楚部通信所立入 仮処分申立
知花昌一氏所有の楚部通信所内(通称ゾウの檻)の土地は、3月31日で米軍用
地としての賃貸借契約が期限切れとなっており、その土地への立入を政府が拒否
していることから、知花氏が立入を求めて仮処分の申請をしています。
この仮処分申請に関する資料は、千葉大学の比嘉明子さんが、直接以下の3文書
を知花さんからコピーさせて頂き、電子データ化することが出来ました。
1 仮処分申立書
2 疎甲第二号証 陳述書
3 疎甲第一三号証 西沢鑑定書
4 緊急使用不許可理由書 5月12日 登録
その他に、国の答弁書等の書類もあるのですが、現時点で入手できていません。
これらの書類と、今後出てくる書類については、知花さん手を煩わせるわけには
いきませんので、現在、弁護団と折衝中です。
知花さんご自身は、これらの資料を「世界中にばらまいてくれ!」と言われてい
るそうですので、いずれ他の資料もご紹介できると思います。
当事者目録 別紙のとおり。
目的物の表示 別紙物件目録記載のとおり。
目的物の価格 金 円
申立の趣旨
一 債務者は、自己又は第三者をして、債権者およびその指定する者が、別紙物件目
録記載の土地に立ち入り・使用することを妨害してはならない。
二 債務者は、この命令送達の日から五日以内に別紙物件目録記載の土地上にある別
紙図面記載の工作物を収去し、別紙物件目録記載の土地を明け渡さなければならな
い。
債務者において前項の命令を実行しない時は、債権者は那覇地方裁判所執行吏に
委任して右物件の撤去作業を行わせることができる。
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との裁判を求める。
申立の原因
第一 当事者
一 債権者は平成六年六月一日、前所有者父知花昌助から別紙物件目録記載の土地
(以下「本件土地」という。)の贈与を受け、その所有権を取得した。(疎甲第
一号証)
二 債務者は、債務者とアメリカ合衆国との間に締結された、「日本国とアメリカ
合衆国との間の相互協力および安全保障条約」(以下「安保条約」という。)お
よび、同条約第六条の規定に従って両国間で締結された、「日本国とアメリカ合
衆国との間の相互協力および安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日
本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(以下「地位協定」という。)に
基づいて、アメリカ合国軍隊が使用する施設および区域として同国に提供してい
ると称して、本件土地を何らの法的根拠も権限もなく右軍隊に提供して使用させ
ている。(疎甲二、一一号証)
第二 本件土地の占有状況
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一 本件土地は、別紙図面記載の通り、米海軍安全保障グループ(NSGA)の管
理する「楚辺通信所」(キャンプ・ハンザー)の施設用地の一部として占有使用
されている。(疎甲第二・三号証)
直径二〇〇メートル、高さ二八メートルの巨大な円筒型のアンテナ群が、檻の
ような格好をしている事から、通称「象のオリ」と称せられている。
航空機、船舶、及びその他の軍事通信の傍受施設として使用されており、これ
らの通信を傍受し、コンピューター分析をする任務を果たす施設であって、「米
国の世界的戦略機能の一つで、通信傍受を目的とした電子スパイ基地」と言われ
ている。
また、米国国家安全保障局(NSA)と密接に結びついており、世界中に張り
めぐらされた米国諜報組職の前線基地の役割を担っており、盗聴、暗号解読など
を目的とした、あらゆる軍事情報の解析センターであるとの指摘もなされている。
二 本件土地上の工作物は、右アンテナ群の外側鉄塔の敷地の一部として使用され
ている。正確な図面の作成については、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協
力及び安全保障条約第六条に基づく施設および区域並びに日本国における合衆国
軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法(以下「刑特法」という。)第
二条により、刑罰の適用をもって立ち入りが禁止されているためその作成ができ
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ない。
添付図面は、債務者が、沖縄県知事に対する職務執行命令訴訟において、本件
土地およぴ施設を特定する図面として作成提出したものである。(疎甲第四号証
の七)
第三 軍用地強奪の歴史
一 本件土地周辺は、沖縄戦前夜の一九四三年夏ころから、日本軍の北飛行場とし
て接収されていった。
日本軍第三二軍は、読谷村喜名・伊良皆・座喜味にまたがる、二一六万平方メー
トルの広大な農地を接収して、右飛行場を建設したのである。
二 一九四五年四月一日、米軍は日本軍の抵抗を殆どうけることなく、読谷村渡具
知海岸から上陸し、その日の内に右飛行場を占領し、さらに接収地域を広げていっ
た。
本件土地は、元、宅地であったものであるが、一九四五年四月一日以後、米軍
によって接収され、米軍基地の一部となったものである。接収当初は黙認耕作地
の状態で農耕が可能であったが、一九五二年頃には本件通信施設が設置され、以
後本件土地への立ち入りは不可能となった。
三 米軍は、沖縄占領と同時に沖縄本島在住者を島内十数カ所に抑留し、その間に
米海軍政府布告第七条(一九四五年)を布告し、土地所有権等権利行使を停止し、
軍事上必要とされる地域は全て囲いこんで軍用地として接収した。土地所有者の
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意思を無視し、問答無用に土地を強奪していったのである。
米軍による土地強制使用は、へーグ陸戦法規によるものといわれているが、土
地強奪は、同法規に定める「私有財産尊重」「没収略奪の禁止」の原則に違反す
るものであっただけでなく、土地の強制使用による基地形成は「日本の民主化と
平和の確立」という駐留の目的を定めたポツダム宣言にも明白に違反する行為で
あった。
四 日本政府は、沖縄において米軍が国際法規に違反して広大な土地を強制的に地
主から取り上げ、そのために沖縄の人民の生活が破壊されることを知りながら、
米軍による沖縄支配を終わらせ、人民の生活の再建と権利の回復を講ずるのでは
なく、むしろ逆に、講和条約を結んで沖縄の施政権を米国に売り渡した。
沖縄に対する米軍の軍事的専制支配に法的根拠を与えたのである。
沖縄県民は「猫の額の許す範囲でしか遊べない」との米軍政官の発言が示すよ
うに絶大な軍権力の下で人権を奪われ、土地を強奪されていったのである。
一か月の給料が煙草銭にも満たないという劣悪な労働条件のもと、軍労務に狩
りだされた。
米軍長期支配を見抜いた県民は、一九五一年には日本復帰期成会を結成し、沖
縄群島で、わずか三か月の間に全有権者の七二・二パーセントにのぼる一九万九
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〇〇〇名の署名を集め、これに反対したが、日本政府は沖縄を米軍に売り渡した。
