代理署名拒否訴訟

上告人(沖縄県)  上告理由補充書

上告理由補充書

平成八年(行ツ)第九〇号
             上告人      沖縄県知事
                      大 田 昌 秀
             被上告人     内閣総理大臣
                      橋 本 龍太郎
      

一九九六年五月二〇日
             上告人訴訟代理人
                  弁護士     中 野 清 光
                 同        池宮城 紀 夫
                 同        新 垣   勉
---------- 改ページ--------
                 同        大 城 純 市
                 同        加 藤   裕
                 同        金 城   睦
                 同        島 袋 秀 勝
                 同        仲 山 忠 克
                 同        前 田 朝 福
                 同        松 永 和 宏
                 同        宮 國 英 男
---------- 改ページ--------
                 同        榎 本 信 行
                 同        鎌 形 寛 之
                 同        佐 井 孝 和
                 同        中 野   新
                 同        宮 里 邦 雄
最高裁判所第三小法廷  御中
---------- 改ページ--------1
           上告理由補充書
上告人は、先に提出した上告理由書を次のとおり、補充する。
一 上告理由第六点についての補充
1 職務執行命令裁判の基本構造と「公益侵害」要件
 (一)地方自治法一五〇条は、「地方公共団体の長が国の機関として処理する行政
  事務」について、主務大臣が都道府県知事を、主務大臣及び都道府県知事が市町
  村長を指揮監督する旨定め、指揮監督系列を明確化した。
   同法一五一条一項が、機関委任事務のうち「行政庁又は市町村長の権限に属す
  る国・・・の事務」につき、都道府県知事が市町村長に対して、処分の取消し、
  又は停止を命ずることができる旨定めていることからすると、右一五〇条の「指
  揮監督」とは、都道府県知事又は市町村長に対してある行為を指示し、或いは求
  め、都道府県知事又は市町村長がこれに従うことを期待することを内容とするも
  のであり、都道府県知事又は市町村長がなした処分そのものを直接「取消し、又
---------- 改ページ--------2
  は停止」したりするという直接的な法的効果を生ぜしめるものではないと解され
  る。
   地方自治法が、都道府県知事に対して、「市町村長の権限に属する国・・・の
  事務」につき処分の取消し、又は停止を命ずる権限を認め、主務大臣に対して、
  「都道府県知事の権限に属する国の事務」につき同様の権限を認めなかったこと
  は、同法が、都道府県知事についてはその自主的判断を介して機関委任事務の管
  理・執行を行うという法構造をとっていることを示すものである。
 (二)地方自治法は、一五一条の二において、機関委任事務のうち「都道府県知事
  の権限に属する国の事務」については、主務大臣が都道府県知事に対して、違反
  の是正等の勧告(一項)、職務執行命令(二項)、職務執行命令裁判の請求(三
  項)を行うことができると定め、「市町村長の権限に属する国・・・の事務」に
  ついては、都道府県知事が市町村長に対して同様の勧告、命令、裁判の請求をな
  しうるものと定める(一二項)。
---------- 改ページ--------3
   地方自治法は、機関委任事務の管理・執行の実効性については、主務大臣と都
  道府県知事間又は都道府県知事と市町村長間のいずれについても、職務執行命令
  裁判を介在させて、司法機関に「地方公共団体の長本来の地位の自主独立性の尊
  重と、国の委任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の実効性の確保との
  間に調和を図」る判断を行わせるものとしている。
   これは司法権が、職務執行命令裁判を通して、司法が本来有する「法律上の争
  訟」についで裁判を行うという役割とは異なる役割を果たすことを期待されてい
  ることを示すものである。裁判所法は、三条において「一切の法律上の争訟を裁
  判し、その他法律において特に定める権限を有する」と定め、一七条において「
  高等裁判所は、この法律に定めるものの外、他の法律において特に定める権限を
  有する」と規定するが、職務執行命令裁判は正に「他の法律において特に定める
  権限」に属する裁判である。
