チョムスキー・インタビュー

マイケル・アルバートによるノーム・チョムスキーへのインタビュー
ZNet原文
2003年4月13日


(1) 米国がイラクを侵略したのはどうしてだと思いますか。

それに対する答えは推測の域を出ないものにならざるを得ませんし、政策立案者たちには様々な異なる動機があるのかも知れません。けれども、ブッシュ=パウエルたちが語った答えを巡っては自信を持って判断することができます。彼らが語った理由を真面目に取ることは全くできないと。彼らはそのことを、わざわざ私たちに理解できるようにしました。昨年9月、戦争の太鼓が鳴らされ始めたとき以来、自己矛盾を積み重ねることによって。ある時には、「ただ一つの問題」はイラクが武装解除するかどうかというものでした。今日のバージョン(4月12日)では、「我々は、イラクが大量破壊兵器を有していることについて強く確信している。この戦争は、過去も現在も、それを巡ってのものである」といった感じです。国連による武装解除という茶番を通してこれが口実とされてきました。けれども、これを真面目に取るのは常に容易ではありませんでした。UNMOVICはイラクを武装解除するのに優れた活動をしており、武装解除が目的だったならば、それを続けることができたのです。けれども、それを議論する必要はないとされます。というのも、武装解除が「ただ一つの問題」であると厳粛に宣言された翌日には、それは全く目的ではないと発表しているのですから。イラク中を探してポケット・ナイフ一つ見つからなかったとしても、「体制変更」に献身する米国は、イラクをいずれにせよ侵略していたと説明がなされます。さらに翌日には、それも目的ではなかったと言うことになります。ですから、アゾレス・サミットで、ブッシュ=ブレアは、国連に対して最後通告を発し、サダムと彼の部下のギャング達がイラクを放棄しても米英はイラクを侵略すると宣言したのです。ですから「体制変更」という理由も十分ではないことになります。またその翌日には、目的は世界の「民主主義」だと教えられます。幅広い様々な口実が、聞き手と状況によって使われました。正気の人ならば、誰も、この言いわけ芝居を真面目には取らないでしょう。

これらの説明に共通する一つの点は、いずれにせよ、米国がイラクを統制するということです。1991年、サダム・フセインを追放する可能性のあった蜂起を、サダム・フセインが残虐に弾圧することを、米国は承認しました。というのも、ワシントンにとって「世界中で最高の」事態は、「サダム・フセインなしのイラク鉄拳軍事政権」(サダムはその頃までには困惑の対象でしたから)であり、そうした政権が、米国の支援と許可のもとでそれまでサダムがしていたように、イラクを「鉄拳」で支配することが望ましかったからです(これはニューヨーク・タイムズ紙の主任外交担当トマス・フリードマンの言葉です)。このときの蜂起は、ワシントンに対して十分従順でないイラク人の手に政権を握らせてしまう可能性があったのです。その後に続けられた致命的な経済制裁により、イラク社会は破壊され、独裁者の権力が強化され、人々は生き延びるためにサダム・フセインの(非常に効率的な)生活必需品配布体制に依存せざるを得なくなりました。こうして、経済制裁により、大衆蜂起の可能性が無くなったのです。ちなみに、マルコスやデュバリエ、チャウセスク、モブツ、スハルトなどをはじめとする長いリストに名を連ねる、ワシントンの現政権関係者たちが強固に支持してきたほかの怪物たちは、大衆蜂起により追放されました。こうした中には、サダム・フセインと同じ程度に残酷で独裁的な者たちも結構いたのです。経済制裁がなかったならば、同様にして、サダムも追放されていたかも知れません。この点は、長年にわたり、イラクをよく知るデニス・ハリデーやハンス・フォン・スポネックといった西洋人が指摘してきたことです(けれども、こうした人々の発言を読むためには、カナダや英国などに行かなくてはなりません)。とはいえ、イラク内部での体制追放も、米国にとっては受け入れがたいものでした。そうすると、イラク人がイラクを掌握することになるからです。アゾレス・サミットはこの立場を繰り返したに過ぎません。