沖縄の日はこの日を「屈辱の日」と呼んだ。沖縄を売り渡すことによって、日
本は生き長らえたのである。
五 講和条約締結後、へーグ陸戦法規は用いることが出来なくなり、代わって米軍
が根拠としたのは、平和条約第三条で米軍に与えられた「施政権」(暫定統治権)
であった。
(1) 講和条約発効直後一九五二年四月三〇日、極東軍総司令部は、「指令」を発
し米民政副長官は、米軍の必要とする財産を「できるだけ談合の上購入する」
ことが望ましく、これが出来ない時は「収用手続き」をとる事ができ、場合に
よっては、購入をなすまでの間これを「強制的に徴発したり借用することがで
きる」ととされた。(同指令二D)
(2) 布令九一号「契約権」
右指令の趣旨にそって最初にだされたのが、布令九一号「契約権」である。
同布令によれば、まず琉球政府行政主席が土地所有者と個々に土地賃貸借契約
を結ぶ権限と職務を有し、次に行政主席が契約を締結すれば、当該土地は同布
令の定めるところにより、自動的に米国政府に転貸されることになる。
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しかし、土地所有者の反対にあって契約することは出来なかった。
この布令は、契約期間を一九五〇年七月一日から二〇年間とされていた。
一九五二年一一月一日に公布された布令を一九五〇年に逆上らせたのは、当
時米軍は住民の要求におされて軍用地の使用料を支払う計画をたてており、そ
の始期が一九五〇年七月一日であったためである。
しかし、安い地代で二〇年の長期にわたって土地使用を認めることに地主の
同意をえらず、土地契約は殆ど失敗に終わった。
(3) 布令一〇九号「土地収用令」
布令九一号の失敗を受けて、米軍は極東軍総司令部「指令」に基づいて布令
一〇九号「土地収用令」を発した。
この布令によると、収用告知から三〇日以内に土地所有者は土地を米軍に譲
渡するか否かを回答しなければならない。拒否の理由が使用料に関するもので
あればその点について訴願が許されるが、そうでない時は三〇日の経過により
収用宣言が発せられ、土地に関する権利は米国に帰属する。しかも、右期間内
でも必要であれば直ちに立ち退き命令を発することが出来る。というものであっ
た。
適正手続保障など意にも介さない、まさに強権的土地強奪である。
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銘苅部落の土地収用では、収用告知書が村に送付された翌日には武装米兵に
より、土地強奪が行われている。まさに「銃剣とブルドーザー」による土地強
奪であった。
(4) 布告二六条「軍用地域内における不動産の使用に対する補償」
右布令一〇九号「土地収用令」は新規土地接収に用いられているが、講和条
約発前から使用している土地については、使用を正当化する根拠を欠いていた。
米軍は該土地が収用された一九五〇年七月一日および翌日から「黙契」によっ
て借地権を取得したというのである。
米軍の土地を保有する権利は何ものによっても永久に害されず、米国は自ら、
この権利を登記する権限が与えられる。土地所有権者は借地科については琉球
列島土地収用委員会に訴願することができる。
土地所有者との間に明示の契約はなくとも、「黙契」によって契約が成立し
たというまさに、ペテンである。これが堂々と民主主義を標榜するアメリカに
よって行われてきたのである。
(5) 布令一六四号「米合衆国土地収用令」
布告二六条・布令一〇九号はいずれも極めて強権的な土地強奪であり、武装
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米兵による「銃剣とブルドーザー」をもっての土地強奪であって、世論の総反
撃を受けて以後の土地接収が困難となった。
そこで、米軍が使用している土地の使用料として地価相当額を一括支払いし、
そのかわりに土地を無期限に使用するという「一括払い方式」を考え出した。
この方式は、一九五四年三月に米民政府から発表されるが、これが実行され
れば土地は永久に取り上げられることになる。
県民世論は猛然と反発し、琉球立法院は、四原則決議を行い、「アメリカ合
衆国による土地の買い上げまたは永久使用、地料の一括払い」に反対した。
県民の反対を受けて米下院軍事委員会はメルビン・プライス議員を団長とし
た「プライス調査団」を派遺した。
右調査団の発した所謂「プライス勧告」は、県民の意思を無視して、「無期
限に使用する土地については永代借地権を取得すること。これに対する補償は
一括払いが望ましい」というものであり、沖縄の世論はこれに激昂し、立法府・
行政府を巻き込んだ、「島ぐるみ闘争」に発展する。
今日の米軍用地撤去を求める県民の闘いに勝るとも劣らない、島ぐるみの闘
いであり、那覇高等学校には一〇万人が集まり「一括払い反対決起集会」が開
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催さされた。
布令一六四号「米合衆国土地収用令」は、このような反対運動が続くなかで
出された布令である。
「限定付土地保有権」「定期賃借権」「地役権」の三種類の権利内容を認め
ており、収用手続きは、布令一〇九号と大差のないものであった。
布告二六条・布令一〇九号を集大成し、これに「一括払方式」を盛り込んだ
ものであって、県民の反対は強く、軍用地をめぐる紛争は益々混迷を深めていっ
た。
(6) 布令二〇号「賃借権の取得について」
一九五八年七月一日に遡って米国の占有権限が認められる。占有権限の種類
は「不定期賃借権」と「五か年賃借権」の二種類である。「不定期賃借権」は
米国の必要とする期間いかなる制限もなしに使用できる賃借権であり、「五か
年賃借権」は、期間が五年間に限定された賃借権である。
琉球政府が土地所有者との間に契約し、契約が成立すれば、琉球政府が総括
賃貸借契約を締結して転貸するのを原則とするが、琉球政府が土地所有者との
契約に成功しなかった時は、高等弁務官が収用宣告書を提出して強制収用する
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ことが出来る。また、米国が緊急に使用する必要がある場合は、何時でも「即
時占有譲渡令」を発することが出来た。
この布令は、布令の総集編ともいうべきものであり、沖縄の復帰の日まで米
軍の土地使用に形式的根拠を与えた法令であった。
六 以上の法令はいずれも違法、不当な布令である。平和条約第三条によって米国
に与えられた「統治権」が即「収用権」となり、米軍は何らの法的根拠なく土地
を接収できるということが不当であることは論を待たない。また、形式的に布令
布告の形式を整えたとしても要するに、米軍が必要であれば、土地を接収するこ
とが出来るというものであって、適正手続は何ら保障されていない。「米軍権力
下での契約」は契約の名に値せず、「米軍の実力による使用」を合法化すること
にはならない。
七 日本政府は「復帰前の土地接収の経緯については日本政府の与り知らないこと
であって、これに対して、何らの責任を負わないとする。
しかし、沖縄群島住民の有権者の七二・二パーセントにあたる一九万九〇〇〇
名の反対を押し切って講和条約を締結し、沖縄を米軍に売り渡したのは日本政府
であり、沖縄を犠牲にして、日本は生き残ったのである。