   この点をきちんと理解することは、地方自治法一五一条の二の「公益侵害」要
---------- 改ページ--------4
  件を正しく解する上で極めて重要である。
 (三)地方自治法一五一条の二の「それを放置することにより著しく公益を害する
  ことが明らかであるとき」という要件(「公益侵害」要件という)は、一九九一
  年の同条の追加の際に、新たに加わった要件であり、同条の迫加以前には存しな
  かったものである。現行の一五一条の二に対応する同条追加以前の条文である一
  四六条は、単に「国の事務の管理若しくは執行が法令の規定若しくは主務大臣の
  処分に違反するものがあると認めるとき、又はその国の事務の管理若しくは執行
  を怠るものがあると認めるとき」という要件を規定するだけで、右「公益侵害」
  要件を定めていなかった。
   右一九九一年の改正により、法が新たに司法機関に対し、法令・処分の違反の
  有無、又は怠る行為の有無以外に「公益侵害」要件の有無を判断させようとして
  いることは、同改正の経緯から見て明らかである。
   法令・処分の違反、又は怠る行為が認められれば、都道府県知事、又は市町村
---------- 改ページ--------5
  長の行為は形式的には直ちに違法となるにもかかわらず、何故右改正により追加
  された一五一条の二は、それだけでは勧告や命令を発しえないものとし、「公益
  侵害」要件を充たすことが必要と規定したのであろうか。
   右立法の経過を踏まえると、それは、機関委任事務を管理・執行する都道府県
  知事又は市町村長は、国の機関として法律により同事務の管理・執行を義務付け
  られている一方、他方で憲法及び地方自治法により地方公共団体の長として地方
  自治の本旨に従って地方行政を執行する憲法上、地方自治法上の法的義務を負っ
  ていることから、その調和を図るためには、地方公共団体の長として都道府県知
  事又は市町村長が行う自主的判断、すなわち地方自治の本旨に従って行われる自
  治行政判断と法が機関委任事務の執行に託した個別的法目的の実現とを比較衡量
  して、どちらの法的義務、判断を優先させるかを司法機関に判断させることが必
  要とされたためと解される。
   従って、一五一条の二にいう「公益」とは、公益概念が本来有する「総合的」
---------- 改ページ--------6
  なものとして、且つ憲法の保障する価値体系、憲法原理を内包する調整基準とし
  て解釈すべきものである。
  「公益」概念が法律概念として定められているものである以上、わが国法体系上
  最高規範としての憲法の保障する価値や原理が「公益」の中心的内容としてとら
  えられるべきであることは当然のことである。
 (四)ところが、原判決は、一五一条の二の「公益」とは「当該国の事務の管理執
  行を都道府県知事に委任している当該法令が右事務の管理執行により保護、実現
  しようとしている公的な利益である」と解して、同概念が持つ「総合性」、「調
  整基準機能」を否定した。これは、一九九一年の改正の経緯を無視し、一五一条
  の二が「公益侵害」要件を新たに付け加えた趣旨を理解しないものであり、同条
  の解釈を誤ったものと厳しく批判せざるをえないものである。
2 「公益」の具体的内容
 (一)一五一条の二は、「それを放置することにより・・・公益を害する」と規定
---------- 改ページ--------7
  するが、そこでいう「それを放置することにより」とは、法令違反又は怠る行為
  が「当該国の事務の管理執行を都道府県知事に委任している当該法令が右事務の
  管理執行により保護、実現しようとしている公的な利益」を害することを意味す
  るものであるから、害される「公益」が当該法令が機関委任事務の管理軌行によ
  り保護、実現しようとする公的利益と異なることは文言上明らかである。
   従って、本件に即していうと、立会・署名が行われないことにより、防衛施設
  局又は起業者が土地・物件調書を作成できず、そのため強制使用手続を進めえな
  い事態が生ずるとしても、そのこと自体は、法令違反又は怠る行為の結果当然に
  起きる事態であり、「公益侵害」要件の「公益」の内容をなすものではない。
 (二)「公益侵害」要件にいう「公益」は、当該機関委任事務を行うことにより生
  ずる公的な利益、すなわち、強制使用手続を進めることにより当該土地を強制的
  に使用することによって得られる利益と当該機関委任事務を行わないことにより
  生ずる公的な利益とを比較衡量し、どちらが公共の利益に合致するかを総合的に
---------- 改ページ--------8
  判断すべきものである。
 (三)「公益」、すなわち公共の利益は不確定概念であり、一般的に定義すること
  は余り意味がなく、具体的事案に即して具体的に考察すべきである。
   本件に即していうと、防衛施設局は、日米地位協定上米国に対し土地提供義務
  を負っているとして、本件土地の使用権を取得する必要性を主張し、その必要性
  を「公益」の具体的内容として主張している。他方、大田沖縄県知事は、強制使
