなっているほか、事務所(工兵隊事
務所)が一施設、五ヘクタール、明確な用途区分ができない「奥間レ
ストセンター」や「陸軍貯油施設」等の「その他施設」が三施設、一
八二ヘクタールとなっている。
4 米軍訓練水域及び空域
一九九五年一一月末現在、沖縄周辺には、米軍の訓練のための水域
三〇箇所及び空域一五箇所が設定されている。
訓練水域については、常時立入り禁止、使用期間中立入り禁止、船
舶の停泊、係留投錨、潜水及び網漁業並びにその他すべての継続的行
為の禁止等の制限・禁止が行われている。
訓練空域については、那覇空港の場合、発着する航空機を管制する
ための空域が、半径五陸マイル(約八キロメートル)高度二〇〇〇
フィート(六〇〇メートル)未満に制限されているため、通常の空域
より、半径で一キロメートル、高度で三〇〇メートルも狭められてい
る。このため、民間機は低空飛行を余儀なくされ、飛行にあたっての
パイロットの精神的プレッシャーは大きいものがあるといわれている。
5 軍別状況
一九九五年三月末現在、沖縄県に存在する米軍基地を軍別の管理形
態によって区別すると、海兵隊、空軍、海軍及び陸軍となるが、これ
らの単独管理施設のほかに、二以上の軍が共用している施設もある。
(一)海兵隊
海兵隊は施設数、施設面積とも最も大きく、一九九四年三月末現
在、二〇施設、一万八四九〇ヘクタール(全基地面積の七五・四パー
セント)を占めており、軍人数も一九九四年一二月末現在、在沖米
軍の総兵員数の六一・一パーセント(一万七七三三人)が海兵隊員
となっている。海兵隊には、「キャンプ・コートニー」にある第三
海兵機動展開部隊の下に、第三海兵師団が同じく「キャンプ・コー
トニー」に配置され、その他に、第一海兵航空団が「キャンプ瑞慶
覧」に、また、第三部隊戦務支援隊が「牧港補給地区」に置かれて
いる。
(二)空軍
空軍は、一九九四年三月末現在、八施設、二一六五ヘクタールで
全基地面積の八・八パーセントとなっている。これに対し、軍人数
は、一九九四年一二月末現在で、総兵員数の二五・八パーセント
(七四八三人)と約四分の一を占めており、海兵隊と並び在沖米軍
の主力となっている。
空軍は、横田基地に司令部を置く第五空軍司令部の指揮監督下に、
第一八航空団が嘉手納飛行場に配置され、同航空団の指揮下には、
第一八支援群等が配置されている。
(三)海軍
海軍は、一九九四年三月末現在、七施設、三七四ヘクタールを有
し、全基地面積の一・五パーセントとなっている。また、軍人数は
一九九四年九月末現在、二九一七人で、総兵員数の一〇・一パーセ
ントである。嘉手納飛行場内に沖縄艦隊基地隊/嘉手納海軍航空施
設隊があり、その他、沖縄航空哨戒群等が配置されている。
(四)陸軍
陸軍は、一九九四年三月末現在、四施設、三八六ヘクタールで、
全基地の一・六パーセントである。また、軍人数は、一九九四年一
二月末現在、八八七人で、全兵員数の三・一パーセントである。陸
軍は、トリイ通信施設に第一〇地域支援群を置く他、第一特殊部隊
群(空挺)第一大隊等が配置されている。
二 米軍の演習・訓練及び事件・事故の状況
1 演習・訓練の概要
一九五二年一二月の日米合同委員会合意、一九七二年六月一五日の防衛
施設庁告示第一二号等に基づく、那覇防衛施設局からの演習通報によると、
米軍の演習・訓練は、水域、空域及び陸域において、恒常的に行われている。
各水域においては、水対空、水対水、空対空各射撃訓練及び空対水射爆
撃訓練、空対地模擬計器飛行訓練、船舶の係留、その他一般演習等が行わ
れている。
陸域においては、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンにおいて、
一般演習、小銃射撃、実弾射撃、廃弾処理、爆破訓練が、北部訓練場、金
武レッドビーチ訓練場、金武ブルービーチ訓練場、ギンバル訓練場、読谷
補助飛行場等で一般演習が恒常的に行われている。
2 県道一〇四号戦越え実弾砲撃演習実施状況
キャンプ・ハンセン演習場における第三海兵師団第一二海兵連隊による
県道一〇四号戦越実弾砲撃演習は、一九七三年三月三〇日の第一回から数
えて一九九五年一一月末までに一六三回実施されている。最近の演習にお
いては、三日間で六〇〇発の一五五ミリりゅう弾砲が発射された。
県道を封鎖して行われる実弾演習は、演習場に近接して住宅、学校、病
院等が位置し、また、着弾地の背後は県内随一の海浜リゾート地域(恩納
村)であり、危険である。
3 パラシュート降下訓練実施状況
読谷補助飛行場におけるパラシュート降下訓練は、一九七九年一一月六
日以降一九九五年一一月末までに一八二回実施されている。最近の訓練に
おいては、二日間連続で、一七九人が降下訓練を行っている。
一九九五年一一月までに、二九件もの事故が発生しており、ほとんどが
施設外降下である。復帰前には、一九五〇年の燃料タンク落下による少女
圧死、一九六五年のトレーラー落下による少女圧死等悲惨な事故も発生し
た。その後も提供施設外の農耕地や民家等に落下する事故が起きており、
地域の住民生活に不安を与えている。
4 原子力軍艦寄港状況
勝連半島の最先端に位置するホワイト・ビーチ地区は、神奈川県横須賀
基地、長崎県佐世保基地とともに原子力軍艦の寄港地である。沖縄県にお
ける復帰後の原子力軍艦の寄港状況は、一九七二年六月、原潜フラッシャー
の寄港以来、一九九五年一一月末現在で一〇七回を数える。とりわけ、一
九九三年から一九九四年の二年間で、三五回の寄港を数え、一九九四年は
過去最高の一八回を記録した。
一九八〇年三月のロングビーチ(巡洋艦)の寄港時においては、晴天時
の平均値を上回る放射能が検出され、当該海域及び周辺海域の魚介類が売
れなくなるなど地域住民に大きな不安と被害を与えた。
5 事件・事故
(一)復帰後の米軍航空機事故等
一九七二年五月の復帰以降一九九五年一一月末までに航空機関連
事故は、一二一件発生しており、そのうち固定翼機が六三件、ヘリ
コプターが五八件である。
これを、態様別でみると、墜落事故三六件、空中接触事故一件、
移動中損壊二件、部品落下事故二一件、着陸失敗一四件、低空飛行
一件、火炎噴射一件、緊急着陸四五件となっている。また、発生場
所でみると、基地内三七件、基地外八四件である。基地外について
は、住宅付近一五件、民間空港一六件、畑等一三件、空地その他一
二件、海上二八件である。
最近の航空機墜落事故は、次の通りである。
一九九四年四月四日のF−一五墜落炎上事故
(嘉手納弾薬庫地域内の黙認耕作地)
一九九四年四月六日のCH−四六墜落・機体大破事故
(普天間飛行場内の滑走路)
一九九四年八月一七日のAV−八Bハリア−攻撃機墜落事故
(粟国島近海)
一九九四年一一月一六日のUH一−Nヘリコプタ−墜落事故
(キャンプ・シュワブ内)
一九九五年九月一日のAV−八Bハリア−攻撃機墜落事故
(鳥島近海)
一九九五年一〇月一八日のF−一五C戦闘機墜落事故
(沖縄本島南南東海上105キロメートル)
一九九五年一〇月一八日のF−一五C戦闘機墜落事故について、
沖縄県議会は、一一月三〇日に臨時議会を開催し、F−一五イーグ
ル戦闘機墜落事故に対する意見書・抗議決議を全会一致で可決して
いる。同決議は「現場海域は、米軍の訓練水域外で、県内外のマグ
ロはえ縄漁やソデイカ漁の好漁場となっており、一歩間違えばこれ
ら漁業操業者を直撃して大惨事を引き起こしかねない」と指摘した
上で、 (1)事故原因の徹底究明と調査結果の公表 (2)原因究明まで
の間のF−一五イーグル戦闘機の訓練中止 (3)基地の整理縮小を求
めている。
同意見書は、村山首相、外務大臣等の日本政府要路あて、同決議
は駐日米国大使館、在日米軍司令部等の米国政府あてとなっている。
本件については、県議会の代表が直接要請・抗議活動を行った。
また、沖縄市、浦添市、嘉手納町等県内市町村議会においても同
様に意見書・抗議決議が採択された。
なお、一九九五年九月三日付けの地元紙の社説が、「これまでの
ところ、幸いというか、偶然というべきか、民間地域への墜落事故
には至っていない。しかし、児童ら死者一七人、負傷者一二〇人余
の犠牲者がでた 一九五九年六月の石川市宮森小学校への米軍ジェッ
ト機墜落事故の再現がないとの保障はない。それどころか、いつ、
私たちの頭上に墜落、爆発炎上してもおかしくない状況−と指摘、
警鐘を鳴らす専門家は多い。」と警告している。
(二)米軍構成員等による刑事事件について
沖縄県警察本部の犯罪検挙状況に関する資料によれば、一九七二年
五月から一九九五年八月末までの米軍人・軍属等による事件の検挙
件数は、合計で四七一六件であり、全刑法犯(件数)の約二パーセ
ントを占めている。また、犯罪検挙人数は、合計で四五九三人であ
り、全刑法犯(人数)の約六パーセントを占めている。
復帰後の、米兵による民間人殺害事件に限っても、一九九五年一
一月末現在、一二件発生している。二年に一件を越える発生状況で
ある。
近年の事件では、一九九三年二月の海軍兵による強姦致傷事件、
同年4月の金武町における海兵隊員による殺人事件、一九九四年七
月の海軍兵による強盗事件、一九九五年五月の海兵隊員による日本
人女性殺害事件があり、最近(一九九五年九月)の在沖米兵三人に
よる拉致及び暴行事件がある。
このような凶悪事件の発生は、基地と隣り合わせの生活を余儀な
くされている地域住民に大きな衝撃を与え、不安を招いている。
三 環境破壊
1 自然環境の破壊
(一)水質汚濁
米軍基地に起因する水質汚濁事例は、沖縄県が確認しただけでも、復
帰後、一九九四年三月までに六五回発生しており、し尿処理施設の汚水
や油脂類等の漏出による河川・海域の水質汚染をもたらしている。
基地の中でも、特に嘉手納飛行場からの油脂類等の汚染事例が多く、
復帰後、一九九五年一一月末現在、一六回も発生している。県民の飲料
水を採取している比謝川が嘉手納飛行場に隣接して流れており、また、
飲料用地下水の取水井戸も同基地内に存在することから、度重なる油脂
燃料類の流出は、環境の汚染はもとより県民の健康管理の面からも問題
である。
(二)土壌汚染
一九九四年一月にマスコミを通じて、嘉手納飛行場内において一九八
六年と一九八八年にPCB漏出事故が発生していたことが公表されるま
で、米軍側はこの大きな事故について、県や関係市町村に報告せず、秘
密裡に処理しようとした事実があった。また、PCB汚染物質を撤去す
る際、PCB入りトランクが野積み状態で保管されているのが確認され