誰がイラクを支配するかという問題は、論争の焦点になっています。米国の支援を受けてきたイラク反対派は、「戦後」イラクでは国連が中核的役割を果たすべきであると主張し、「再建」や政府を米国が統制するという案を拒絶しています(西洋で最も尊敬されている非宗教的な人物であり、米国民主主義基金とつながりのあるレイス・クッバの言葉)。シーア派の中心人物の一人であるイラク・イスラム革命最高評議会のムハンマド・ハキム師も、つい最近、メディアに対して、「我々は、この戦争がイラクに米国の覇権を打ち立てようと意図するものだと理解している」と述べ、米国を「解放軍ではなく占領軍」と見なしている。彼は、国連が選挙を監視しなくてはならないと述べ、「外国の軍隊はイラクから撤退し」、イラクの人々が問題を扱うようにすべきであると述べている。

米国政策立案者たちは、全く異なる考えを持っている。これらの人々は、イラクに雇われ政府を押しつけなくてはならないと考えている。別の場所、特に米国が1世紀にわたり覇権を有してきた中米とカリブ地域でのやり方に従ってである。ブッシュ一世の国家安全保障顧問だったブレント・スコウクロフトは、この分かり切ったことを次のように繰り返している。「イラクで我々が行う最初の選挙で、急進派が勝利する結果になったら何が起きるだろう?何をすべきだろう?もちろん、我々は、急進派にイラクを乗っ取らせはしない」。

同じことは中東地域中で言えます。最近の調査では、モロッコからレバノンから湾岸まで、人々の95%が、イスラム教の指導者たちに政府でより大きな役割を求めていることを示しています。そしてやはり95%の人々が、この地域における米国の唯一の関心は、石油を統制しイスラエルを強化することにあると信じています。ワシントンに対する敵意はかつてないほど高まっており、そうした中で、ワシントンが政策を大きく変えて、真に民主的な選挙を許容し、結果を尊重するなどということは、控えめに言っても、おとぎ話的です。

質問に戻ると、侵略の理由の一つが、世界第二の石油埋蔵に対する統制を手にすることにあるのは確かです。これにより、世界支配において米国はよりいっそう力を持つことになり、マイケル・クレアが長期的な目標として述べた「世界経済の喉輪」を維持することになります。クレアは、これが戦争の第一の動機だと見なしています。けれども、タイミングについては、これでは説明できません。何故、侵略が行われたのが今だったのでしょうか。

戦争の太鼓が鳴らされ始めたのは、2002年9月です。そして、政府・メディアのプロパガンダは、大成功を収めました。非常にすぐに、大多数の米国人が、イラクは米国に対して差し迫った脅威となっていると信じるに至り、さらにイラクが2001年9月11日の米国攻撃に関与しているとすら信じたのです(2001年9月11日直後はそう考えている人は3%に過ぎませんでした)。そして、新たな攻撃を計画しているとも。これらの考えが、計画されていた戦争に対する支持と大きく相関していたことは、驚きではありません。この考えは、米国だけのものでした。サダム・フセインによる侵略を受けたことがあるクウェートやイランでさえ、サダムは嫌われていますが、恐れてはいないのです。これらの国は、イラクが中東地域で最も軍事的に弱い国であることを知っており、この数年、イラクを地域の体制の中に再編入しようとしてきたのです。米国はこれに強硬に反対してきました。けれども、極めて効果的なプロパガンダにより、米国の人々の見解は、世界の意見から遙か離れたところに行ってしまったのです。驚くほどの大成功です。

この、9月のプロパガンダは2つの大切な出来事と機を一にしていました。一つは中間選挙キャンペーンです。ブッシュ政権のキャンペーン・マネージャーであるカール・ローブは、共和党は国家安全保障の問題について「国民の信を問う」べきであると述べています。というのも、米国の人々は、「アメリカを防衛する・・・という仕事については、共和党の方が良い仕事をすると信頼している」からというのです。選挙の話題の中心が社会問題とか経済問題であるならば、ブッシュ政権に勝ち目がないと言うのは、政治的な天才でなくても分かることです。ですから、我々の生存を脅かす巨大な脅威というお話をでっち上げ、それに対して奇跡的に我々の強力な指導者がそれを何とか打倒することができたというストーリーを造り上げる必要があります。選挙で、この戦略はかろうじてうまく行きました。世論調査では、投票者は自分たちの優先事項を維持していましたが、仕事や年金、社会福祉等といったことへの憂慮を、治安のために我慢したのです。大統領選挙にあたっても、これと似たようなことが必要になります。そして、こうした方略は、現在の政治中枢を占める者たちにとっては、第二の天性のようなものです。これらの者たちは、ほとんどが、レーガン=ブッシュ政権時代の最も反動的な部門からリサイクルされて登場した人々であり、自分たちが12年間にわたって米国を運営できたことを知っているのです。その間、パニック・ボタンを定期的に押し続けることにより、人々のほとんどが反対していた国内政策を実施してきました。そのパニック・ボタンとは、たとえば、リビアが「我々を世界から追放しようとしている」(レーガン)とか、グレナダの空軍基地からロシア人たちが我々を爆撃するだとか、ニカラグアが「テキサス州アーリントンからたった2日間のところに迫っていて」、西半球を制圧しようと『わが闘争』を手にしているとか、黒人の犯罪者が我々の妹を今にも強姦しそうだとか(1988年の大統領キャンペーンでウィリ・ホートンが述べた言葉)、ヒスパニックの麻薬商人が我々を破壊しようとしているとか、こうしたことが延々と繰り返されたのです。