復帰前の沖縄の法的地位については、議論のあるところであるが、昭和四〇年
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九月七日第二回沖縄問題政府閣僚協議会は、「サンフランシスコ条約により、沖
縄等の領土主権を放棄したものではなく、これに対して「潜在的主権」を有する。
日本国憲法は、観念的には同地域にも施行される。」との統一見解を示している。
昭和三一年六月二一日民印・同年六月二八日法務省発表によると、「国内法の
適用上、沖縄の住民は他の日本国民と何ら差別されるところはない。」・・「国
家は、外国人が国内に所有する土地を収用し、または使用しようとする場合、そ
の外国人がかかる処分によって被る損失を補うに足りる実質的補償をなすべき義
務があることは確立された国際法の一般原則である」「沖縄の住民の場合は・・
・・かれらが父祖以来定住する島々に、かれらの意思にかかわりなく合衆国の施
政が行われたのであって、日本政府としては在米日本人に対するよりもより以上
の重大な関心をもって沖縄の住民の保護の責に任じなければならない。」
としており、日本政府は、復帰前の米軍による土地強奪に対して、日本が現実に
主権を行使することが可能となった復帰時点において、まず米軍による違法な土
地強奪状態を回復し、地主に対してこれを返還すべき義務を負っていたのである。
八 復帰後、日本政府は、国際法規に反して強奪された土地を取り戻して県民に返
還すべき義務を負っていたのである。沖縄県民は、基地のない、平和な日本国憲
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法の下への復帰を願い、復帰闘争を闘ってきた。しかし、復帰した日本は、憲法
を守り、実践するのではなく、逆に米軍用地を提供するための土地強奪を行って
きたのである。
一九七二年五月一五日、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合
衆国との間の協定」(以下「沖縄返還協定」という。)により、沖縄の施政権は
米国から日本政府に返還された。
この日以降、沖縄の米軍基地は、本土の米軍基地と同様、安保条約第六条、日
米地位協定第二条によって日本政府から米国に提供されるものとなり、法的性格
は名目的には、日本本土と同一になった。
しかし、県土面積に対して基地の占める割合、密度、その機能、規模をみると
き、基地が沖縄県民に与える影響は本土の比ではない。
「諸悪の根源」といわれる基地、その基地に復帰を迎える沖縄県民は強く反対
し、その全面返還を求めた。
九 本土復帰は、これまで沖縄県民の被った権利侵害、生活破壊を解消するものと
期待した。ところが、日本政府は、沖縄返還協定第三条をもって、米軍に強奪さ
れた土地を復帰後も以前と変わりなく、継続使用することを認めた。
(1) 「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法津」
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復帰時点において,米軍に提供することになった軍用地が法的空白を持たな
いよう、また、自衛隊が米軍の肩代的に基地を使用することができるように
「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法津」(以下「公用地法」とい
う。)が強行採決によって制定された。
この法律は、米軍統治下における違法な土地強奪を追認するための法制であ
りしかも、暫定使用期間を五年という長期間認めるものであって、憲法にも反
する法律であった。
「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づ
く施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に
伴う土地等の使用等に関する特別措置法」(以下「米軍用地収用特別措法」と
いう。)附則第二条は、日本における講和条約後の米軍基地の継続使用を可能
にするための規定であるが、同規定によると、条約発効の日から九〇日以内に
継続使用する土地等の所在、種類、数量、使用期間をその所有者に通知し、六
か月を越えない限度において「一時使用」することができるとしていた。
本土においては六か月の限度で一時使用を認めたにすぎないにもかかわらず、
沖縄においては、五年の長期にわたって、土地使用を認めるというものであっ
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て明かに差別的取扱であった。
また、白衛隊にも土地提供を強制し、収用手続を欠き、しかも、土地権利者
の異議申立もない強制使用権を米軍ないし自衛隊に与えるものであり、防衛上
の必要性を前面に出して、県民の基本権を無視した違憲違法な新たな土地強奪
手続であった。
(2) 「地籍明確化法」
日本政府は沖縄返還後、五年もあれば全地主と契約を締結出来ると考えてい
たが、一九七七年一月一日現在でも四九〇名の未契約地主が存在した。
公用地法は一九七七年五月一四日で失効するため、土地強奪を継続するため
に「地籍明確化法」を制定し、同法付則六項によって「公用地法」の適用期間
を五年から一〇年に延長するとの暴挙に出た。右法令の制定は「暫定使用期間」
に間にあわず、同法が成立するまで四日間の「法的空白」を生じ、その間国は
不法占拠を継続した。「地籍明確化法」付則六項は実質的には土地収用法であ
りながら地権者の不服申立手続を認めず、当初、限時法として成立した「公用
地法」の暫定使用権を当初の倍の一〇年に延長したものであって、適正手続保
障を侵害し、適正かつ合理的な財産権の制限とは到底言えず、違憲無効な法律
であった。
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(3) 「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づ
く施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に
伴う土地等の使用等に関する特別措置法」(「米軍用地収用特措法」)の適用。
復帰一〇年目を迎え、日本政府は土地強奪の根拠法として米軍用地収用特措
法を適用する。
この法律が日本本土で適用されたのは一九五〇年代であって、一九六一年の
相模原住宅地区を最後に適用はなく、いわば冬眠状態となっていた法律であっ
た。
それが、二〇年後に沖縄において適用されることになる。
右法律による強制使用対象者は一五三名であった。
一九八二年、同法により、再び五年間の強制使用が認められることになる。
その後、同法を根拠として、一九八七年に一〇年の強制使用が、一九九二年
に五年間の強制使用がなされた。
復帰後今日まで、二〇年以上にわたって契約拒否地主の土地は「合法的」に
強奪され続けている。
戦後、米軍による接収からすると、五〇年以上にも及ぶ期間土地強奪が続い
ていることになるのである。
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一〇 契約強制の経緯(疎甲第五号証)