るなど、米軍の有毒物質の管理方法の問題が指摘された。
最近返還されたフィリピンのクラーク、スービック両基地においても、
当初、環境汚染はないとのことであったが、米軍撤退後の環境団体の調
査によって、両基地とも石油精製物質や重金属などの化学物質で汚染さ
れているとの報道があった。
また、米国内での基地の閉鎖後、民間施設としての転用が期待通り進
展しないのは、閉鎖された基地の環境が汚染され、その復元に莫大な費
用と長期間を要するためであると言われている。
(三)原野火災及び赤土汚染
度重なる実弾演習により、キャンプ・ハンセン内の着弾地周辺は広範
囲にわたって緑が失われ、無惨にも山肌をむき出しており、環境保全の
面からも、自然の破壊は由々しい問題である。
また、同キャンプ内のレンジで実弾を使用した射撃演習が日常的に実
施されるため、発火性の高い照明弾や曳光弾から着弾地内の雑草に引火
することがあり、原野火災が度々発生し、一九七二年五月から一九九五
年一一月末までに一一七件の火災が発生し、一三二四ヘクタールが延焼
した。
一五五ミリりゅう弾砲による山肌の崩壊や、発火性の強い曳光弾によ
る山林火災は、演習場内の緑を失わせることにより、赤土流出による河
川や海域汚染の原因ともなっている。
キャンプ・ハンセン内を流れる河川からの赤土流出は、ほとんどが米
軍基地内の演習によるものであり、一九九三年八月の大雨時に採取して
調査したところ、キャンプ・ハンセンを流れる三河川で一リットル当た
り六九四ミリグラム、二六七ミリグラム、五〇九ミリグラムの赤土流出
が確認された。一九八八年に、沖縄県環境保健部が降雨時直後に一四五
河川で行った調査での平均値一リットル当たり八〇ミリグラムと比較す
ると、キャンプ・ハンセン内を流れる河川は、かなり濁っており、一見
して赤土による底質の汚れがわかる近隣海域の汚染の原因の一つとなっ
ている。
2 騒音公害等
米軍による演習が周辺地域に与える影響は多岐にわたっているが、なか
でも住宅地域に囲まれた嘉手納及び普天間飛行場では、昼夜を問わず、日
常的に発生する航空機による騒音は広範囲にわたり、一一市町村の約四七
万人(沖縄県人口の約三七パーセント)の周辺住民の生活環境に大きな影
響を及ぼしている。
嘉手納飛行場においては、常駐機に加えて空母艦載機や国内外から飛来
する航空機によるタッチ・アンド・ゴーなどの飛行訓練のほか、エンジン
調整が絶え間なく行われ、同飛行場に隣接する地域住民は、その騒音によ
り、精神的、身体的被害ならびに生活環境が著しく損なわれている。
また、普天間飛行場においては、航空機の離着陸等、とりわけ、ヘリコ
プターの飛行場及び住宅地域上空での旋回訓練は間断なく騒音を発生させ
ている。地上においてはエンジン調整音が長時間に及び、騒音による被害
は、精神的、身体的ならびに生活環境の面からも看過できないものとなっ
ている。
このような現状に鑑みて、毎年、沖縄県は、関係市町村と協力して、嘉
手納飛行場周辺では二三地点、普天間飛行場周辺では一二地点で騒音の測
定を行っている。一九九四年度の測定の結果、嘉手納飛行場周辺において
は、二三測定地点中九地点(三九パーセント)で、普天間飛行場周辺では、
一二地点中九地点(七五パーセント)で、環境基準を上回っている。
特に、嘉手納飛行場周辺では、通常訓練によって、騒音禍を強いられて
いるにもかかわらず、臨時的に行われるローリー演習(現地運用態勢)、
ORI演習(行動態様観察)の演習期間中の騒音は一段と激しく、日常生
活の会話や安眠はもとより、疲労の加重、聴力の減退、授業の中断、電話
の中断、テレビ・ラジオの視聴困難等、その身体的、精神的ダメージは著
しく、飛行場が住宅地域や市街地に隣接して存在するため、航空機から発
生する騒音は周辺住民に甚大な悪影響を与え、日常生活に大きな障害となっ
ている。
四 振興開発の阻害
1 振興開発と米軍基地
一九九二年九月に国において策定された第三次沖縄振興開発計画では、
沖縄の米軍施設・区域について「そのほとんどが人口、産業が集積してい
る沖縄本島に集中し、高密度な状況にあり、この広大な米軍施設・区域は、
土地利用上大きな制約になっているほか、県民生活に様々な影響を及ぼし
ている」という認識の下、「米軍施設・区域の整理縮小と跡地の有効利用
について、米軍施設・区域をできるだけ早期に整理縮小する」と県土利用
の基本方向を明らかにしている。さらに、「返還される米軍施設・区域に
関しては、地元の跡地利用に関する計画をも考慮しつつ、可能な限り速や
かな返還に務める」として、「返還跡地の利用に当たっては、生活環境や
都市基盤の整備、産業の振興、自然環境の保全等に資するよう、地元の跡
地利用に関する計画を尊重しつつ、その有効利用を図るための諸施策を推
進する」としている。
このように、沖縄振興開発計画においては、本県における米軍の施設及
び区域の大半が、本県の地域開発上重要な地域に存在しているため、地域
の振興開発及ぴ県土の均衡ある発展を図る上で大きな制約となっているこ
とを自明のこととしている。
具体的には、 (1)都市再開発や環境整備を推進する上の障害 (2)道路交
通体系整傭上の障害 (3)住宅や公園整備上の障害 (4)企業誘致や工業誘致
の対象となる工業用地の確保の障害 (5)農業の衰退や荒廃の原因であると
同時に農業振興上の障害 (6)自然公園や自然環境保全施策上の障害等である。
2 市町村の振興開発の阻害
一九九四年三月末現在、米軍基地は、県内二五市町村に所在し、当該市
町村の振興開発を著しく阻害している。以下三市町村の実例を示すことに
する。
(一)那覇市の場合
イ 軍用地の概況
一九九五年一一月末現在、那覇市には、米陸軍の那覇港湾施設、米
空軍の嘉手納飛行場施設の一部がある。
同市の面積(約三八七三ヘクタール)の一・五パーセント(約五八
ヘクタール)を占めている。
ロ 那覇港湾施設用地の特徴
那覇港湾施設は、同市にある米軍基地の約九九・一パーセントを占
めている。同港湾施設は、沖縄県の表玄関である那覇空港と隣接し、
また、年々増大の一途をたどる那覇港の重要な一角であることから、
早期全面返還が求められている。
同港湾施設には、国道五八号と国道三三二号が隣接し、県道七号線
の起点ともなっており、その地理的重要性は、ますます大きくなって
きている。それに加えて、県都である那覇市の中心部にも近いという
好立地条件も備えている。このことは、周辺における観光産業を含め
ての経済、住宅等への土地利用転換に呼応するとともに、港湾機能の
強化など新たな展開が十分に可能な地域である。
また、年々増大する県内外、もしくは国外からの港湾取扱貨物量は
既存の施設では対応できない状況にある。したがって、港湾機能の整
備拡大は急務である。同港湾施設は対岸にある那覇商港と比較しても、
完全に遊休化している。
このような観点からも、同港湾施設を早急に返還することにより、
交通体系の整備が可能となる。
さらに、那覇空港を利用して沖縄県を訪れる観光客は、三〇〇万人
を越えている。沖縄を訪れる観光客にとって、まず最初に目に触れる
のは同港湾施設のフェンスであり、時として、基地内の戦車や大砲で
ある。平和産業といわれる観光産業の振興の面から問題である。
ハ 那覇港湾施設跡地利用構想(那覇市策定)
同港湾施設は、那覇空港と那覇都心を結ぶ国道沿いにあり、また那
覇市にとって貴重とされる水際陸地である。タウンゲートにふさわし
い機能の導入を図るなど土地利用上重要な地域である。
また、那覇空港の近くに沖縄自由貿易地域があり、それと隣接して
いる本地域は、那覇埠頭の再開発等、一体的に自由貿易地域の拡大を
図る必要がある。
本地域は五二ヘクタールの面積を有し、国道三三一号沿いにあり、
那覇港那覇埠頭の対岸に位置している。那覇市の計画では、那覇空港
及び沖縄自由貿易地域の立地する西側に流通・加工・業務等の産業系
を、その東側に文化遺産の活用を計りつつ、隣接する奥武山公園と連
結して文化・レクリエーション系をそれぞれ配置するものとされている。
(二)沖縄市の場合
イ 軍用地の概要
一九九四年三月末現在、沖縄市には、米軍基地として嘉手納飛行場、
嘉手納弾薬庫地区、キャンプ・シールズ、泡瀬通信施設及び同提供水
域、キャンプ瑞慶覧、陸軍貯油施設(パイプライン)、知花サイトの
七施設がある。米軍基地は、同市の面積(四八九四ヘクタール)の三
六・八パーセント(一八〇一ヘクタール)を占めている。
ロ 軍用地の特徴
沖縄市は、沖縄本島中部に位置し、周辺を七市町村と隣接している。
しかし、市域北部及び西部に、広大な嘉手納弾薬庫地区と極東最大の
空軍基地・嘉手納飛行場、そして南部はキャンプ瑞慶覧、更に中城湾
に面する東部地域には泡瀬通信施設があり、基地が四方に展開している。
このように、基地の存在は、活用できる市域を狭めているのみなら
ず、産業基盤の整備、周辺市町村との交通や交流を妨げ、市街地の形
成や都市の広がりを阻害している。
同市の米軍基地の土地所有内訳は、私有地が六七・八パーセント、
公有地が二七・八パーセントに対し、国有地はわずか四・四パーセン
トである。
沖縄の米軍基地は、沖縄戦の米軍占領地とその後の占領下における
一方的な接収による軍用地を引き継いだものがほとんどであり、私有
地が大きな比率を占めている。このように私有地の占める比率が大き
いこと、また、軍用地が形成されてから長期間経過していること等が、
軍用地の転用や跡利用にも様々な影響を及ぼしている。
ハ 軍用地の跡地利用計画(沖縄市策定)
泡瀬通信施設地先の公有水面に、陸域から沖合五〇〇メートルまで
米軍保安水域が設定されているが、同水域については、同市が新たな
開発拠点としている東部海浜開発地区の開発予定地となっており、同
水域の早期解除(返還)が必要である。 同市の北側に位置し、豊か
な自然が残されている嶽山原(うたきやんばる)は、嘉手納弾薬庫地
区によって他の民間地域から切り離され利用困難な地域となっている。
嘉手納弾薬庫内の基地内道路を開放することにより、アクセス道路を
確保し、嶽山原を市民の余暇利用や青少年の野外活動などに活用する
ことが可能となる。
広大な嘉手納飛行場については、同飛行場の基地内基幹道路を開放
し、利用することで、同市中心部と国道五八号、市域南部と北部の交
通が容易となり、中部圏の交通利便性の向上、市域の効果的活用、観
光など産業振興上の効果が期待できる。広域の交通網の整備は中部広
域の拠点都市として周辺市町村との交流を促進する上で重要である。