  用手続が進められて、本件土地についての使用権が取得されて駐留米軍の基地と
  して使用されることにより米軍基地が固定化され存続することにより、地域住民
  の人権、生活が侵害され、地域の経済の振興が阻害され、そのことにより知事の
  自治行政が十分に果たしえないことを主張し、強制使用手続を進めないことこそ
  「公益」と主張しているものである。
   従って、本件における「公益」とは、駐留米軍基地そのものの公益性、しかも
  抽象的な駐留米軍基地の公益性ではなく駐留米軍の専用施設の約七五パーセント
---------- 改ページ--------9
  が狭い沖縄県に集中している現状及びこれまでの過去の経緯を踏まえて、さらに
  今後長期間にわたって米軍基地を存続させることの公益性を具体的内容とするも
  のである。この「公益」性は、すぐれて憲法的価値判断を含むものであり、具体
  的な事実認定の上でなされる法的判断である。
 (四)右判断を行うためには、本件で問題とされている土地が米軍にとってどの程
  度必要な土地であるのか、本件土地の使用権原を国が取得できないことにより米
  軍が現実に本件土地を使用している事態に支障が具体的に生ずるのか否か(読谷
  村の楚辺通信所<いわゆる象のオリ>では、国は土地の一部の使用権を取得でき
  なかったが、米軍は同土地を継続使用しており、国が土地の使用権を取得できな
  いことによる米軍基地への障害は現実には生じていない事実がある)、国が米国
  に提供してきた土地につき、国が使用権を取得しえない事態が生じたとき、国は
  米軍に対し土地の返還を求めているのか否か、米軍に支障のない土地については、
  国が土地の使用権を取得しえないときには、日米地位協定上土地の提供義務を負
---------- 改ページ--------10
  わないのではないか等を具体的に事実認定をする必要がある。
   又、米軍基地の存在が、どれほど地域住民の人権、生活を侵害し、地域の経済
  振興を阻害しているか否か等も具体的に事実認定するなどして検討する必要があ
  る。
   ところが、原判決は、結論を急ぐあまり、右重要な事実について、本件におけ
  る「公益侵害」にかかわりのないこととして、その存否についての事実調べを行
  わないまま、上告理由書で指摘したとおり誤った「公益」解釈に立って判決をな
  したものであり、到底破棄を免れないものである。
3 収用高権と地方公共団体の自主的判断の関係
 (一)収用高権の発動の手続を定める一般法が土地収用法であり、その特別法が駐
  留軍用地特措法である。収用高権の発動は、事業準備のための他人の土地等への
  立ち入り等の許可から始まるといえるが、強制収用・使用手続の具体的な開始は
  建設大臣又は総理大臣の事業認定又は使用認定により、起業者又は防衛施設局長
---------- 改ページ--------11
  に対し強制収用・使用を申請しうる法的地位を与えることにより、始まる。
   土地収用法又は駐留軍用地特措法が、起業者又は防衛施設局長に対し“強制収
  用・使用を申請しうる法的地位”を与えるか否かの判断権を、建設大臣又は総理
  大臣に与えていることは、法の規定上明らかといえる。
   しかし、法が右判断権を建設大臣又は総理大臣に与えていることから、直ちに
  法が収用高権の手続の進行について、他の者が関与することを禁じていると結論
  づけるのは正しくない。土地収用法又は駐留軍用地特措法は、起業者又は防衛施
  設局長に対し“強制収用・使用を申請しうる法的地位”を与えるか否かについて
  の判断権を建設大臣又は総理大臣にあたえているが、それはあくまで“強制収用
  ・使用を申請しうる法的地位”を与えるか否かについての判断権であり、“強制
  収用・使用を申請しうる法的地位”を与えられた起業者又は防衛施設局長が、そ
  の後収用手続を進める法的地位(又は何らかの権利)を無条件に保障するもので
  はない。
---------- 改ページ--------12
 (二)土地収用法又は駐留軍用地特措法は、土地・物件調害の立会・署名について、
   都道府県知事に対し国の事務を機関委任しているものであり、機関委任事務制
  度そのものが、都道府県知事の自主的判断を尊重し、主務大臣との間に判断の相
  違が生じたときには、その調和を図るため司法にその判断を委ねているのである。
  それゆえ、司法が独自の立場から機関委任事務の管理・執行について審査するに
  際し、収用・使用手続を進めるか否かにつき判断を行うことになったとしても、
   それは法そのものが予定しているものであり、事業認定又は使用認定権限を建
  設大臣又は総理大臣に認めたことに反することにはならない。
  定める収用手続法により規定されるものである。土地収用法又は駐留軍用地特措
  法は、事業認定又は使用認定により、起業者又は防衛施設局長に対し“強制収用
  ・使用を申請しうる法的地位”を与える権限を建設大臣又は総理大臣に対し、認
  める一方、その後の収用手続に機関委任事務の形で地方公共団体の長を関与させ、
---------- 改ページ--------13
  地方行政に重大な影響を及ぼす収用手続に地方公共団体の意見を反映させている。