一九七二年、沖縄の日本復帰に際して、軍用地主は約二万七〇〇〇名存在し
た。
米軍による「銃剣とブルドーザー」により土地を強奪された住民が賃貸借契
約に応ずる理由はなく、前述の通りの強制収用手続きが行われていった。
しかし、日本政府は、その一方で様々な手段をもって「契約の強制」を行っ
ていった。
地代を一挙に六倍にする等の懐柔策をとる等したが、軍用地主のうち約三〇
〇〇名は契約拒否の意思を鮮明にしていった。
そのような状況の中で「権利と財産を守る軍用地主会」(反戦地主会)が結
成された。
これに対して、国は反戦地主の切り崩しに全力をあげる。
那覇防衛施設局は「本土出身と沖縄出身の職員をペーアにして夜討ち朝駆け
式の説得工作が試みられた。信念が強固で雄弁な地主は避けて、老人世帯など
弱い地主を重点的に訪問するといった狡猾で非常識な方法がやり方が多かった。
それはある場合には説得であり、ある場合には泣き落としであり、ある場合に
は脅迫であった。」(沖縄反戦地主、新埼盛暉)
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契約地主に対しては、協力謝礼金などの名目で軍用地料を上積みし、契約地
主に対する軍用地科の支払いは盆前に行うが、反戦地主の損失補償金は時期を
ずらせるなどの嫌がらせをおこなった。
基地内の一部遊休地を細切れ返還し、その際、反戦地主の土地だけではなく、
その周辺の契約地も併せて返還するという方式をとった。
そのため、返還予定の反戦地主の周辺の契約地主は反戦地主方を訪ね、「契
約に応じなければ周辺地主が迷惑をする」「このままでは県民どおしが血をみ
ることになる」といった、地主同士の間に泣き落としや脅迫による契約強要を
行う事例が相次いだ。
国は契約地主と反戦地主の間の対立をあおり、契約に追い込んでいったので
ある。
第四 本件土地に対する強奪の経緯と債務者による不法占拠
一 読谷村と基地
1 一九四五年四月一日、米軍は、読谷村渡具知海岸に上陸し、その日のうちに
村内の日本軍北飛行場を接収する。
さらに周辺地域の接収を行い、全村の八〇パーセントを接収するに至った。
まさに基地の中に村があるという状況となった。村民は強制移住させられ、収
用所に隔離される。
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一九四五年八月、日本の降伏により中北部の収用所にいた人々はそれぞれ自
分の村への帰還を始めるが、読谷村は、飛行場をはじめ、米軍基地が多かった
ために復帰は許されなかった。その後、村内の一部が開放されることになり、
村民は移動に先立ち読谷村建設隊を編成し、居住地域の整備をおこなった。
一九四六年一一月二〇日、第一次移動が開始され、村への復帰が始まる。し
かし五〇〇〇名が帰郷したが、二二か部落のうち、住民が帰還できたのは、波
平の一部と高志保の一部だけだったので、高志保以北の各字民は高志保に、波
平以南の各字民は波平に混成雑居して各字の開放を待つという生活が続いた。
人口密度は高く、困難な生活が続いた。その後、各部落に帰還していったが、
今なお軍用地に接収され、開放されず、旧部落に復帰出来ない地域も存在して
いる。
2 現在も読谷村の総面積三四・四七平方キロメートルのうち、四七・七六パー
セントにあたる一六・四六平方キロメートルが軍用地であり、村の発展を阻害
する元凶となっている。
広大な農地が接収され、農業が衰退し、軍作業に生活の糧を見いださざるを
得ない状況が続いた。
二 本件土地の接収状況(疎甲第一一号証)
l 本件土地は、波平前島(メージマ)といわれる地域であり、波平の本部落の
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はずれに位置している。波平在住者の内、二男、三男はこの地域に土地を譲り
受けて分家することが多かった。
本件土地も元は屋敷が立っていた場所である。
2 読谷村渡具知に上陸した米軍はその日の内に日本軍北飛行場を接収し、さら
に周辺地域を接収していった。
一九四六年波平への帰還が許された当時は、工作物はなく、黙認耕作地とし
て畑を作ることが出来ていたが、一九五二年ころには本件土地上に楚辺通信所
(象のオリ)が建設され、立ち入りは不可能となった。
3 その後、前述の通りの経緯で米軍による土地強奪を受け続けてきたのである。
三 日本復帰と、賃貸借契約の強制(疎甲第一一号証)
1 本件土地前所有者である知花昌助は、復帰に際して、軍用地として本件土地
を提供する事を拒否した。
読谷村民のうち、約一〇〇〇名、波平住民のうち、約六〇名が契約を拒否し、
土地の返還を求めて立ち上がった。
2 しかし、防衛施設局は、様々な嫌がらせや恫喝を加えながら、地主に対立を
持ち込み、賃貸借契約を強要していった。
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波平地区は、小さな字であって、昔ながらの村落共同体を構成している地域
である。
防衛施設局は、地主会の幹部に対して、細切れ返還をちらつかせたり、協力
金の支払いを申し入れたり等して契約強要をおこなっていった。しかし、それ
では契約にこぎつけないと見るや、今度は、地主の中に対立を持ち込んでいっ
た。
契約地主に対して、契約拒否地主(反戦地主)がいるので、周辺の契約地主
の土地も返還しなければならないとして、細切れ返還を申し入れるとともに、
実際に細切れ返還を実行し、土地の使用が出来ない状況になっている例を触れ
回った。契約地主も好んで契約している訳ではないが、農地を強奪され、農業
もできず、地代とわずから収入に頼らざるを得ない住民にとって、土地が細切
れ返還され、結局は使用出来ない状態になることは、死活問題であった。そこ
で、契約地主が契約拒否地主に対して、契約をするように求め、地域の会合等
でも相互に対立的感情が生ずるようになっていった。これは、住民がそのよう
な心境になったのではなく、防衛施設局が意図的に情報操作を行い、住民に分
断を持ち込むことで、契約強制を行わせたのである。そのような謀略は沖縄全
県で行われたが読谷村でも同様のことが行われたのである。
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波平の契約拒否地主は、このままでは部落内に対立が生じ、部落行事も不可
能となるとの判断から、止むなく、全員が一致して契約に応じることになった。
しかしその際も、契約を心から望んで締結するのではない事を示すために、軍
用地主会には入らず、波平軍用地主会という独自の交渉権をもった地主会を結
成した。
本件土地の前所有者知花昌助は、一九七六年に那覇防衛施設局との間に賃貸
借契約を締結するに至ったのである。
四 債権者による契約更新拒絶
1 本件土地賃貸借契約が、一九九六年三月三一日をもって、民法第六〇四条の
規定する賃借権の存続期間が満了することから、那覇防衛施設局は、地主から
の契約更新の取り付け作業を開始した。(疎甲第六号証)
那覇防衛施設局は、地主に対して、「土地建物等賃貸借契約予約締結依頼書」
を提示し、「土地建物等賃貸借契約予約締結同意書」なる文書か、軍用地主会
に契約締結の代理権を与えるとの文書かのいずれかをとっていった。