嘉手納飛行場については、周辺市町村の土地利用計画との調和や環
境問題への配慮などの諸問題と併せ、民間国際空港としての可能性に
ついて検討していくことも重要な課題である。
(三)読谷村の場合
イ 軍用地の概況
一九九四年三月末現在、読谷村には、米軍基地として嘉手納弾薬庫
地区、読谷補助飛行場、トリイ通信施設、瀬名波通信施設及び楚辺通
信所の五施設がある。米軍基地は、同村の面積(三五一七ヘクタール)
の四六・九パーセント(一六四八ヘクタール)を占めている。
ロ 軍用地の特徴
同村の中央部に位置する読谷補助飛行場を始めとする五米軍基地の
うち、読谷補助飛行場以外の軍用地については、返還の目処がついて
いないため、同村の土地利用計画も基地を除いた地区だけの計画に限
らざるを得なくなり将来的な課題となっている。
また、国道五八号と平行して嘉手納町からの幹線道路として国道バ
イパスが計画されているが、該道路計画には読谷補助飛行場、トリイ
通信施設、嘉手納弾薬庫地区の三施設が存在し、計画推進の大きな阻
害要因となっている。
南北に走る国道バイパスと国道五八号を連結し、同村を東西に走る
幹線道路の「中央残波線」の計画がある。同路線については、一部道
路認定等も終了している段階であるが、該道路が読谷補助飛行場を東
西に通ることから、計画の推進の阻害要因となっている。
また、将来的には、該道路は、沖縄市方面と結ぶ幹線道路とするこ
とが予定されているが、嘉手納弾薬庫地区が大きく広がっており、計
画の阻害要因となっている。
ハ 軍用地の跡地利用計画(読谷村策定)
読谷補助飛行場は、旧日本軍の強制接収以来、戦後処理問題を引き
ずってきた軍用地であり,その一刻も早い解決が必要である。同補助
飛行場は、同村の中央部に位置しているため、その利用の如何が、同
村の振興開発に大きな影響を与える。
同村は、一九八七年に、すでに「読谷飛行場転用基本計画」を策定
している。返還に向けた諸条件が煮詰まりつつある中で、その実現は
大きな課題である。
五 行政事務の加重負担
1 沖縄県の場合
(一)組織及び事務
沖縄県における米軍基地関連業務は、主として総務部知事公室基地対
策室においてこれを所管している。基地行政所管組織の設置の目的は、
基地の整理縮小の促進を求める県民の意向を踏まえ、沖縄県の振興開発
を推進する観点から、日米間で返還合意のあった施設・区域及び地域振
興開発上必要な施設・区域の早期かつ計画的な返還を求めるとともに、
県民の安全と福祉を守る立場から、米軍及び国に対し基地の安全管理並
びに綱紀粛正を求め、米軍基地の存在によって派生する事件・事故の未
然防止を図ることにある。
同基地対策室は、基地対策班及び軍用地転用班の二班一五人で組織さ
れ、基地対策班では主として (1)駐留軍基地等に係る調査及び対策、
(2)駐留軍基地等周辺の生活環境の整備、 (3)駐留軍等の行為等による損
害保障事務を、軍用地転用班では主として (1)軍用地転用行政の総合的
企画及び調整、 (2)返還軍用地の利用の係る企画・調整及び促進、 (3)
市町村の軍用地転用計画の作成及び運用の指導、に関することを分掌し
ている。
同基地対策室は、我が国の米軍専用施設・区域の約七五パーセントが
沖縄県に集中していることを反映し、県道一〇四号線越え実弾砲撃演習
や読谷補助飛行場でのパラシュート降下訓練等の演習及び米軍基地に派
生する事件・事故の度に現地調査や那覇防衛施設局、米軍当局への抗議
申し入れを行うなどその対応に忙殺されている。
(二)臨時議会の開催状況(米軍関係)
米軍基地等に起因する事件・事故等に係る沖縄県議会の臨時議会は、
一九七九年度の五回、一九九四、一九九五年度の各四回など復帰後一九
九五年一二月一日までに、五五回を数え、臨時議会で為された抗議決議
等は六七件に及ぶ。
これら抗議決議は、その都度外務省を始め防衛施設庁、駐日米国大使
館など日米両政府の関係要路へ直接出向いて手渡し、抗議・要請を繰り
返しているものの、目に見える形での解決、改善の跡が見られない。
2 市町村の場合
(一)基地関係担当主管課
米軍基地が所在する市町村は、現在二五団体である。そのうち米軍基
地関係の主管課(係)を置いている団体が九団体である。
米軍基地関連業務は、主管課を置いている団体では、主管課において、
その他の団体では、総務課、企画課、経済課等において所管している。
ただし、事件・事故によっては、一課で対応できない場合がある。
その場合は、関係課の連帯により、対応している。
(二)米軍基地担当職員
米軍基地が所在する二五市町村で、専任又は兼任の形で米軍基地関連
の業務を担当する職員は、合計五二人である。そのうち、専任職員は、
一〇人である。
団体間で米軍基地関連業務の質・量に差があるが、米軍基地関連業務
が地方公共団体の加重な負担になっていることは否定できない。
(三)米軍基地問題に関連する臨時議会の開催状況
米軍基地が所在する二五市町村における米軍基地問題に関連する臨時
議会の開催状況は、過去一〇年間(一九八六年から一九九五年一二月一
日まで)に、当該市町村二五団体の合計で二二九回である。年四回以内
の定例議会の開催が法定されていることを考慮した場合、このような臨
時議会の開催状況は、関係地方公共団体の負担となっていることが明ら
かである。
(四)米軍基地から派生する諸問題に関連する要請活動
米軍基地が所在する市町村二五団体は、基地から派生する諸問題の解
決のために、米軍、国、県に対する要請活動を行っている。
最近の一〇年間の要請活動は当該市町村二五団体の合計で、五〇八件
である。
過去一〇年間(一九八六年から一九九五年一二月一日まで)の要請活
動の多い上位一〇団体を取り出してみると、合計で四五二件となる。
要請数が一番多い団体では、実に一二四件の要請活動を行っている。
第六 米軍基地等に対する沖縄県民の世論
一 行政と世論
現代の政冶、いわゆる世論の政治では、対立する意見の調整や利害の調停
機能がとりわけ重要である。しかも、現実の政治の運用に関わる調整・調停
過程では、民衆の潜・顕在的世論が正しく反映されねばならず、政治の意思
決定はひとえに「世論」の趨勢と不離一体の関係にあるといえよう。
沖縄県は、戦後五〇年の節目にあたり、県民の多数の支持の下に、植樹祭
(緑化推進)の実施、県民遺骨収集活動、平和の礎の建設等、一連の平和施
策を展開してきた。これは、時代の節目に際して、行政(沖縄県)が民衆
(県民)の潜在的意識に働きかけ、顕在化した意識形成(世論)を援助する
とともに、平和の実現への寄与という明瞭なる目的意識をもって将来を切り
開こうとしたものに他ならない。これこそが、現在、最も求められている世
論による政治であり、行政である。
今回、知事が立会・署名を行わないことが、いかに正当であり、沖縄県民
の支持を得ているかについて、ここでは、沖縄の米軍基地等に対する県民世
論の観点から、沖縄県、NHK沖縄放送局、朝日新聞、沖縄タイムス及び琉
球新報の調査質料を用いて考察することにする。
二 政治意識調査
1 日米安保条約の有用性について
戦後日本の防衛政策を特徴づけてきたのは、日米安保条約と、自衛隊の
存在である。
図1は、日米安保条約が、日本の安全に役立っているかどうかについて、
県民の評価を時系列的に比較したものである。
一九六九年から同年七二年にかけて、数値にかなりの変動があるが、復
帰後の調査では、数値は比較的安定していた。それが、一九九五年一〇月
の調査では、これまでの逆転現象が生じ、「役立たない、不必要、危険」
が三八パーセントで、「役立つ、必要」二三パーセント、「どちらともい
えない」三一パーセントを上回っている。
これは、直接的には、一九九五年九月に発生した米兵による暴行事件が
契機となったのであるが、その身柄引渡に関わる不平等な日米地位協定へ
の反発、基地被害・公害への不安要素等が影響を与えたものであろう。一
般に、日米安保条約の評価は、基地と生活との関係に影響されることが多
いが、県民の多くは、日米安保条約、日米地位協定のもつ不平等性に着目
し、その有用性を認めなかったものといえよう。
2 米軍基地に対する不安感について
図2は、沖縄県民の基地に対する「不安感」について調査したものであ
る。世論調査が開始された一九六七年から、一九九二年の最終の調査まで、
「不安だ」が、「不安を感じない」を一貫して上回っている。
一九七二年の復帰前後に見せた高い水準の基地不安は、米統治下での住
民無視の演習や基地公害、基地関連事故、さらに多発する米軍構成員等
(米軍人、軍属、家族)の犯罪と、人権侵害がその根底にあった。
一九七四年には、基地不安がやや下降ぎみにはなるが、八〇年代に入る
と、再上昇している。これは一九八〇年のソ連のアフガニスタン侵攻やイ
ランの米大使館員人質事件等により、国際的な緊張が高まり、沖縄の米軍
基地もこれらの外部要因に連動するかのように活発な米軍演習が展開され
たという背景によるものと思われる。
一九九一年一二月の調査では、基地不安は一時的に下降している。これ
は、一九八九年一一月のペルリンの壁崩壊、翌九〇年の東西ドイツの統一、
翌九一年八月のソ運の崩壊とロシア共和国への移行等、世界の緊張緩和の
ムードを受けたことによるものと思われる。
結局、県民の基地に対する「不安」の基底には、米軍基地そのものへの
不安と、米軍基地が海外での戦争、紛争へと直結している不安があり、こ
れらの要因が相乗効果をもち、国際的緊張の進展とともに県民の不安もま
た増加していくという傾向がある。
県民の米軍基地に対する不安感の中には、基地関係から派生する事件・
環境破壊・演習被害等も大きな影響を与えている。
表1は、復帰後の米軍基地関係事故等の発生状況を表したものである。
目立つのは、航空機関連の事故の多さである(一〇二件)。基地と隣接し
て生活している県民の生命を奪ってしまう危険性の高い航空機関連の事故
が、毎年、相当数発生していることに注意する必要がある。
さらに、基地あるがゆえの「基地犯罪」も、恒常的に高い数値を示して
いるが、これも基地不安の大きな要因を示している。表2・3は、一九七
二年の本土復帰から、一九九四年までの米軍構成員等による犯罪件数と、
検挙人員を表したものである。
これによると、一九七七年をピークに犯罪件数、検挙とも減少傾向にあ
るといえるが、統計上の数値とは別に、米軍による凶悪犯罪は後を絶たな
い。特に、米兵による女性暴行事件は、沖縄県警が把握しただけでも、復