ブッシュ政権が代弁する幅の狭い権力セクターが、人々の大きな反対を押し切って反動的な国内政策を続けようとするならば、政治権力を握っていることは、極めて重要な問題になります。できればこうした反動的政策を制度化して、剥奪されたものを再建出来ないようにしておきたがっているのです。

2002年9月には、別のことも起きました。政府が国家安全保障戦略を発表したのです。これは、米国海外政策エリートも含め、世界中の多くの人々を身震いさせました。この戦略には多くの前例がありましたが、新たな地平を開いてもいました。戦後世界で、初めて、強力な一国家が、声高にそしてはっきりと、自分は世界を武力で支配することを意図している、それも永遠に、そして目に付いた潜在的脅威はすべて粉砕すると宣言したのです。新聞などでは、これはしばしば「先制戦争」ドクトリンと呼ばれています。けれども、これは決定的に誤りです。このドクトリンは先制の遙か先を行っているものです。ときに、より正確に、「予防戦争」ドクトリンと呼ばれることがあります。これでさえ、このドクトリンに対しては、過少表現です。どんなに遠くにあるわずかな軍事的脅威も「予防する」必要があるというだけでなく、実際の「脅威」が単に米国への「服従拒否」だけであっても、自分たちにとっての「脅威」を自分たちの意のままに捏造すると主張しているのです。歴史に注目する人々ならば、「服従拒否の成功」が、過去において、武力行使を正当化してきたことを知っていることでしょう。

あるドクトリンを宣言するときには、それを真面目に意図しているのだということを示すために何らかの行動を取らなくてはなりません。そうすれば、そのドクトリンが、評論家たちがまじめくさって言うように、新たな「国際関係の規範」となることが出来るからです。

必要となるのは、「例示的性質」を備えた戦争である、と、ハーバードの中東史家であるロジャー・オーウェンは、イラク攻撃の理由を論ずる際に、指摘しています。例示的行動により、ほかの国々に、留意しなくてはならない教訓を教えることができるのです。

では、何故イラクだったのでしょうか?実験台に使われる対象は、いくつかの重要な性質を備えていなくてはなりません。自らを防衛する力が無いことが必要であり、また、重要な国でなくてはなりません。新たなドクトリンを示すためにブルンディを侵略してもあまり意味はありません。イラクは、この二つの要件を完全に備えています。重要性は明らかです。また、必要となる軍事的弱さについても。もともと、イラクの軍事力は知れたものでしたし、特に1990年代を通して、イラク社会が生き延びる際まで追いやられていた間に、その軍事力のかなりが解除されていたのです。イラクの軍事費支出は、イラクの10分の1しか人口のないクウェートの3分の1程度で、中東地域のほかの国々と比べると、遙かに小規模でした。特に、地域的超大国となり、現在では米国の海外軍事基地と化しているイスラエルと比べるならば。そして、侵略軍は圧倒的な軍事力を擁していただけでなく、長年にわたる衛星情報や上空飛行により行動をガイドするための包括的な情報を有していました。つい最近では、U−2機による上空飛行が武装解除の口実で使われましたが、このデータがワシントンに直接送られていたことは確実です。

ですから、世界を武力で支配するという新たなドクトリンを「国際関係の規範」として確立するために、イラクは「例示的行動」として最適な標的だったのです。国家安全保障戦略の草案作成に関わったある高官は、メディアに対し、この戦略の公開は、「イラクが最初のテストであるが、それが最後ではない、というメッセージ」であったと述べています。ニューヨーク・タイムズ紙は、「イラクは、先制政策というこの実験を進めるためのペトリ皿となっていた」と伝えています。普段通り、政策を指す言葉を誤っていますが、それ以外の点では正確です。

