最高裁大法廷判決 法廷意見要旨
平成八年(行ツ)第九〇号 地方自治法一五一条の二第三項の規定に基づく職務執
行命令裁判請求事件
法 廷 意 見 要 旨
第一 本件訴えの適法性
一 機関委任事務該当性
土地収用法の定める手続構造からすれば、公益事業の円滑な遂行と私有財産権の
保障との調整を図ることを目的として、起業者が行う事業の遂行を規制することは、
起業者に土地等の収用又は使用の権限を付与した国の責務であり、そのための事務
は、その性質上、国の事務に当たる。同法三六条五項所定の署名等代行事務も右の
ような性質を有する事務であるから、国の事務に当たり、これが、同条項に基づき
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都道府県知事に機関委任されているものと解される。駐留軍用地特措法三条の規定
による土地等の使用又は収用に関して適用される場合における土地収用法三六条五
項所定の署名等代行事務についても、これと別異に解する理由はない。
二 主務大臣
駐留軍用地特措法三条の規定による土地等の使用又は収用に関して適用される場
合における土地収用法三六条五項所定の署名等代行事務は、我が国の安全保障並び
にこれと密接な関係を有する極東における国際の平和及び安全の維持という国家的
な利益にかかわる事務であるとともに、日米安全保障条約に基づく我が国の国家と
しての義務の履行にかかわる事務であること、駐留軍用地特措法に基づく土地等の
使用又は収用の認定権者が被上告人とされていることからして、その主務大臣は、
被上告人というべきである。
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第二 本件職務執行命令の適法性
一 職務執行命令訴訟における司法審査の範囲
地方自治法一五一条の二は、都道府県知事本来の地位の自主独立性の尊重と国の委
任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の実効性の確保との間の調和を図る
ために職務執行命令訴訟の制度を採用したものと解される。この趣旨から考えると、
職務執行命令訴訟においては、下命者である主務大臣の判断の優越性を前提に都道
府県知事が職務執行命令に拘束されるか否かを判断すべきものと解するのは相当で
なく、主務大臣が発した職務執行命令がその適法要件を充足しているか否かを客観
的に審理判断すべきものと解するのが相当である。
二 駐留軍用地特措法の合憲性
日米安全保障条約に基づく施設及び区域の提供義務を履行するために必要な土地等
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を所有者との合意に基づき取得することができない場合に、当該土地等を駐留軍の
用に供することが適正かつ合理的であることを要件として(駐留軍用地特措法三条)、
これを強制的に使用し、又は収用することは、条約上の義務を履行するために必要
であり、かつ、その合理性も認められるのであって、私有財産を公共のために用い
ることにほかならない。国が条約に基づく国家としての義務を履行するために必要
かつ合理的な行為を行うことが憲法前文、九条、一三条に違反するというのであれ
ば、それは当該条約自体の違憲をいうに等しいことになるが、日米安全保障条約及
び日米地位協定が違憲無効であることが一見極めて明白でない以上、裁判所として
は、これが合憲であることを前提として駐留軍用地特措法の憲法適合性についての
審査をすべきであるし(最高裁昭和三四年(あ)第七一〇号同年一二月一六日大法
廷判決・刑集一三巻一三号三二二五頁参照)、上告人も、日米安全保障条約及び日
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米地位協定の違憲を主張するものではないことを明示している。そうであれば、駐
留軍用地特措法は、憲法前文、九条、一三条、二九条三項に違反するものというこ
とはできない。
三 駐留軍用地特措法の沖縄県における適用の許否
駐留軍用地特借法による土地等の使用又は収用の認定は、駐留軍の用に供するた
め土地等を必要とする場合において、当該土地等を駐留軍の用に供することが適正
かつ合理的であると判断されるときになされるのであるが(同法五条、三条)、右
認定に当たっては、我が国の安全と極東における国際の平和と安全の維持にかかわ
る国際情勢、駐留軍による当該土地等の必要性の有無、程度、当該土地等を駐留軍
の用に供することによってその所有者や周辺地域の住民などにもたらされる負担や
被害の程度、代替すべき土地等の提供の可能性等諸般の事情を総合考慮してなされ
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るべき政治的、外交的判断を要するだけでなく、駐留軍基地にかかわる専門技術的
な判断を要することも明らかであるから、その判断は、被上告人の政策的、技術的
な裁量にゆだねられているものというべきである。沖縄県に駐留軍の基地が集中し
ていることによって生じているとされる種々の問題も、右の判断過程において考慮、
検討されるべき問題である。沖縄県における駐留軍基地の実情及びそれによって生
じているとされる種々の問題を考慮しても、同県内の土地を駐留軍の用に供するこ
とがすべて不適切で不合理であることが明白であって、被上告人の適法な裁量判断
の下に同県内の土地に駐留軍用地特措法を適用することがすべて許されないとまで