帰後一一〇件を超えている。基地に起因する性暴力は、「アンガー・レイ
プ」とも呼ばれ、軍隊というシステムで去勢された部分を回復するため、
より弱いと想定した相手に対して加えられる暴力である。これらは、本来、
基地が存在しなければ、続計的にゼロに等しいものであり、県民にとり容
易に承認できない種類の犯罪である。反面、米軍基地がある恨り、女性、
女児にとって誰が犠牲になってもおかしくない犯罪である。
3 米軍基地に対する態度について
図3は、県民の米軍基地に対する態度を示したものである。
復帰前後から、現在まで、「基地は不要」が「基地が必要」を一貫して
上回っている。
復帰を願望した沖縄の理念と主張は、異民族支配からの脱却(復帰)、
人権の回復、反戦・平和の希求の二つに集約できる。特に、沖縄は、今次
世界大戦で、日本国内で住民を巻き込む唯一の地上戦がくりひろげられた
だけに、県民の平和に寄せる期待は特に強いものがある。米軍の基地建設
と共に開始された沖縄の戦後、復帰しても「本土並み」に整理・縮小され
ない米軍基地、その歴史の中で、住民の眼前に大きく横たわる米軍基地に
対して、県民は、一貫して「不必要」といっているわけである。
4 米軍基地の現状と将来について
復帰前の沖縄の米軍基地は、「太平洋の要石」といわれたが、復帰後も、
米軍の西太平洋における最大戦略拠点であることに変化はない。日米安保
再定義により、その機能を更に強化し、米軍基地が固定化されようとして
いる。
図4は、その米軍基地の現状と将来に関する県民の世論を調査したもの
である。 復帰をはさんで、県民の世論は、「撒去」「早期返還」に傾斜
していたといえるが、一九八〇年代に入ると、「縮小」を求める世論が大
勢を占めるようになっている。
これは、沖縄県内の政治土壌の変化が大きな原因だと考えられるが、そ
れとともに、米軍基地の整理、移転や軍用地の跡地利用計画が自治体等に
おいて、独自に計画される等、より具体約な基地問題解決の方策がいわれ
るようになったからだと思われる。
とりわけ、一九九五年一〇月の調査では、実に七二パーセントのものが、
基地の「縮小」を求めており、基地禍にさらされている県民の願いが目に
見える形での基地縮小にあることが判然とする。
「沖縄タイムス」「朝日新聞」の一九九五年一〇月の調査によると、沖
縄の基地を整理、縮小して、一部を国内の他地域へ移設するに際して、沖
縄では六一パーセントのものが賛成するが、本土では二八パーセントのも
のしか賛成しない。すなわち受け入れを容認しない。沖縄の米軍基地への
対応について、本土政府と沖縄県との間にかなりの温度差があることが指
摘されているが、それと同様に、本土に住む人と、沖縄県民との間にもか
なりの温度差が感じられる。
5 知事の姿勢について
NHK沖縄放送局が、一九九五年四月に実施した「戦後五〇年 沖縄」
調査によれば、沖縄の米軍基地返還に対する日本政府の姿勢は、「県民の
立場に立ち交渉している」とみるものは一五パーセント、これに対して
「県民の立場に立って交渉していない」とみるものは五九パーセントにも
のぼっている。同様な調査結果は『沖縄タイムス』『朝日新聞』が実施し
た一九九五年五月の調査でも、沖縄の米軍基地の整理・縮小の遅延と原因
として「政府の取り組みが弱い」が六
七パーセントと圧倒的に高い数値を示している。
一方、一九九二年五月に、『沖縄タイムス』『朝日新聞』が実施した
「復帰二〇周年」調査では、米軍用地の強制収用に「賛成」が九パーセン
ト、「反対」が六一パーセント、「やむをえない」が一六パーセントとい
う結果になっている。
さらに、一九九五年一〇月の『沖縄タイムス』『朝日新聞』調査では、
知事の米軍用地の強制使用問題に対する姿勢の是非を問うているが、立会
・署名を行わない知事の姿勢を「評価する」と回答したものは、沖縄県で
八九パーセント、本土でも六八パーセントと、県民・国民の圧倒的多数が
支持している。これに対して、「評価しない」と回答したものは、沖縄県
で八パーセント、本土では一六パーセントあるのみである。 数字から判
断する限り、今回、知事が立会・署名を行わなかったことを支持する人々
の顕在的意識(世論)は、すでに一九九二年当時から潜在的世論となって
県民の中に沈潜化していたともいえよう。
三 まとめ
以上述べたことから、知事が立会・署名を行わなかったことは、平和の
実現への寄与という潜在化または顕在化しつつあった県民世論を顕在化し
たものであり、だからこそ県民の圧倒的支持を得ているものである。
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図1 安保条約は日本の安全に役立っているか(「沖縄タイムス」「朝日新聞」)
(実際は、折れ線グラフです。表頭は西暦年度/数値は%)
A:ためになる
B:ためにならない
C:どちらともいえない
69/06 70/09 71/08 72/07 73/04 74/04 81/04 91/04 92/04 95/10
A 24 31 18 30 30 32 28 44 41 23
B 53 20 44 25 26 28 26 20 25 38
C 27 21 31
***************************************************************************
図2 米軍基地に対する不安の有無
(実際は、折れ線グラフです。表頭は西暦年度/数値は%)
A:不安だ 沖:沖縄タイムス
B:不安を感じない 復:復帰研
琉:琉球新報
沖 復 琉 沖 沖 沖 沖 沖 沖 沖 琉
67/10 68/05 69/04 72/07 73/04 74/04 81/04 86/11 87/09 91/12 92/04
A 65 85 79 63 63 46 67 57 67 46 61
B 15 4 19 22 23 35 26 36 28 38 27
***************************************************************************
表1 復帰後の基地関係事故の発生状況(1972〜1994年)
(表頭は西暦年度)
A:航空機関連事故
C:廃油等の流出による汚濁
D:原野火災
E:演習等によるその他の関連事故
F:その他の事故
G:自衛隊関係
H:計
72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 KEI
A 1 7 5 2 1 8 7 1 7 2 7 8 3 2 7 11 3 7 2 2 2 4 5 102
B 0 0 1 1 1 1 5 5 1 1 2 0 1 1 1 2 1 0 0 1 0 0 0 25
C 1 3 6 9 13 6 6 4 3 2 5 3 4 0 3 1 4 2 1 1 1 0 1 79
D 2 1 2 1 3 1 2 0 0 17 14 23 18 16 9 3 22 1 0 0 5 7 4 151
E 2 2 0 2 2 0 1 1 1 0 1 1 1 0 2 5 8 13 9 4 6 8 8 77
F 3 6 1 1 2 5 8 1 6 2 5 4 1 6 1 2 9 11 5 14 1 5 4 103
G 0 3 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 1 1 0 0 0 0 1 0 0 0 2 12
H 9 22 16 16 22 21 29 12 19 24 34 41 29 26 23 24 47 32 18 22 15 24 24 549
注)1、1972年5月15日以降の統計である。
2、交通事故および刑事事件は除いてある。
3、原野火災は1000平方m以上である。
4、「演習等によるその他の関連事故」には、パラシュート降下訓練における
施設外降下を含む。
5、当該件数は県によって確認されたものである。
6、なお資料は「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」
(沖縄県総務部知事公室基地対策室)による。
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表2 米軍構成員等による犯罪件数状況(単位:件数)
(実際は、計の棒グラフと表です。表側は和暦でしたが西暦にしてあります)
米 軍 構 成 員 等 事 件 (件数) 米軍構
------------------------------------------------ 全刑法犯 成員等
凶悪犯 粗暴犯 窃盗犯 知能犯 風俗犯 その他 計 (件数) 事件比(%)
72 24 77 51 16 1 50 219 4,656 4.7
73 37 93 122 14 3 41 310 4,469 6.9
74 51 82 151 7 16 26 333 4,874 6.5
75 31 52 110 7 1 22 223 6,394 3.5
76 49 75 97 5 1 35 262 8,644 3.0
77 69 76 121 13 1 62 342 10,605 3.2
78 30 70 130 5 2 51 288 10,115 2.8
79 43 46 113 5 5 62 274 10,668 2.6
80 35 44 168 21 1 52 321 11,354 2.8
81 27 38 130 20 1 37 253 11,578 2.2
82 19 54 92 9 3 40 217 12,794 1.7
83 15 38 98 8 36 195 13,471 1.4
84 10 36 75 4 3 24 152 15,139 0.9
85 11 30 81 3 2 18 145 16,377 0.9
86 8 15 116 3 13 155 13,916 1.1
87 6 17 69 3 3 25 123 12,704 1.0
88 6 20 133 4 2 12 177 12,705 1.4
89 7 21 110 2 20 160 10,671 1.5
90 6 11 60 2 19 98 8,185 1.2
91 10 5 79 22 116 8,096 1.4
92 3 2 35 1 2 8 51 7,923 0.6
93 6 3 141 1 1 11 163 8,987 1.8
94 5 11 69 2 11 98 10,691 0.9
注)1、出典は沖縄県総務部知事公室