予約締結依頼書は、国にのみ予約完結権行使を認める内容になっており、地
代についても、具体的な金額を定めずに「予約完結時の適正な賃料額」とし、
契約内容も不明確な申し入れ書であった。
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しかも、これに対する「土地建物等賃貸借契約予約締結同意書」なる文書は、
右申し入れ書とは別の文書になっており、「申し越しのあった権について、異
議なく同意します。」との文書が記載されているのみであり、賃貸借予約契約
同意書とは到底読み取れない文書であった。
まるで、「詐欺商法」の手口同様の方法で賃貸借予約を取り付け、一端同意
書を提出すると、予約契約が成立したものと強弁し、地主の権利を侵奪していっ
た。
2 本件土地前所有者と国との間の貸借契約は、一九九六年三月三一日を持って
満了することから、債権者は国に対して、本件土地の賃貸借契約更新を拒絶す
る旨意思表示した。
債権者が契約更新を拒絶したのは、次の通りの事情によるものである。
3 債権者は、自己の所有地が、再び戦争に利用され、人殺しのために利用され
る事を拒否し、生活と生産の場に取り戻したいと願っている。
一九四五年四月一日、米軍は沖縄本島に上陸し、本格的な沖縄戦が開始され
た。日本は、沖縄を「日本の国体護持の捨て石」とした。鉄の暴風とよばれる
すさまじい闘いの中で、山野まで変えてしまったが、それにも増して人的被害
は甚大なものであった。
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米軍約一万二五〇〇名、日本軍は、他府県出身正規軍約六万五〇〇〇名、地
元出身兵約二万八〇〇〇名、戦闘協力者五万五〇○〇名、住民約九万五○〇〇
名といわれ、沖縄県民の死亡者は一五万円を越えており、当時の人口の約三分
の一が死亡したことになる。
本土決戦の時間かせぎ「捨て石」としての沖縄戦は住民を第一の犠牲とした。
狭い沖縄では生か死か浦虜かの選択の余地しかなかったが、一般市民を死に
追いやったものは、捕虜となって生き長らえるよりも、「日本人らしく死ね」
という公民化教育の結果であった。
戦闘の邪魔になる者に対する「集団自決」の強制、スパイ容疑を埋由とする
住民虐殺等が多数発生していく。
資科からみても、日本軍に直接殺害された者一二四名、スパイ容疑で殺され
た者五四名、虐待一七名、強姦一六名、食科強奪六〇件、濠追い出し一一六件
等となっている。これらは、被害者、目撃者が生き長らえて証言した数であり、
物言わぬ被害者の被害を考えるとまさに氷山の一角にすぎない。
債権者は、読谷村内の「集団自決」が行われたチビチリガマの遺族からの聞
き取り調査を行い、濠の前に遺族とともに、「世代を結ぶ平和の像」を建立し
た。
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軍隊と住民は共存することはできない。債権者は、土地を、生活と生産の場
に取り戻すため、契約更新を拒絶した。
五 債務者による不法占有とその認識。
1 本件土地賃貸借契約は、一九九六年三月三一日をもって、民法第六〇四条の
規定する賃借権の存続期間が満了し、契約は終了した。
債権者は、一九九五年一一月二二日、那覇防衛施設局に対して通告書を発し
て、契約更新拒絶を確認するとともに、期間満了後の土地返還を要求した。
(疎甲第七号証)
また、一九九六年三月一二日付内容証明郵便をもって、同年三月三一日の満
了をもって土地の返還を求めたが、那覇防衛施設局は、期間満了後も使用する
必要があるとの回答書を送付し、返遠等を行わないことを明確にした。(疎甲
第八・九号証)
2 債務者は、右契約存続期間満了によって契約が終了する事を熟知し、これを
認めたうえで、契約更新を求めたが、債権者がこれを拒絶したため、米軍用地
収用特措法による強制使用手続を次の通り行っている。
(1) 一九九五年四月一七日、那覇防衛施設局長は、内閣総理大臣に対して、本
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件土地について、米軍用地収用特措法第四条の規定に基づき使用認定申請を
した。(疎甲第四号証)
(2) これに先立つ同三月三日には、同法第四条一項に規定する意見書の提出を
債権者に求めている。
(3) 右使用認定申請に基づいて、同五月九日付けをもって内閣総理大臣により、
軍用地収用特措法第五条に基づく使用の認定がなされ、告示がなされている。
(4) さらにその後、米軍用地収用特措法第三六条第一項の規定により、土地調
書、物件調書を作成するため、同条第二項の規定により、土地・物件調書へ
の立会押印を依頼した。
(5) 債権者はこれを拒否し、読谷村村長も署名を拒否し、沖縄県知事も署名を
拒否したため、職務執行命令訴訟が提起された。
3 以上の経緯をみるならば、債務者は、一九九六年三月三一日をもって、本件
土地を占有使用する権限を喪失し、本日四月一日以降、本件土地を占有使用す
ることは何らの法的根拠もない、違法占有であることを熟知しているのである。
五 本件占拠と立ち入り妨害の違法性について。
1 銃剣とブルドーザーで土地を強奪した米軍ですら法的正当性を得る事に腐心
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しているが、債務者は、何らのためらいもなく、不法占拠を継続し、土地強奪
を継続し地主である債権者の立ち入りを妨害している。
事情を理解しえない賃借人が契約解除後も解除物件に居すわるという事態と
は全く異なるのである。国家はまず、正義を行うべきである。何らの法的根拠
もなく、国民の財産を収奪することが出来るという法律上の理屈は存在しない。
国が行うことであれば、何でも出来るというのであれば、これはまさに憲法の
死滅以外のなにものでもない。
2 一九七七年五月一五日、前述の国の不法占拠に際して、当時の真田秀夫内閣
法制局長は政府統一見解として、
「期間は過ぎているので、権限はない。従って、返還義務がある。五月一五
日以降も返還するまでは国は管理する義務があり権限があり、必要な行為を適
法にすることができる。この基準に従って、適法な行為を行っている。」
との見解を示している。
しかし、地主の意思に反して、管理する義務と権限があるとの法解釈は、ど
のような民法の教科書を見てもあり得ない見解である。
今回、債務者は、地主自らの立ち入りすらも、拒否し、妨害している。
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通信基地という性格から秘密性が強く求められるというが、これまで本件地
域内には簡単に立ち入ることが出来、本件土地に立ち入った者は多い。その際
に秘密性を主張して直ちに追い出されたという例はない。
3 債権者は契約期限切れを前にして、突然二重のフエンスを張りめぐらし、総
数一五〇〇名にものぼる警察機動隊を導入して、異常な厳重警備を行っている。
右警備が開始された、三月二四日の「のどか」な風景と比較すると、債務者
は、意図的に緊張状態を作りだし、債権者の立ち入り妨害の条件を創作してい
ると言わざるを得ない。
4 また、前述の空白の四日間の際の一九七七年五月一五日、参議院内閣委員会
で、当時の三原防衛庁長官は、