いうことはできないから、同法の同県内での適用が憲法前文、九条、一三条、一四
条、二九条三項、九二条に違反するとはいえない。また、駐留軍用地特措法は沖縄
県にのみ適用される特別法ではないから、同法の沖縄県における適用が憲法九五条
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に違反するとの主張は、その前提を欠く。
四 使用認定の有効性
署名等代行事務は、使用認定から使用裁決に至る一連の手続を構成する事務の一
つであって、使用裁決を申請するために必要な土地調書及び物件調書を完成させる
ための事務である。使用裁決の申請は、有効な使用認定の存在を前提として行われ
るべき手続であるから、本件各土地に係る使用認定に重大かつ明白な瑕疵があって
これが当然に無効とされる場合には、被上告人が上告人に対して署名等代行事務の
執行を命ずることは許されないものというべきであるが、使用認定に何らかの瑕疵
があったとしても、その瑕疵が使用認定を当然に無効とするようなものでない場合
には、これが別途取り消されるまでは、何人も、使用認定の有効を前提として、こ
れに引き続く一連の手続を構成する事務を執行すべきものである。したがって、本
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件各土地につき、有効な使用認定がされていることは、被上告人が上告人に対して
署名等代行事務の執行を命ずるための適法要件をなすものとして、本件訴訟におい
て審理判断を要するが、使用認定に取り消し得べき瑕疵のないことは、右要件をな
すものとはいえず、右瑕疵の有無は、自己の権利ないし法的利益を侵害された者が
提起する取消訴訟において審理判断されるべき事柄であって、この点についてまで、
本件訴訟において審理判断をすべきものと解することはできない。
沖縄返還の際の日米両国間の合意、その後の駐留軍基地の返還交渉の経緯、その
使用状況、執られている基地対策等につき原審が確定した事実関係に照らすと、同
県に駐留軍の基地が集中している現状や本件各土地の使用状況等について上告人が
主張する諸事情を考慮しても、本件各土地を駐留軍の用に供する必要があり、その
用に供することが適正かつ合理的であるとした被上告人の判断に、その裁量権の範
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囲を逸脱し、又はこれを濫用した違法があり、しかもその違法が重大かつ明白なも
のであるということはできない。
五 署名等の代行申請手続並ぴに土地調書及び物件調書の作成の適法性
土地収用法三六条二項は、土地調書及び物件調書作成の全過程で、土地所有者及
び関係人に立会いの機会を与えることを要求しているものではなく、調書が有効に
成立する暑名押印の段階で、調書を土地所有者及び関係人に現実に提示し、記載事
項の内容を周知させることを求めているものと解するのが相当であるし、土地調書
及び物件調書の作成につき市町村長の署名押印又は都道府県知事による署名等の代
行の制度を定めた趣旨からすると、同条四項、五項が、市町村長、その指名する市
町村の吏員又は都道府県知事が指名する都道府県の吏員に現地における立会いの機
会を与えることを要求しているものとも解し難い。原審が確定した事実関係によれ
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ば、那覇防衛施設局長は、駐留軍用地特措法一四条、土地収用法三六条二項、四項、
五項の定めるところに従い、上告人に対して署名等の代行を申請したものというこ
とができ、また、本件調書の記載事項の調査方法や土地調書に添付すべき実測平面
図の作成方法にも違法の点はない。
六 地方自治法一五一条の二第一項所定の要件
上告人の署名等代行事務の執行の懈怠を放置するときは、被上告人が本件各土地
を駐留軍の用に供することが適正かつ合理的であると判断して使用認定をしている
にもかかわらず、那覇防衛施設局長は、収用委員会に対する裁決申請をすることが
できないことになり、その結果、日米安全保障条約六条、日米地位協定二条に基づ
く我が国の国家としての義務の履行にも支障を生ずることになることが明らかであ
るから、上告人の署名等代行事務の執行の懈怠を放置することにより、著しく公益
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が害されることが明らかであるといわざるを得ない。上告人は、署名等代行事務の
執行の拒否は、駐留軍の基地が沖縄県に集中していることによる様々な問題を解決
するという地方自治の本旨にかなった公益の実現を目指すものであるから、これを
もって著しく公益を害するということはできないというが、駐留軍用地特措法一四
条、土地収用法三六条五項が都道府県知事による署名等の代行の制度を定めた趣旨
が、裁決申請に必要な土地調書及び物件調書を完成させ、土地等の使用又は収用の
事業の円滑な遂行を図るとともに、右各調書の作成が適正に行われたことを公的に
確認することにより、その作成の適正を担保し、ひいては私有財産権の保障を手続
的に担保することにあることからすると、上告人において署名等代行事務の執行を
しないことを通じて右の問題の解決を図ろうとすることは、右制度の予定するとこ
ろとは解し難い。
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