「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」(平成7年3月)による。
2、交通業務を除く。
3、米軍構成員等とは、米軍人、軍属、家族である。
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表3 米軍構成員等犯罪による検挙人数(単位:人数)
(実際は、計の棒グラフと表です。表側は和暦でしたが西暦にしてあります)
米 軍 構 成 員 等 事 件 (人数) 米軍構
------------------------------------------------ 全刑法犯 成員等
凶悪犯 粗暴犯 窃盗犯 知能犯 風俗犯 その他 計 (人数) 事件比(%)
72 35 92 59 17 1 45 250 3,859 6.5
73 53 98 104 21 2 40 318 3,425 9.3
74 69 92 110 9 1 27 308 3,737 8.2
75 55 54 111 7 1 23 251 3,725 6.7
76 56 92 97 8 1 41 295 3,810 7.7
77 69 115 125 15 1 71 396 3,831 10.3
78 29 82 96 7 11 39 264 3,303 8.0
79 44 51 77 5 7 65 249 3,216 7.7
80 43 53 120 14 1 49 280 3,854 7.3
81 36 62 117 17 43 273 3,968 6.9
82 24 78 101 11 4 45 263 4,200 6.3
83 20 37 111 11 36 215 4,112 5.2
84 10 25 76 2 3 26 142 4,312 3.3
85 16 33 80 4 2 17 152 4,170 3.6
86 12 23 82 3 12 132 3,445 3.8
87 8 17 51 2 3 21 102 2,751 3.7
88 7 30 80 4 2 12 135 3,069 4.4
89 9 28 79 2 17 135 2,864 4.7
90 8 13 39 1 13 74 2,472 3.0
91 11 6 71 16 104 2,360 4.4
92 8 2 55 1 3 7 76 2,064 3.7
93 9 2 35 1 1 4 52 2,007 2.6
94 10 11 35 2 10 68 2,145 3.2
注)1、出典は沖縄県総務部知事公室
「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」(平成7年3月)による。
2、交通業務を除く。
3、米軍構成員等とは、米軍人、軍属、家族である。
***************************************************************************
図3 米軍基地に対する態度
(実際は、折れ線グラフです。表頭は西暦年度/数値は%)
A:基地は不必要 沖:沖縄タイムス
B:基地は必要 琉:琉球新報
N:NHK
沖 琉 N N N N N N N N N N
67/10 69/05 72/04 73/04 75/04 76/06 77/05 78/12 82/02 87/02 93/03 95/05
A 40 61 56 59 60 51 53 50 53 52 51 44
B 28 27 26 24 26 30 34 35 38 38 35 36
***************************************************************************
図4 米軍基地の現状・将来(「沖縄タイムス」「朝日新聞」NHK)
(実際は、折れ線グラフです。表頭は西暦年度/数値は%)
A:早期返還
B:撤去
C:縮小
D:現状のまま
73/04 74/04 77/05 81/04 87/09 92/04 95/05 95/10
A 28 34 28
B 33 26 24 30 27 21 34 20
C 18 18 18 47 54 65 35 72
D 7 10 14 16 11 12 6
***************************************************************************
第七 米軍基地に起因する憲法問題
沖縄における米軍基地は、憲法の保障する沖縄県民の各種の重要な基本的人権
を侵害するものである。
一 平和的生存権
1 平和的生存権は、人類の幾多の戦争の経験の中で生成されてきた重要な
基本権である。
二度にわたる世界対戦は、戦争が戦勝国、敗戦国に関係なく、双方に甚
大な被害をもたらし、これまでの戦争観・平和観を一変させ、国家間の問
題解決のために戦争に訴えることは違法であるという一般的な考え方を生
み出した。このようなことから、国民自らが戦争を拒否し、平和のうちに
生存することを誠実に希求するのは極めて自然な姿であった。
また、戦前の我が国の状態がよく例証しているように、戦争状態におい
ては、軍事優先の国策がとられ、国民の人権が侵害されることから、平和
が人権保障に不可欠であることが確認され、平和のうちに生存すること自
体が人権であると考えられてきた。このように、平和と人権の不可分一体
性が一般的に承認されてきたことにより、「平和的生存権」が登場した。
戦争や軍隊のない状態で平和のうちに生存する権利を擁護する考え方は、
国際社会においてもすでに採用されてきた。各種の国際規制や国連決議の
中にも、平和的生存権の保障をうたったものが登場してきた。例えば、一
九八四年の総会決議「人民の平和への権利についての宣言」でも「地球上
の人民は平和への神聖な権利を有することを厳粛に宣言する」と述べられ
ており、戦争のない状態で平和に生きること自体が、基本的な権利である
とする考え方が国連の場でも確認されている。これは、日本国憲法の平和
的生存権が、世界的な人権思想を受けて我が国の戦争体験の上に築かれた
ものであることを示している。
2 日本国憲法の前文は、戦争を忌む並々ならぬ決意と憲法制定に至った経
緯とを切々とうたっている。その第二段は「全世界の国民が・・・平和の
うちに生存する権利を有することを確認」しており、平和的生存権を明示
している。これは「国家自らが平和主義を国家基本原理の一つとして掲げ、
そしてまた、平和主義をとること以外に、全世界の諸国民の平和的生存権
を確保する道はない、とする根本思想に由来するもの」(長沼訴訟第一審
判決)である。
また、憲法九条も戦争放棄、戦力不保持により、制度的に平和的生存権
を保障している。さらに憲法一三条によって、個人の尊厳に基づく平和的
生存権が具体的に保障される。個人の尊厳を何よりも重視することが、戦
争を起こさないための大前提であり、戦争はいかなる形であれ、個人の尊
厳を、最も無惨な形で侵してきたのである。「個人として尊重」されるべ
き権利の内容は、人間が人間として生存し、自由と幸福を享受できるよう
にするために、その社会的、経済的諸条件・環境を整備することを求める
ものであり、その一つが平穏な生活を営む権利である。これを憲法の基本
原理である平和主義から考えると、個人の尊厳に基づく平和的生存権は、
戦争行為(広く戦争類似行為、戦争準備行為、戦争訓練、基地の設置管理
などを含む、以下、同趣旨)によって、平穏な社会生活を営むことを阻害
されない権利を重要な内容とするものである。
3 平和的生存権は、憲法前文及び九条の非武装平和主義に則り、崇高な理
想の実現を求める憲法の理念に合致した形で認められるべきである。
ところが、平和的生存権が問題となったこれまでの具体的事件において
は、憲法前文の裁判規範性の有無や、自衛隊の合憲性などが、議論の中心
となっていた。憲法九条に関する裁判所の姿勢は、下級審のわずかな例を
除き、前文の裁判規範性については否定的で、また、憲法九条の問題につ
いては統治行為の問題として憲法解釈を回避している。さらに、在日米軍
については、統治行為論に加えて、「同条がその保持を禁止した戦力とは、
我が国がその主体となってこれに指揮権・管理権を行使し得る戦力をいう
ものであり、結局我国自体の戦力をさす」としている。(砂川事件最高裁
判決一九五九年一二月一六日)。
しかし、すでに述べたように憲法一三条に基づく平和的生存権は、人間
としての尊厳を維持し、自由と幸福を求めて平穏な生活を営むことを戦争
行為によって、阻害されない権利である。従って、平和的生存権の侵害は、
在日米軍が、憲法九条にいう「戦力」に該当するか否かという論議にかか
わらず、在日米軍の存在により具体的に、住民の平穏な社会生活が阻害さ
れることによって成立する。
4 在日米軍基地が過度に集中する沖縄においては、在日米軍の戦争行為に
よって日常生活のうえで、具体的に平和的生存権が侵害されている。この
平和的生存権の侵害は、基地にかかわる住民の生活の中で、様々な形で現
れている。その個々の被害は、軍による戦争行為を支える基地に起因する
人権侵害としてまとめることができる。
国は、沖縄県民が、沖縄戦以来戦後五○年にも及ぶ長期間、平和的生存
権を侵害され続けてきた事実を直視すべきであり、常態的な平和的生存権
の侵害を是正すべきである。また、地方のレベルにおいても、住民が人間
としての生存と尊厳を維持し、自由と幸福を求めて平穏な生活を送ること
が戦争行為によって脅かされないことを保障されていなければならない。
それが、地方自治の本旨の内容の一つであり、地方公共団体は、このよう
な住民の平和的生存権を保障する責務を負っている。
二 平等原則違反
何故沖縄だけにこれ程多くの米軍基地が押し付けられなければならないの
であろうか。
憲法一四条は「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、
社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別
されない」と規定し、平等原則、平等権を憲法の保障する重要な基本権と定
めた。
この平等原則、平等権は、国民一人ひとりに保障されることは勿論、地方
公共団体及びその住民にも保障されなければならない。右一四条の「国民」
の中には、国民だけでなく、私法人、公法人等の社会で活動する諸団体も当
然に含まれるものである。 憲法で保障された地方公共団体は、一つの公法