こうした要因すべてが、イラク侵略の十分な理由となっています。そして、これらはまた、なぜ戦争が、計画段階から、世界中の圧倒的多数の人々(それには米国も含まれます、特に、米国に固有の恐怖という要因を除外するならば)に反対されたかを説明する一助にもなっています。ちなみにまた、経済エリートや外交政策エリートたちの結構な部分も、この戦争に反対しました。尋常ではない事態です。エリートたちは、冒険主義的振舞いが、自分たちの利益、さらには生存にまでも、高くつくのではないかと、正しくも、恐れたのです。米国のこうした政策が、他国に抑止力を開発させることになるという点はよく知られています。その抑止力は、大量破壊兵器かも知れませんし、重大なテロの信頼性の高い脅威かも知れませんし、北朝鮮のようにソウルを破壊できる大量の砲弾のような通常兵器であるかも知れません。機能していた世界秩序の体制の名残を全て完全にシュレッダーにかけることにより、ブッシュ政権は、世界に向けて、武力以外の何も問題とはならないと教え込んでいるのです。そして米国こそが武力による威嚇を占有していると。とはいえ、ほかのものたちは、それをそう長いこと我慢しそうにありません。そして、我慢しない人々の中に、この極めて不吉な流れを逆転させるためには最も有利な立場にある米国の人々も含まれると、期待しましょう。

(2) イラクの都市で、喜びを表す人々がいます。これは、遡及的に、反戦の論理の価値を下げるものでしょうか。

むしろ私は喜びの反応がこれほど限定されていて、こんなに遅れてやってきたことに驚いています。分別のある人ならば、誰でも、独裁者の追放を歓迎するでしょう。そして、破滅的な経済制裁の終焉をも。イラクの人々は、確実にそれらを歓迎するはずです。けれども、戦争に反対する人々は、少なくとも私が知る限りでは、これまでずっと、独裁と経済制裁を終わらせることを支持して来ました。反戦運動が、国を破壊する経済制裁、ワシントンの現政権内部の者たちが支持してきた他の野蛮な殺人者と同様の運命をサダムに辿らせる内部での革命の可能性を無くす経済制裁に反対してきたのは、そのためです。反戦運動は、米国政府ではなくイラクの人々がイラクを運営すべきだと主張してきました。そして今も主張しています。あるいは、主張すべきです。この点について、大きな影響を与えることができるはずです。戦争に反対する人々はまた、攻撃が引き起こすだろう人道的帰結に対して関心が全く払われていないことにぞっとした気持ちを感じてきました。また、イラク侵略が「テストケース」であるような不吉な戦略についても。基本的な問題が残っています。(1)誰がイラクを運営するのか。イラクの人々か、テキサス州クロフォードの一党か。(2)アメリカの人々は、この、かろうじて政治権力の座についている幅の狭い反動セクターの者たちに、国内的・国際的政策を実行させることを許容するのか?

(3) 大量破壊兵器(WMD)は見つかっていません。これは、ブッシュの戦争に対する正当化を遡及的に無効にするものでしょうか?

その口実を真面目に取る場合に限っては、そうでしょう。フライシャーの最近の発言が示すように、政府は、大量破壊兵器が理由だったふりを今もしています。何か見つけるならば−あまりあり得そうにありませんが−、それは、戦争が正当化するものとして大々的に吹聴されるでしょう。発見できなければ、いつも通り、ただ単に、この問題は「消え去る」だけです。

(4) もし大量破壊兵器が見つかり、検証されるならば、それは遡及的に、反戦活動を無効にするものでしょうか?

それは論理的にあり得ません。大量破壊兵器を巡る政策と見解は、そのときに知られているあるいは納得できる程度に考えられることにもとづいて決定されるのであり、のちに発見されるものにもとづいて行われるのではありません。これは最も基本的なことです。

(5) この侵略の結果、イラクで民主主義が実現されるでしょうか?