「基地の使用についても、演習、訓練など、積極的な使用をしてはならない、
所有者が自分の土地を見たいと言った場合は丁重にやれと伝えている」として
地主の土地立ち入りを認める見解を示している。
現に多くの土地について立ち入りが実行されているのである。
今回の不法占拠に際して、債権者を土地に立ち入る事を拒否する根拠は何ら
存在しないのである。
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5 国が違法を違法と知りながら、国家権力を背景として国民に対峙し、国民の
権利を奪い、人権を破壊することは、憲法と民主主義の破壊であり、死滅であ
る。
一九九六年三月二七日衆議院内閣委員会において、梶山官房長官は、継続使
用する根拠として、
(1) 過去二〇年間土地所有者との間に賃貸借契約に基づき適法適正に使用して
きた。
(2) 日米安保条約上の基地提供義務や日本と極東の平和と安全に同通信所は必
要。
(3) 米軍用地収用特措に基づく緊急使用など引き続き適法に使用するための手
続きを進めている。
(4) 期限切れ後も土池所存者には賃料相当の金額を提供して損害を生じさせな
い措置をとる。
という四点を示しているとの報道がなされている。(疎甲第一〇号証)
しかし、契約期間が満了し、債務者にはこれを占有使用し、または米軍に提
供する何らの法的権限が現に存在していないことは認めており、継続使用の理
由は全く根拠のないものである。
条約上の義務は、国家間を規律するものであって、そのことによって、当然
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に私人の権利義務を拘束する理由はない。
収用手続きを進めているとしても、地主に対する賠償をしたとしても、現在
の占有が違法であることを何ら治癒することにはならない。
結局、債務者の理屈は、日本とアメリカ合衆国の安全のためには、沖縄は違
法な権利侵害を受けても文句を言ってはいけない。日本のために犠牲になれ、
日本の安全のためには沖縄には憲法の適用も人権保障もなくても構わないと主
張しているにすぎない。日本の国体護持のために捨て石にされた沖縄戦。日本
の独立のために再び捨て石にされたサンフランシスコ講和条約。復帰後も続く、
米軍基地に土地を提供するための土地接収。
人口も面積も日本全土の一%にも満たない沖縄に全国の米軍専用基地の七五
%が集中し、沖縄本島の二〇%が基地で占められ、嘉手納町では町土面積の八
三%、読村では町土面積の四八%が基地にとられている状況。復帰に際して取
り決められた返還計画も遅々として進まない現状。その下で日常的に生じてい
る基地被害、基地犯罪。
安保条約のためには、沖縄に憲法の適用がなくともよい、基本的人権として
の財産権の侵害があっても許されると宣言しているにすぎない。
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第五 仮処分の必要性
一 沖縄に米軍基地の存在は許されない
1 日本国憲法下において米軍基地の存在は認められない。
本件楚辺通信基地を含む在沖米軍基地は、安保条約第六条及ぴ地位協定にも
とづきその存在が許されているところのものである。
しかし、日本国憲法は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、われ
らの安全と生存を保持しようと決意」し(前文)、「国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使」を永久に放棄し(第九条一項)、「陸海空軍
その他の戦力」を保持せず「国の交戦権」を認めないこととした(九条二項)。
かかる絶対平和主義をその基本原理とする日本国憲法下においては、安保条
約及び地位協定は違憲の条約・協定である。即ち、日本国憲法の平和主義は、
軍事力による紛争の防止・解決は、それが仮に自国の防衛のためであっても、
いっさい行わないことをその規範内容としているのであり、国連軍であろうが
米軍であろうか、軍事力による紛争の防止・解決のためのものである以上、憲
法上はいっさい認められないのである。また、在日米軍は、日本政府とアメリ
カ合衆国政府との合意(日米安全保障条約)によってはじめて日本の領域内に
おいて駐留が認められているのであるから、日本政府の意思によって日本の領
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域内において軍隊の存在を認めることに他ならないのである。かかる事態を憲
法は容認しないところのものである。
したがって、日本国憲法上、安保条約及びそれに基づく地位協定の存在を認
めることはできず、右条約及び協定に基づく米軍の存在は許されない。
2 米軍基地の存在は沖縄県民の平和的生存権その他の基本的人権を侵害する
平和的生存権、即ち、個々の国民が人間としての生存と尊厳を維持し、自由
と幸福を求めて生命の危険に脅かされることなく平穏な社会生活を営むことを、
戦争行為によって実質的に阻害されない権利は、憲法前文に理念的・文言的な
基礎をおき、憲法九条によって制度的に保障され、直接的には憲法一三条前段
の個人の尊厳に不可欠な具体的権利として保障されている。
国民に保障された平和的生存権が、米軍基地の存在によって脅かされている
ことは、以下の事件・事故から明らかである。
(1) 一九五五年九月三日、米兵により暴行・殺害・遺棄された由美子ちゃん事
件。
(2) 一九五九年六月三〇日、死者一七名重軽傷者一二一名を出した宮森小学校
へのジェット機墜落事故。
(3) 一九六三年二月二八日、青信号で歩道を横断中の国場英夫君轢殺事件。
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(4) 一九六五年六月一一日、落下傘を取り付けたトレーラーの落下により棚原
隆子ちゃんが死亡した事件。
(5) 一九六八年一一月、ベトナムへ出撃していたB五二の墜落事件。
(6) 一九九三年二月の海軍兵による強姦致傷事件。
(7) 一九九三年四月の金武町の海兵隊員による殺人事件。
(8) 一九九四年七月の海軍兵による強盗事件。
(9) 一九九五年五月の海兵隊員による日本人女性殺害事件。
(10) 一九九五年九月の三名の米兵による少女拉致・暴行事件。
これらは数多くの事件・事故のごく一部にしかすぎない。沖縄県民は、日々、
事故・事件の危倹にさらされ、その平和的生存権が脅かされているのである。
3 在沖米軍は日米安全保障条約そのものに違反する
仮に安保条約が合憲だとしても、米軍の存在及びその活動は安保条約の目的
すら逸脱したものとなっている。
安保条約第六条は、米軍に対する施設・区域提供の目的を、日本国の安全に
寄与し、極東における国際平和と安全維持に寄与する為としている。
一九六〇年二月二六日の日本政府の統一見解によれば、右にいう「極東」と
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は、「大体においてフィリピン以北並びに日本及びその周辺地域で韓国及び中
華民国の支配下にある地域もこれに含まれる」というものであった。
しかるに、ベトナム戦争において、嘉手納飛行場からB五二爆撃機が北爆の