人として憲法一四条の平等権を有し、且つ平等原則の保障を享受するもので
ある。
憲法九五条が「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定め
るところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意
を得なければ、国会は、これを制定することができない。」と規定したのは、
憲法一四条が保障した平等原則を、地方公共団体の下の地域住民に対して具
体的に保障するためである。
沖縄県及び沖縄県民は、ひとつの地方公共団体及びひとつの地域住民とし
て、右平等原則、平等権を保障される地位にあるものであり、且つ積極的に
平等取扱いを求める権利を有する。ところが、前述の日米安保条約に基づく
米軍の駐留状況を見て明らかなように、在日米軍は、過度に沖縄県に集中し、
その負担、犠牲は許容の限度を著しく超えている。右状況は、復帰後すでに
二三年も継続しており、その不合理さ、違法性は一見して明白である。
このように、沖縄県だけに米軍基地を集中、偏在させていることには、全
く合理的理由がなく、在沖米軍に基地を提供している国の行為は平等原則に
違反していると言わざるをえない。
三 財産権の侵害
憲法二九条は、財産権の不可侵性を規定し、これを「公共のために用いる」
場合にのみ制限ができると規定している。この「公共のために用いる」場合
かどうかの判断にあたっては、制限される財産権の種類・価値、過去の利用
状況、制度の目的やその内容、制限期間、制限によって生ずる社会的影響な
どを十分に考慮して決すベきである。
前述のように、沖縄の米軍基地は、沖縄占領下において、米軍が国際法に
違反して「囲い込み」と、「銃剣とブルドーザー」によって強制的に取り上
げたものであり、復帰前の米軍施政権下においても、法的に正当な根拠を有
し得なかったものである。 復帰後は、国によって、暫定措置の名目の下に
「公用地法」で五年間、さらに米軍基地内の地籍不明地の明確化を口実に
「地籍明碓化法」で五年間、その後は駐留軍用地特措法によって現在に至る
まで強制使用がなされてきた。
この間、実に戦後五○年余の長期間にわたって所有者の財産権は侵されて
きたのである。
民法六○四条は、賃貸借の存続期間として二〇年を超えることができない
旨規定しており、賃貸借期間の長期は二〇年が最大限である。これは二〇年
を超える所有権の制約は事実上所有権の侵奪と同一視されることからである。
しかるに、沖縄の米軍用地は、民法に定める賃貸借の最長期間の二倍を超え
る五〇年間もの間、強制的に取り上げられたまま所有者自らが使用すること
ができない状態におかれてきた。これは明らかに憲法の保障する財産権を侵
害するものである。
さらに、米軍基地は沖縄県民に対して諸々の被害や過重負担を強いる諸悪
の根源となって、沖縄県民の平和的生存権を侵害し、平等原則や適正手続の
保障原則にも違反して県民の権利や福利を著しく侵害している。このような
米軍基地をそのまま固定化することを目的とする強制使用は、到底「公共の
ために用いる」場合にあたらないことは明白である。
よって、本件強制使用は財産権を侵害するものであり違憲・無効である。
第八 地方自治と国の機関委任事務
一 地方自治の本旨
憲法は、「地方自治の本旨に基づいて」地方自治を制度的に保障し、これ
に客観的法規範性を与えた。我が国の地方自治の歴史を振り返るとき、「草
の根」で民主主義を実現する地方自治を、憲法が保障した意義は、極めて大
きい。
近代憲法が人権保障を重要な目的として制定されたことは、近代史が教え
るところである。日本国憲法が国民の人権保障を重要な目的とし、基本原理
としていることは異論がない。
憲法が保障する地方自治は、当然のこととして住民の人権保障を目的とす
るものであり、人権保障は「地方自治の本旨」の重要な中身をなすものである。
憲法が保障する人権には、様々なものがある。平和的生存権、幸福追求の
権利、財産権、平等権・平等価値原則は、その例である。
地方自治は、憲法が保障するこれらの権利、価値を住民に密着したレベル
で実現することを基本的使命とするものである。このことを前提に、地方自
治法二条は、地方公共団体が処理する事務を規定する。
地方公共団体は、これらの事務を処理するため存立し活動するが、それは
住民自治と団体自治の原理に基づいて存立し活動する。
住民自治の原理は、地方公共団体の長の住民による直接公選制を導き、公
選された地方公共団体の長に対し、住民の意思を尊重して自治行政を行う法
的義務を課す。
又、団体自治の原理は、地方公共団体に対し民主的国家構造の一環をなす
ものとして、国家とともに、国民生活の福祉の向上に奉仕するために、国民
の主権から発する公権力を国から独立して各地域において自己の責任の下に
行使する権能、すなわち財産管理権、自治行政権、及び条例制定権を付与する。
知事は、右の住民自治、団体自治の原理に基づき、地方公共団体の長とし
て、地方公共団体を統轄し、これを代表し、憲法が保障する人権を実現する
ため、その事務を処理する法的責務を有する。
知事が本件立会・署名を行わないのは、右知事の法的責務を果たすための
ものである。
二 知事の責務と機関委任事務の内在的限界
機関委任事務の制度は、国が法律又は政令に基づいて国の事務を地方公共
団体の長又はその機関に委任し、これを国の下級機関に組み込むものと解さ
れている。
しかしながら、機関委任事務制度は、憲法が地方自治制度を保障している
以上、内在的に地方自治制度との調整、言い換えると地方自治制度を侵害し
ない限度で、国の事務を地方公共団体の長又はその機関に委任するという法
的限界を有するものである。
砂川職務執行命令請求事件の最高裁判決が「しかしながら、国の委任を受
けてその事務を処理する関係における地方公共団体の長に対する指揮監督に
つき、いわゆる上命下服の関係にある、国の本来の行政機構の内部における
指揮監督の方法と同様の方法を採用することは、その本来の地位の自主独立
性を害し、ひいて地方自治の本旨にもとる結果となるおそれがある」と判示
したのは、右法的限界を指摘したものである。
機関委任事務の委任を受けた地方公共団体の長は、憲法から負託された本
来の職責である地方自治行政事務の執行と、国から機関委任された事務の執
行とを主体的に比較衡量し、機関委任事務を行うことが本来の職責の執行を
害するときは、機関委任事務を行わないことが制度上許されている。
この意味において、地方公共団体の長は、委任者たる国との関係において
機関委任事務を行うか否かにつき自主的に判断する一定の裁量権を有するも
のである。
知事は、右自主的判断権に基づき、本件立会・署名が前述の地方自治の本
旨を害するとしてこれを行なわなかったものであり、正当な理由に基づくも
のである。
ちなみに、委任者たる国は、機関委任事務の委任を受けた地方公共団体の
長に対し指揮監督することができるが、それは地方公共団体の長に指揮監督
に服する法的義務を課すものではなく、機関委任事務の処理を促す趣旨の行
政指導の性格を有するにすぎない。
原告の本件訴えは、憲法が保障する地方自治を前提とした機関委任事務制
度に内在する限界を無視して、地方公共団体の事務に優先して、国の事務を
執行することを求めるものであり、極めて不当なものである。
三 地方自治の本旨に反する本件立会・署名
本件立会・署名は、駐留軍用地特措法に基づき私・公有地を米軍に提供す
るための強制使用手続きの一つであり、米軍基地を存続させ、固定化させる
ものである。
前述のように、米軍基地は、県民の平和のうちに生きる権利を脅かし、住
民の生活、人権、財産権を様々な形で侵害し、県民の福祉の増進、地域の振
興・発展を阻害している。
沖縄県民のこの苦悩と苦しみ、犠牲は決して一時的なものではなく、戦後
五〇年間の長期にわたって負いつづけてきたものである。この沖縄県民の苦
悩と苦しみ、犠牲は、歴史を振り返れば明らかなように、国策として住民の
意思に反して押しつけられたものである。
国は、更に二一世紀にわたって在沖米軍基地を存続・固定化する方針を明
らかにしている。
このような事態は、県民が平和のうちに生きる権利を保障し、住民の生活、
人権、財産権を守り、県民の福祉の増進、地域の振興・発展を責務とする沖
縄県知事にとって到底容認できないものである。
去る沖縄戦で、沖縄県民は悲惨な戦争体験をし、市民を守るべき軍隊が住
民を死に追いやる現実を目の当たりにした。又復帰前の米軍施政権下におい
て、軍隊がいかに住民の生活を犠牲にし、住民の福祉と相反する行動をとる
かを肌で感じとってきた。平和憲法の下に復帰することを全ての県民が望ん
だが、復帰後の現実はこの県民の期待を大きく裏切るものであった。平和の
うちに生きる権利を享受しようとした反戦地主に対し、国は「公用地法」の
名の下に五年間土地を強制使用し、「地籍明確化」を口実に更に五年間土地
を強制使用したことはその典型であった。
戦後五〇年間の鬱積した沖縄県民の怒りは、米兵による暴行事件をきっか
けにして大きく爆発するに至った。もはや、沖縄県民の怒りは押し止めるこ
とができない。前述のように、沖縄県民の世論は、米軍基地の整理縮小、最
終的には米軍基地をなくすことで一致しており、米軍基地の存続・固定化に
繋がる本件立会・署名を拒否することを強く求めている。県民から直接選ば
れた知事が、この県民世論にそって本件立会・署名を行わなかったことはむ
しろ知事の責務である。
従って、知事が、本件立会・署名が地方自治の本旨に反すると判断して本
件立会・署名を行わなかったことは、機関委任事務を委任された知事の自主
的判断権(法令審査権だけでなく、当不当の判断権を含む)に属するもので
あり、且つその判断に誤りはなく、正当なものである。
第九 駐留軍用地特措法に基づく本件立会・署名の違憲・違法性
一 駐留軍用地特措法の違憲性
本件立会・署名の根拠法たる駐留軍用地特措法は違憲・無効な立法である
から、それに基づく本件立会・署名を求めることも違憲である。
1 憲法前文、一三条違反
憲法は、その前文で国民の平和的生存権を確認し、九条で、その具体的
保障方法として「戦争放棄」「戦力の不保持」等を国の義務として規定す
る。また、この平和的生存権は、人間としての生存と尊厳を維持し、自由
と幸福を求めるための最も基礎的な権利として、憲法一三条の幸福追求権
にもその具体的根拠を見いだすことができる。 そこでいう平和的生存権