   時の政府の判断だけで取用高権を発動・貫徹させるのではなく、地方公共団体
  の長の判断をその手続の中に反映させ、両者の判断が衝突したときに、司法がそ
  の間に入って、何が最も「公益」に合致するか否かを総合的に判断し、もって収
  用高権の発動の適正さを保障する法構造をとっているのが、土地収用法であり、
   また駐留軍用地特措法である。このように解することこそもっとも同法の精神
  に合致するものである。
   このような法構造の中に、地方自治法一五一条の二の「公益侵害」要件は位置
  づけられていることを見失ってはならない。
二 「公益」判断の必要性──原判決に対する世論の反応
 1 本件の最大の眼目は、司法が沖縄県における駐留米軍基地の実態をどのように
  法的に評価し、とりわけ「公益」要件の該当性との関係においていかなる判断を
  なすかにある。原判決は、法解釈の技術を駆使してこれを回避した。しかし、こ
---------- 改ページ--------14
  れは、上告人が上告理由書で指摘したとおり、職務執行命令裁判の基本構造を正
  しく理解しないものであり、国民が司法に期待する最も中心的課題に、真正面か
  ら答えないものとして、世論から厳しく批判されているものである。
   以下、一九九六年三月二六日付の地元の新聞「沖縄タイムス」、「琉球新報」
  の社説、全国紙「朝日新聞」、「毎日新聞」の社説を本書面末尾に添付して、世
  論を代表するものとして、判決に対するマスコミ論調を紹介する。
 2 沖縄タイムスは、「判決には、正直いって戦後五十年余の苦渋への配慮は何ら
  感じられない。裁判になった原因がどこにあるのかを問わず、実質審理を避けた
  結果であろう。」とし、「大田知事が・・・代理署名拒否を表明したのは、戦後
  五十年という節目の中で、署名すれば基地の固定化につながり、県民の平和的生
  存権、財産権を脅かし、憲法で保障された平等の原則にも反すると考えたからで
  あった。この考えは、多くの県民の共感をよんだ。二十一世紀へ向け平和な島を
  構築するには、基地の整理・縮小が不可欠であることはいうまでもない。数え上
---------- 改ページ--------15
  げればきりがないぼどの事件・事故をみればはっきりするし、平和の配当は国民
  が平等に享受する権利があると思うからだ。」と主張する。
   琉球新報は、「この訴訟で国の主張、そして裁判所の訴訟指揮の柱として一貫
  していたのは、国益(公益)としての日米安保条約の履行、その体制の堅持。そ
  れを金科玉条として掲げ、審理を米軍用地特措法に基づく「手続き」の適否とい
  う形式審理に絞り込んだのが、大きな特徴といえよう。」と評し、「沖縄におい
  ては、憲法、民主主義よりも日米安保体制の維持が“錦の御旗”としてその上位
  に翻ったということになる」と批判し、「沖縄側が問い、司法の光の照射を求め
  ていたのは・・・銃剣とブルドーザーによって強制収用された広大な軍事基地の
  歴史的経緯であり、戦後半世紀余、復帰から二十四年経過した今日の沖縄の現状
  の憲法と民主主義の名における司法によるチェックである。」と指摘する。
   朝日新聞は、「沖縄県民を失望させたのは、判決の結論だけではない。審理を
  通じて、政府ばかりか、裁判もまた、沖縄の米軍基地問題に正面から取り組む意
---------- 改ページ--------16
  思と力を持ち合わせていないことを見てとったのではないのか。裁判は、この問
  題をめぐる沖縄と本土、つまり日本政府や司法との間に横たわっている意識の溝
  の深さをさらけ出した。今回の判決からまず受け取るべきは、この溝の深さであ
  る。」と指摘する。そして「沖縄県側が署名拒否という前例のない決断を下した
  のは、祖国復帰から二十年余り、政府に求め続けてきたにもかかわらず、一向に
  基地の整理縮小が進まなかったからだ。このことを裁判所はどれだけ考えたのだ
  ろうか。」と問いかける。そして、「沖縄の声は、生活に根ざした人権救済の要
  求である。大塚一郎裁判長は、判決理由に沖縄への『同情』を付け足すことより
  も、基地の現状が憲法の理念に反しないかどうかに答えるべきだった。」と批判
  する。
   毎日新聞は、「被告は県側であったが、実際に裁かれたのは、復帰から四半世
  紀になるというのに、基地集中に伴う騒音被害や米兵による犯罪などを放置して
  きた国、そして安保体制のひずみだった。その意味から、もっと踏み込んだ判断
---------- 改ページ--------17
  を示して欲しかったが、判決は行政機関相互間の権限行使に関する形式的審査の
  範囲内にとどまり、地方自治の本旨や公益などの憲法論争を回避した。残念と言
  わざるを得ない。」と評した。
   右に見たように、世論は原判決が司法としての責任を放棄したことを等しく指
  摘し、批判している。
   最高裁判所は、いま司法に求められている国民の期待に応えて、沖縄の米軍基
  地問題について、憲法的判断を行う責務を負っているといえよう。

戻る

runner@jca.or.jp