ために出動し、那覇軍港からは戦闘用車輌が積み出されるなど在沖米軍基地は
後方支援基地としてフルにその機能を発揮した。
また、一九九一年一月一七日に始まった湾岸戦争に際しては、海兵隊をはじ
め約八〇〇〇名が沖縄から出動した。
即ち、現実の米軍の行動範囲は極東の範囲を大きく超え、ペルシャ湾に至る
地域まで拡大しているのである。
さらに、日米安保の「再定義」にともない、アメリカの「陸軍、空軍、海軍、
海兵隊の在日基地は、アジア・太平洋における米国の最前線の防衛戦を支えて
いる。これらの軍隊は、遠くペルシャ湾に達する広範囲の局地的、地域的、さ
らには超地域的な緊急事態に対処する用意がある」とされ(一九九五年三月一
日、米国防総省「日米間の安全保障についての報告」)、もはや日本の防衛、
極東の平和と安全維持を大きく逸脱し、アメリカの世界戦略の前進基地と化し
ている。
二 本件土地を返還することにより生ずる不都合はない。
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1 楚辺通信基地の機能と活動内容
楚辺通信基地は、キャンプ・ハンザーと呼ばれ、読谷村字波平、座喜味、上
地にあり、五三万五〇〇〇平方メートルの敷地内に通称「象のオリ」と呼ばれ
る直径二〇〇メートル、高さ二八メートルの鉄塔及び約一〇〇本の棒状アンテ
ナを有する施設であって、在沖米艦隊活動司令部/海軍航空施設隊が管理し、
海軍通信保安活動隊ハンザー部隊、国防省特別代表部沖縄事務所第一分遣隊が
使用している。
ウレン・ウェーバー・アンテナを有し、主に二メガヘルツ〜三〇メガヘルツ
の短波を、アンテナを円形に配置することで全方位の電波を傍受するとともに、
受信電波のずれをコンピューターで解析し発信源の方位特定、さらには暗号の
解読をも行っている。
アンテナの配置は三重構造となっており、一番内側の二八メートルのスクリー
ンは背後の電波をシャットアウトするもので、アンテナではない。二番目が短
波低域部を受信する棒状アンテナ、一番外側が短波広域部を傍受する捧状アン
テナとなっている。
2 電子工学的支障はない。
債権者所有地上のアンテナを撤去した場合の影響について、軍事評論家西沢
優氏は、短波(HF)低域部は、きわめて軽微か全くないとしており、短波
(HF)高域部については、アンテナ配列の完全状態に一定のダメージを生じ
ても実際の作戦運用上の支障は生じないと断言している。
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即ち、短波(HF)高域部は、ほぼ真東方向の電波測定において、短波(H
F)広域帯の信号が真東方向からやってくるときにそれを真っ先にとらえるア
ンテナが二、三本存在しないため精密度を欠くことになるが、約一〇〇度の扇
型の円周にあるアンテナ群の同一信号時間差受信から電波到来方向を算出する
仕組みになっているウレン・ウェーバー配列の場合、他の約二七、八本のアン
テナによって方位測定が可能なのである。
3 軍事作戦上の支障もない。
債権者が所有する本件土地約二三〇平方メートルは、五三万五〇〇〇平方メー
トルの敷地を有する楚辺通信基地の東側のごく一部であり、さらに、一九九一
年の冷戦崩壊、ソ連解体以後、楚辺通信基地の対象地域は、朝鮮半島、台湾海
峡、南沙諸島方向など沖縄の西側、北東側、南西側であると考えられることな
どからは、債権者所有地上のアンテナを撤去したとしても、その軍事作戦上の
支障は生じないのである。(以上、疎甲一三号証)
したがって、不法占拠をあえてしてまでも存続させる必要性は全くないもの
である。
4 返還合意の対象となっていること
日米間においては、読谷補助飛行場の移転及び楚辺通信基地の既存米軍施設・
区域への移設について合意ができているのである。(疎甲一四号証)
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また、沖縄県のアクションプログラムによると、楚辺通信基地は第二期(二
〇一〇年)までの返還対象基地とされている(疎甲一五号証)。
これらは楚辺通信基地の軍事的重要性の低下を間接的ながら示すものである。
三 本件土地に債権者らが立入ることにより生ずる不都合もない。
債権者は、工作物収去・土地明渡とともに、本件土地への立入妨害の禁止を求
めているものであるが、収去・明渡によって何らの影響もない以上、単なる人の
立入は何ら問題のない行為であり、債務者においてこれを拒む理由は認められな
い。
四 債権者にとっての必要性
1 本件土地を返遠することがせひとも必要である。
本件土地は、一九四五年四月一日の、米軍の沖縄上陸と同時に接収され、一
九五二年頃以降は全く立ち入ることのできない所有地となっている。
債権者は、本件土地が返還された後、家を建てるか、農地として耕作する計
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画を有している。また、本件土地の債権者の前の所有者であり債権者の父でも
ある知花昌助(七九歳)は、本件土地に帰ることを強く希望しており、契約更
新により二〇年間さらに期間が延長されるならば、もはや生きて自分の土地に
は帰れなくなってしまうであろう。
直ちに、一刻も早く、債権者に返還する必要がある。(疎甲一一号証)
2 本件土地に立入ることの必要性
そもそも、土地の所有者が自己の土地に立ち入るについて何らの制約がない
はずのものであるが、加えて、本件土地は三月三一日限りにおいて契約の期限
切れとなっており、所有者たる債権者は、自由に使用・変更・処分が許される
ものである。
さらに、本件土地はそもそもは債権者の叔父知花平次郎の所有地であり、本
日四月一日、五一年前の沖縄戦で死亡した知花平次郎の命日でもある。ぜひ、
本件土地において供養を行いたいとの希望を債権者は持っており、そのために
も本件土地への立入を必要とする。(疎甲一一号証)
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疎明資料
一 疎甲第一号証 登記簿謄本 写し で、本件土地が債権者の所有である事を疎
明する。
二 同第二号証 写真撮影報告書 で 本件土地および施設の状況を疎明する。
三 同第三号証 沖縄の基地(沖縄タイムス社基地取材班編)で、本件基地の概要
を疎明する。
四 同第四号証 本件土地使用認定に関する那覇防衛施設局作成の文書で、本件土
地に
の一乃至一五 につき、強制使用手続きが行われていることを疎明する。
の一は、使用認定申請書
の一二は、使用認定書
その他は、、その附属手続に関する書面である。
五 同第五号証 沖縄反戦地主(新埼盛暉著)で反戦地主に対する契約強要の経緯
を疎明する。
六 同第六号証 那覇防衛施設局からの予約契約締結依頼書および、同意書 写し
で、詐欺的な契約取り付けが行われていった経緯を疎明する。
七 同第七号証 債権者作成の通知書 で契約更新拒絶と土地の返還を求めたこと
を疎明する。
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八 同第八号証 債権者代理人作成の内容証明郵便 写し で 債権者代理人から
那覇防衛施設局に対する、期限後の土地返還と立ち入りを求めたこ
とを疎明する。