とは、戦争目的や軍事目的のために自由や人権を制限されないことを中核
とする権利であり、国防・軍事目的による私有財産の強制収用・使用の禁
止はその主な内容のひとつである。
然るに、駐留軍用地特措法は、まさに軍事目的によって私有財産を強制
的に収用・使用することを目的とするものであるから、平和的生存権を侵
害するがゆえに違憲というべきである。
2 憲法二九条違反
憲法二九条は、財産権を保障し、国民の私有財産は「公共のために用い
る」場合にのみその制限が許容されているが、平和的生存権を保障し、戦
力の不保持を禁止した日本国憲法下において、軍事目的のための強制収用
・使用は「公共性」を持ちえないものである。このことは、現憲法制定に
ともない改正された土地収用法において、土地を収用し又は使用すること
ができる公共の利益となる事業から、旧土地収用法の筆頭に揚げられてい
た「国防ソノ他軍事ニ関スル事業」が削除された経緯に照らしても明白で
ある。
3 憲法三一条違反
駐留軍用地特措法は、土地収用法に比してその手続が著しく簡略化され
ている。駐留軍用地特措法では、土地収用法一八条で提出を義務づけられ
ている事業計画書に相当する書類が要求されておらず、認定申請にかかる
収用・使用の内容が具体的に明らかにされていない。また、土地収用法二
四条、二五条で定められている事業認定申請書類の送付、縦覧の手続や利
害関係人の意見書提出の手続が欠け、公聴会の制度もない。 このように、
駐留軍用地特措法は、収用・使用認定の事前手続における権利保護の手続
きが著しく簡略化、形骸化されており、これは適正手続を保障した憲法三
一条に違反する。 よって、同法に基づく強制使用は違憲なものとして、
法的に許容されないものである。
二 駐留軍用地特措法を本件各土地の適用することの違憲性
仮に、駐留軍用地特措法が合憲だとしても、それを適用して本件各土地を
強制使用することは違憲であり、従って本件立会・署名を求めることも違憲
である。
沖縄県は国土面積のわずか〇・六%にすぎない。このような狭隘な県内に、
県土面積の一〇・八%を占める二万四五二六ヘクタールという広大な米軍基
地が存在する。国内に存在する米軍基地面積の二四・九%、米軍専用施設面
積で言えば実に七四・七%が沖縄県に集中している。そのため沖縄県や県民
は、米軍基地による不当な重圧や過重な負担を強いられている。
米軍人・軍属による夥しい犯罪、演習被害、航空機の騒音・墜落などによ
る被害は日常的に発生しており、県民の人権被害の元凶となっている。ちな
みに一九九四年度の騒音測定の結果、嘉手納飛行場周辺では、二三ポイント
中九ポイント、普天間飛行場周辺では一二ポイント中九ポイントが環境基準
を越えている。厚木・横田の両飛行場については飛行時間の制限に関する日
米合同委員会合意が存するが、嘉手納・普天間の両飛行場についてはない。
その結果、両飛行場周辺の住民は、精神的、肉体的に大きな被害を受けている。
沖縄の米軍基地のほとんどは、いずれも都市部やそれぞれの地域の中枢部
に位置して、健全な都市形成、産業振興、交通通信体系上の制約となってお
り、地域振興を図る上で大きな障害要因である。
まさに沖縄の米軍基地は「諸悪の根源」となっているのである。本件強制
使用認定は、このような米軍基地を将来の長期間にわたって存続させ、固定
化せしめるものであって、著しく公共の福祉に反する。
以上の米軍基地の実情を踏まえると、駐留軍用地特措法それ自体の合憲性
の問題はさておくとしても、沖縄県内の本件各土地を同法により強制使用す
ることは、その適用において、第一に平和的生存権を保障した憲法前文に違
反する。第二に、基地周辺住民の生活と幸福追求の権利を直接かつ著しく侵
害するものとして、憲法一三条で保障される個人の生命、身体、健康、自由
などの利益の総体としての人格権を侵害する。第三に、憲法二九条三項の
「公益のために用いる」場合に該当せず、同条項に違反する。第四に、沖縄
県民特に基地周辺住民にとって、他地域住民と比べて過重な負担を強いるも
ので、平等権を保障した憲法一四条及び地域住民の特別投票を保障した憲法
九五条に違反する。
従って、いづれの点からいっても、本件強制使用手続きは違憲・無効なも
のである。
三 本件強制使用認定の違法性
駐留軍用地特措法の違憲性をさておくとおしても、本件立会・署名の先行
行為たる使用認定行為は、同法所定の使用認定の要件を欠缺してなされた違
法なものであるから、本件立会・署名は、その違法性を承継して、それ自体
違法である。
1 駐留軍用地特措法三条所定の「駐留軍の用に供する」とは、「駐留軍」
が、同法の根拠法たる日米安保条約六条の駐留目的遂行に必要な場合をい
い、それに限定される。従って、軍隊でない機関の用途や駐留目的を逸脱
するような用途のための土地等の使用はそれに該当しない。
使用認定の対象となった本件各土地には、米軍人・軍属の家庭住宅用地
や子どものための学校用地等に提供される目的でなされたもの、核兵器の
存在疑惑や核戦争のための関連施設及び部隊等が配備された施設内のもの、
湾岸戦争への沖縄駐留海兵隊八〇〇〇人の参戦等にみられるように「極東」
の範囲を越えて中東戦略の拠点として使用され、更に「安保再定義」の動
きにみられるような地球的規模の軍事態勢の拠点として使用されようとし
ている施設内のものが存する。それらはいずれも日米安保条約の目的を逸
脱した土地等の使用であるから、「駐留軍の用に供する」場合に該当しない。
2 また同条所定の「必要とする」とは、客観的な必要性をいい、駐留軍の
希望や便宜性のみで判断されてはならない。
本件各土地には、代替性の存する施設内のもの、遊休化した施設内のも
の、黙認耕作地、施設フェンスの外部に所在しているもの、施設内外を区
分するフェンスの内部にあるが、それに近接して所在しているもの等、そ
れが返還されても基地機能にはまったく影響のない土地が存する。それら
の土地は、強制使用する程の客観的必要性はまったくないといわざるをえ
ない。
3 さらに同条所定の「適正かつ合理的である」のうち、「適正」とは憲法、
法律及び社会正義に合致することをいい、「合理的」とは土地等を強制使
用することによって得られる利益とそれによって失われる利益とを比較衡
量し、前者の利益が大きい場合をいう。
本件各土地は、国際法に違反して、一九四五年に米軍の沖縄占領と同時
に囲い込まれたか、占領下において銃剣とブルドーザーによって強制接収
されたかのいずれかによって、米軍用地として使用されていた。又、沖縄
の施政権返還の際には違憲・違法な「公用地法」とそれに続く「地籍明確
化法」に基づいてその使用継続がなされたという歴史的経緯がある。
それらの違法性を解消しないままに駐留軍用地特措法によって強制使用
され続けたものであること、およそ五〇年間という長期間にわたって、所
有者の意思に反しその権利行使が制限されてきたこと、軍事基地用地とし
て、県民の人権侵害の元凶となり、また地域の振興開発に障害を与え、県
民生活や県民福祉の向上にとって重大な障害要因となっていること等に鑑
みれば、合理的要件を欠如していることは明白である。
このように本件強制使用認定は、駐留軍用地特措法三条の要件を欠缺し
た違法なものといわざるをえず、従って、それを前提とした本件立会・署
名を求めることも違法である。
なお、各施設ごとの使用認定要件の欠缺については、次回の準備書面で
詳述する。
四 本件土地・物件調書の作成手続・内容の瑕疵
1 起業者たる国は、駐留軍用地特措法、土地収用法に基づいて、本件土地
・物件調書を作成する際、土地所有者又は関係人を立ち会わせその意見を
聞く法的義務を負っている。ところが、国は本件各土地の所有者が反戦地
主であり、立会・署名を拒否するとの先入観から、一方的に通知をなし、
同通知の日時・場所に土地所有者が現われなかったことから、これを拒否
とみなして市町村長への立会・署名を求めたものである。これは、本件各
土地が米軍基地内に所在し、土地所有者が自由に立ち入り確認できないこ
と、土地収用法が土地・物件調書に法的推定力を付与していること、及び
土地収用法が起業者に土地・物件調書の作成を義務づけ更に土地所有者の
意見聴取を義務づけて土地所有者の財産権保障、適正手続の保障を図ろう
としている趣旨に反するものであり、違法なものである。
2 本件土地のうちには、地籍不明地内の土地が含まれている。地籍不明地
は、土地の位置境界は勿論土地所有者も不明なものであり、土地調書が本
来作成し得ない土地である。ところが、起業者たる国は地籍不明地につい
ても土地調書を作成し立会・署名を求めている。しかし、地籍不明地につ
いての土地調書の違法性は重大であり、その作成手続だけでなく内容その
ものにも瑕疵がある。
3 本件土地・物件調書は、その内容にも瑕疵がある。国は、対象地が米軍
基地内にあるのであるから、土地所有者又は関係人を米軍基地内の現場で
立会わせたうえで、その意見を聞き、土地・物件調書の内容が事実である
か否かを確認し、さらに現地で土地家屋調査士(所有権に関するものであ
るので、法が認めた資格を有するものでなければならない。)を立ち会わ
せて、本件土地・物件調書を作成した者に図面等の作成方法等を説明させ
て、その作成方法の適正さをチェックさせることが必要である。ところが、
国はそのような方法をとっていないため土地・物件調書の内容そのものが
不正確なものとなっている。
このような違法な土地・物件調書については、市町村長及び知事は立会
・署名を行わないことができるものであり、且つ駐留軍用地特措法、土地
収用法上自主的に審査し判断しうるものである。
4 現場での立会・署名を求めないのは、違法である。
立会・署名は土地・物件調書の内容が事実であるか否かを確認し、調書
作成手続の適正さを確認するものであるから、立会・署名は、対象土地の
現場で行わなければならない。ところが、起業者たる国は本件各土地につ
き那覇防衛施設局内での立会・署名をもとめたのみで、現場での立会・署
名を求めたことはまったくない。これは、土地収用法に反する立会・署名
の申請であり、違法なものである。
第一〇 地方自治法一五一条の二の要件の欠缺
本件訴えは、地方自治法一五一条の二、一項の要件を欠くもので、理由がない。
一 地方自治法一五一条の二の要件
地方自治法一五一条の二は、同条三項の職務執行命令公訴提起の要件として、
(1)都道府県知事の国の機関委任事務の管理又は執行が法令の規定や主務大
臣の処分に違反すること又は国の機関委任事務の管理若しくは執行を怠ること、
(2)職務執行の勧告や命令等以外の手段では是正が困難であること、
(3)それを放置することによって著しく公益を害することが明らかであるこ
と、の三点をあげている。
知事が立会・署名を行わないことは、右の三要件のいずれにも該当せず、
本件職務執行命令公訴は同法の要件を欠き理由がない。
二 法令違反等の不存在
原告がその根拠としている駐留軍用地特措法は違憲の法律であり、知事が
立会・署名に応じないことは違憲な法律に根拠を有する機関委任事務に応じ
ないものであり、法令違反にも適当な職務を怠ることにも該当しない。
又駐留軍用地特措法を本件各土地に適用して使用認定することは違法であ
り、知事が立会・署名を行わないことは、この違法な使用認定とそれに基づ
く手続に応じないものであって、法令違反にも職務懈怠にも該当しない。
さらに本件各土地についての土地・物件調書の作成手続及び内容には瑕疵
があり、違法なものであるから、知事には立会・署名をなすべき法律上の義
務がなく、職務懈怠であるということはできない。
三 他の是正措置の存在
知事は国に対して、本件の立会・署名を行わないことの回答に先だって、
県民生活および県政を圧迫している在沖米軍基地の実態とその問題点につい
て明らかにし、基地の整理・縮小について繰り返し要請をし続けてきた。
ところが、国は日米安保条約、地位協定の締結当事者として、同協定二条
二項の取極再検討、三項の施設区域の返還の規定があるにもかかわらず、知
事の要請に基づく在沖米軍基地の整理・縮小、返還等の努力を全く怠ってきた。
知事が立会・署名を行わないことは、もとより理由なき拒否や職務懈怠で
はなく、基地の整理縮小の必要性等を十分検討したうえで、立会・署名を行
わないことこそ公益に適うものであるとの判断に基づくものである。
一方国は、知事のこれまでの度重なる基地返還、整理縮小の要請や要求に
対して、日米安保協議会等を通じて米軍と協議をし、知事の要請を実現する
等の方法や手段を尽くすことによって、知事による立会・署名の必要性を無
くするとが十分に可能であった。しかるに、国は、これを怠ったまま立会・
署名を求めてきたものであり、この点からして地方自治法一五一条の二、一
項にいう、同条一項から八項までの措置以外の方法によって、その是正を図
ることが困難であったなどとは到底言い得ない。
又、法的手段としても、起業者たる防衛施設局長に代表される事業主体と
しての国は、起業者として本件立会・署名を知事に求めたのであるから、知
事が立会・署名を行わないことが違法であるというのであれば、国は起業者
の立場で知事に対し給付訴訟(本件事務が機関委任事務とした場合)あるい
は行政事件訴訟法四条の当事者訴訟(本件事務が機関委任事務でない場合)
を提起し裁判所の判断を求めるべきであった。この措置により、原告は「そ
の是正を図る」ことができたものである。ところが、原告は本件土地所有者
に対する強制使用期間満了が迫ったことから、本来とるべき右措置をとらず
に、機関訴訟たる本件訴訟を提起したものである。これは、本来起業者の立
場で行動しなければならない国が、自己の右事情から、上級官庁の地位を利
用してあえて機関訴訟として本件訴訟を提起したものであり、極めて不当な
ものである。
四 公益侵害の不存在
1 職務執行命令訴訟は、法令違反や職務懈怠を放置することによって、
「著しく」「公益」を害することが「明らかな」場合にのみ許容されるも
のであり、公益侵害の顕著性及び明白性が必要である。
地方自治法一五一条の二の「公益」とは何であるかについて、一般的に
明確にする規定は同法上に存在しない。
「公益」とか「公益性」という観念はいわゆる不確定概念であり、安易
に、無内容で用いられてはならない。
ここでいう「公益」は、ひろく憲法、地方自治法の精神をふまえて判断
されるべきであり、日米安保条約および地位協定上の義務履行の必要性と
いう国の立場からの利益、いわゆる国益の絶対優先の論理を取り得ないこ
とは右地方自治法の規定の解釈として当然であり、地方自治の本旨をふま
えた地方自治体の立場からする公益をも含めて、総合的に判断すべきもの
である。
又、地方自治法一五一条の二の規定が国の機関委任事務の執行に関する
規定であることから、同条にいう「公益」が国に固有の必要性あるいは我
が国の全体的な政策的必要性のみを指すと理解することも誤りである。
地方自治法一五一条のニの規定は、機関委任事務の適正な執行の確保の
要請と普通地方公共団体の長の本来の地位の自主独立性との調和を図った
規定であると理解される以上(最高裁判所昭和三五年六月一七日判決、民
集一四巻八号一四二〇頁)、同条にいう「公益」については、その当該普
通地方公共団体の地域性や特殊性、歴史、住民意思、地域からみての当該
機関委任事務の執行の必要性などが十分に検討されなければならないので
ある。
原告の主張する「公益」ないし「公益の著しい」侵害は、右の点で検証、
論証抜きの独善的判断であり、公益の中身は全く具体性・実質性に欠け、
訴状添付目録記載の土地が、駐留米軍に提供されないことにより、どのよ
うな公益がどのように侵害され、それが著しくかつ明白であるかについて
の論及が全くなされていない。
右の公益性の判断にあたっては、公益の内容、性格とともに、公益の程
度が問題とされるべきであり、これらの点の検討の結果、公益の存在が否
定されたり、公益侵害の顕著性・明白性が否定されることがありうるもの
といわなければならない。
原告が本訴において主張する公益は、日米安保条約および地位協定に基
づいて、合衆国軍隊に基地用地として本件各土地を提供するというもので
あり、いわゆる軍事的公益を指していることは明らかである。
しかしながら、日米安保条約および地位協定の合憲性の有無は仮に問わ
ないとしても、我が国憲法秩序の下では、軍事的公益論は、憲法前文、憲
法九条に照らし、さらには軍事的公益を排している土地収用法(旧土地収
用法の改正にあたって「国防・軍事のための収用」を削除)や森林法(軍
による材木の強制供出等の制度を廃した法改正)などの諸立法に鑑み、到
底取り得ないものであり、原告の主張する軍事的公益をもって、職務執行
勧告、命令をなしうる公益と解することは許されない。
2 また日米安保条約六条は、「日本国の安全に寄与し、並びに極東におけ
る国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸
軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域をしようすることを許さ
れる」と規定し、条約上日本国がアメリカ合衆国に対し使用する施設及び
区域を提供するものと定めてはいるが、アメリカ合衆国が要求する施設及
び区域を日本国がアメリカ合衆国に対し必ず提供しなければならないとい
う条約上の義務は存しない。
国は、アメリカ合衆国に提供する土地の使用権原を取得できない場合に
は、条約上、当該土地を提供する義務を負わないものである。
それ故、特定の具体的な土地について基地として提供できなくなるから
といって、そのことから公益侵害が顕著であり、明白であるとはいえない。
本件においての公益侵害の有無や公益侵害の顕著性および明白性の存在
は、本件各土地の所在位置や用途なども含めて具体的に検討すべきである。
例えば、本訴状別紙目録6の土地(所有者島袋善祐)はキャンプシールズ
内の土地であるが、フェンスから数一〇メートルの距離にある駐車場用地
であり、同土地を提供できないことにより、どのような「著しい公益侵害」
が生ずるというのであろうか。
このように、原告が主張する公益とは極めて抽象的なものであり、実態
を有しないものである。
3 知事が立会・署名を行わなかったのは、沖縄県における米軍基地の実態、
それが県民生活および県政に与えている重大な支障、国の求めるままに立
会・署名をなすことが基地の固定化につながるものであること、立会・署
名に応ずることにより県民の財産権が侵害されること等々の諸般の事情を、
県民の代表としての立場から総合的に判断し、沖縄県および県民の公益を
確保、実現するためである。
よって、本件立会・署名に応じないことが「著しく公益を害することが
明らか」とは言えない。
第一一 結び
一 本件訴訟は沖縄の米軍基地の現状が憲法でいう平和的生存権、平等原則、
財産権の尊重、地方自治の本旨の原則の観点から許されるかどうかを問うも
のであり、訴訟の結果は今後の沖縄の方向を決定づけることとなる。
国は今回、強制使用をしようとする土地を既に五〇年という長期間、所有
者の意思に反して基地として強制使用してきた。今後、何時になれば返して
くれるのか、全く見通しさえつかない。それどころか、米軍基地の存在によっ
て受けるさまざまな被害も後を断たない。
県民は土地を強奪され、平和的生存権をおびやかされ、基地被害に苦しみ
ながら、既に半世紀も堪えてきた。もうこれ以上の我慢はできないというこ
とで、県知事に対し本件立会・署名拒否を求めているのである。これまでも
くり返し述べてきたが沖縄の米軍基地の集中は全く異常である。それ故にこ
そ知事は基地問題解決を基本政策として精力的に取り組んでいるのである。
二 本件訴訟は、県民の総意というべき知事が立会・署名を行わなかったこと
を契機に、総理大臣が知事を訴えるという前例のないケースである。それだ
けに裁判所は、知事が署名拒否をするに至った背景、米軍用地の実態とその
歴史的な経緯、基地による爆音公害と、さまざまな基地被害、都市計画を阻
害する基地の実態、地方自治体の本旨とは何か、等々について十分な審理を
尽くす必要がある。
三 沖縄県は復帰後、幾度となく国に対し、基地問題の解決を訴えてきた。し
かし、国は全くこれに応えてくれなかった。東西の冷戦構造が終焉した今日
でも沖縄の基地問題は一向に解決されるきざしがない。
沖縄戦とそれに引き続く異民族支配、更に復帰後も続く基地の重圧に苦し
む県民の心を知る知事にとって、最後に残された手段が本件「署名拒否」で
あった。これに対し総理大臣がとった措置が本件職務執行命令訴訟である。
知事は、沖縄県民の代表として、本件訴訟が県知事本来の自主独立性、ひい
ては地方自治の本旨に反する違法、不当なものであることを本法廷で明らか
にしたい。
裁判所は、沖縄県民の納得しうる十分な審理を尽くして、司法権の独立を
まっとうしていただくよう、強く要請する。
以上