九 同第九号証 那覇防衛施設局からの回答書 写し で 右申し入れに対して、
何ら回答することなく、契約期間満了後も使用する旨の回答をして
いることを疎明する。
一〇 同第一〇号証リ 新聞記事 写し で、債務者は、土地明け渡しも、地主の立入
も、いずれも認めないという政府見解を疎明する。
一一 同第一一号証 債権者作成の陳述書 で、債権者主張事実 全般を疎明する。
一二 同第二一号証 沖縄における米軍の犯罪(福地曠昭著)で、米軍の犯罪の実態
を疎明する。
一三 同第一三号証 西沢優作成の鑑定書で、本件対象土地に設置された棒状アンテ
ナを撤去しても、全体としての施設の機能に支障をきたさないこ
とを疎明する。
---------- 改ページ--------41
一四 同第一四号証 朝日新間一月三一日朝刊 写しで、本件土地を含む基地返還計
画について疎明する。
一五 同第一五号証 朝日新間三月一二日朝刊 写しで、本件土地を含む基地返還計
画について疎明する
添付書類
一 疎号証 各写し
二 登記簿謄本 一通
三 評価証明書 一通
四 委任状 一通
---------- 改ページ--------42
一九九六年四月一日
那覇地方裁判所 御中
右債権者代理人
弁護士 伊志嶺 善三
同 阿波根 昌秀
島袋 勝也
前田 武行
三宅 俊司
松島 暁
鷲見 賢一郎
瀬野 俊之
中村 博則
---------- 改ページ--------43
当 事 者 目 録
沖縄県中頭郡読谷村字波平 一七四番地
債権者 知 花 昌 一
右債権者
訴 訟 代 理 人
別紙代理人目録記載の通り。
東京都千代田区霞が関一丁目一番一号
債務者 国
右代表者
法務大臣 長 尾 立 子
---------- 改ページ--------44
代 理 人 目 録
那覇市泉崎二丁目二番五号
那覇民主診療所ビル四階
(電話 〇九八−八五三−三二八一)
右補助参加申立代理人
弁護士 阿 波 根 昌 秀
沖縄県浦添市字仲間一五〇二番地一
同 伊 志 嶺 善 三
那覇市樋川一丁目一六番三八号
パークサイドビル二階
同 島 袋 勝 也
那覇市識名一丁目一七番三〇号
同 前 田 武 行
那覇市泉崎二丁目一番四
大建ハーバービューマンション九〇二
同 三 宅 俊 司
---------- 改ページ--------45
東京都立川市錦町一丁目一七番五
三多摩法律事務所
同 吉 田 健 一
東京都新宿区四谷一丁目二番地
伊藤ビル六階
同 神 田 高
東京都杉並区高円寺南三丁目一七番地一一 ユニ企画ビル
代々木総合法律事務所
同 鷲 見 賢 一 郎
東京都港区赤坂二丁目二番二一号 永田町法曹ビル
東京合同法律事務所
同 松 島 暁
神奈川県横浜市戸塚区戸塚町三九六一番地 大沢ビル
横浜みなみ法律事務所
同 稲 生 義 隆
---------- 改ページ--------46
東京都文京区本郷四丁目二番四号 富沢ビル
東京本郷合同法律事務所
同 内 藤 功
東京都八王子市横山町二丁目一二番
八王子合同法律事務所
同 関 島 保 雄
東京都新宿区住吉町一丁目一一番 OSKビル
都民中央法律事務所
同 瀬 野 俊 之
東京都千代田区有楽町一丁目六番八号 松井ビル
旬法法律事務所
同 野 澤 裕 昭
東京都新宿区四谷一丁目二番地 伊藤ビル
東京法律事務所
同 小 部 正 治
大阪府大阪市北区西天満四丁目三番一号 トモエマリオンビル一〇階
---------- 改ページ--------47
光風総合法律事務所
同 海 川 道 郎
大阪府大阪市北区西天満六丁目九番一三号 西天満ウエストビル四階
同 石 川 元 也
大阪府大阪市北区西天満四丁目一番四号 第三大阪弁護士ビル四階
同 太 田 隆 徳
大阪府大阪市北区西天満四丁目七番一号 北ビル一号館六階六〇二号
大阪共同法律事務所
同 森 下 弘
大阪府大阪市中央区石町一丁目一番七号 永田ビル四階
大阪中央法律事務所
同 梅 田 章 二
大阪府大阪市北区西天満四丁目六番四号 堂島野村ビル七階
同 伊 賀 興 一
大阪府大阪市中央区北浜三丁目一番一四号 ユニ淀屋橋ビル一〇階
---------- 改ページ--------48
淀屋橋総合法律事務所
同 斉 藤 浩
大阪府堺市中河原町一丁目四番二七号 小西ビル六階
堺法律事務所
同 西 晃
大阪府大阪市天王寺区生玉町二−四丁 平田ビル五階
大阪法律事務所
同 長 野 真 一 浪
福岡県久留米市六ッ門町二一番地七 赤司ビル二階
同 下 東 信 三
大分県大分市中島西二丁目一番五号 大分東京生命館二階
大分共同法律事務所
同 岡 村 正 淳
福岡県福岡市中央区唐人町一丁目五番一号 モンデンビル四階
福岡第一法律事務所
同 諫 山 博
---------- 改ページ--------49
福岡県直方市新町三丁目三番四二号
同 吉 村 拓
福岡県大牟田市不知火町二丁目一番八号 宮地ビル二階
不知火合同法律事務所
同 中 野 和 信
福岡県北九州市小倉北区田町一八番一六 丸源金田ビル三階
北九州第一法律事務所
同 中 村 博 則
福岡県福岡市中央区赤坂町一丁目一三番三八号 丸喜ビル三階
同 小 泉 幸 雄
福岡県福岡市中央区赤坂町一丁目一〇番七号 スコーレ赤坂六〇二号
津田・松岡法律事務所
同 松 岡 肇
福岡県大牟田市不知火町二丁目一番八号 宮地ビル二階
不知火合同法律事務所
---------- 改ページ--------50
同 長 尾 廣 久
福岡県北九州市小倉北区田町一八番一六 丸源金田ビル三階
北九州第一法律事務所
同 秋 月 慎 一
福岡県福岡市中央区大名二丁目四番三八号
チサンマンション天神 二一二
同 田 中 利 美
福岡県福岡市中央区大名二丁目七番一一号
あおぞら法律事務所
同 前 田 豊
東京都中央区銀座四丁目一〇番一二号 銀座サマリヤビル七〇一号
同 儀 同 保
大阪府大阪市北区西天満三丁目六番三五号 高橋ビル南五号館
松本法律事務所
同 丹 羽 雅 雄
大阪府大阪市北区西天満三丁目六番三五号 高橋ビル南五号館
---------- 改ページ--------51
松本法律事務所
同 大 川 一 夫
大阪府大阪市北区西天満四丁目八番二号 北ビル本館六階六〇三
同 中 北 龍 太 郎
大阪府大阪市北区西天満四丁目六番三号 第五大阪弁護士ビル四階
同 井 上 二 郎
大阪府大阪市北区西天満四丁目六番三号 第五大阪弁護士ビル四階
同 中 島 光 孝
大阪府大阪市北区西天満五丁目一〇番一六号 植月ビル三階
同 松 本 剛
大阪府大阪市北区西天満三丁目六番一一号 自由堂ビル二階
同 上 原 康 夫
埼玉県所沢市緑区四丁目二番二号 岩井堂ビル二階
同 大 久 保 賢 一
東京都豊島区西池袋二丁目三〇番一〇号 ライオンビル四階
---------- 改ページ--------52
城北法律事務所
同 河 内 謙 策
東京都北区王子本町一丁目一八番一号
東京北法律事務所
同 青 木 護
千葉県松戸市松戸一二四一番地 和興ビル三階
東葛総合法律事務所
同 端 慶 山 茂
岐阜県岐阜市七陣町一五番地五 七陣ビル三・四階
岐阜合同法律事務所
同 仲 松 正 人
福岡県福岡市中央区赤坂一丁目一六番七号 ゼブラビル四階
同 八 尋 八 郎
---------- 改ページ--------53
物 件 目 録
所在 中頭郡読谷村字波平前原
地番 五六七番
地目 宅地
地籍 二三六・三七平方米
runner@jca.or.jp