「民主主義」という言葉で何を意味するかによるでしょう。ブッシュのPRチームは、実質がない限りは、ある種の形式的な民主主義をイラクに適用したいと考えると思います。けれども、彼らが多数派であるシーア派の本当の声を認めることは想像し難いものです。シーア派は、イランとの緊密な関係を確立しようとするでしょう。これは、ブッシュ一味が最もいやがることです。あるいは、第二の多数派であるクルド人が本当に望むことを認めたとしましょう。連邦制の中での一定の自治を求める可能性が高いことになります。これは、地域の米国覇権の主要な拠点であるトルコにとって呪うべき事態です。トルコ政府が、最近、国民の95%の意見を聞き入れ米国に抵抗したという犯罪に対するヒステリックな反応 −これは米国のエリートたちが民主主義を情熱的に嫌悪していることを示すさらなる例の一つで、また、分別のある人が政府のレトリックをまともに取らない理由を示すものですが− に理解を誤るべきではありません。中東地域を通して同じことです。実際に機能する民主主義は、米国の覇権という目標と矛盾する結果になります。1世紀以上にわたり、我々の「裏庭」たる中米・カリブ地域が示してきた通りです。

(6) 世界中の政府は、イラク侵略からどのようなメッセージを受け取ったでしょう。また、より広い含蓄としてはどのようなものがあるでしょう。

ブッシュ政権が、その国家安全保障戦略を真面目に受け取らせる意図があるというメッセージを受け取ったと思います。今回の「テストケース」が示すように、というわけです。米国は世界を武力で支配しようと意図しています。武力は、米国が圧倒的に優位に立つ要素だからです。そして、永遠に武力で支配しようとするでしょう。より特定的なメッセージは、イラク・北朝鮮のケースに劇的に示されているのですが、米国の攻撃をかわしたければ、もっともらしい抑止力を手にしておくほうがよいというものです。エリートの中では、今回の結果として、米国政府に対する恐怖と憎しみにより、大量破壊兵器と様々なかたちのテロが拡散するだろうというと広く考えられています。米国政府は、イラク侵略前から既に、世界平和に対する最大の脅威と見なされていたのですから。今日では、これは大問題です。暴力手段の規模を考えるならば、平和を巡る問題は直ちに種の生存の問題に関係してくるのですから。

(7) この戦争に対する道筋をつけ、それを正当化し、そして議論の範囲を狭く限定したことに関する、米国のメディア・エスタブリッシュメントの役割はどのようなものでしょうか。

メディアは、米国の治安に対するイラクの脅威、2001年9月11日の米国攻撃に対するイラクの関与、その他のテロについて、政府のプロパガンダを無批判に伝えました。メッセージをさらに自ら拡大したメディアもあります。ただ単にそのまま伝えただけのメディアもあります。世論に対するその効果は、これまでもしばしばありましたが、驚く程のものです。議論は、いつも通り、「功利主義的な観点」に限定されました。米国政府は、国内で受け入れられる程度の費用で計画を実行できるのか、というものです。戦争が始まってからは、ホームチームに対する恥知らずな応援ばかりでした。世界のほとんどを仰天させました。

(8) ブッシュとその一味が、お望みのアジェンダを追求できるとして、次のアジェンダは、大まかに行って、何でしょうか。

次の標的はシリアかイランであると公に宣言しています。そのためには、イラクに、恐らくは、強力な軍事基地が必要になります。イラクで有意義な民主主義が実現しそうにないもう一つの理由がここにあります。しばらく前から、米国とその同盟国(トルコ、イスラエルなど)が、イランを縮小させる手段を徐々にとってきたという信頼できる報告があります。けれども、別の標的もあり得ます。アンデス地域にも可能性があります。アンデス地域には、石油を含む大規模な資源があります。そして混迷の中にあり、危険な大衆運動があって、それを制圧できていません。米国の軍事基地が取り囲んでおり、既に米軍が地上に投入されています。他の場所も思い浮かべることができます。

(9) ブッシュとその一味がやりたいことをやるにあたり、障害となるものは何でしょうか。そして、今後、どのような障害が生まれるでしょうか。

第一の障害は国内的なものです。そして、それは我々次第です。

(10) 反戦運動についてどんな印象を持ちましたか。そして、反戦運動は、今、どんなアジェンダを立てればよいでしょうか。

国内での反戦運動は、その規模においても献身においても全く前例がないものです。以前にも述べた通りです。そして、こうした問題について米国で過去40年間見てきた人にとって、それは、全く明らかです。私が思うに、現在反戦運動が採用すべきアジェンダは、イラクの人々がイラクを運営するようにすることです。そして、20年にわたり米国がイラクに対してしてきたこと(サダム・フセインを支援してきたこと、戦争、そして戦争よりも恐らくは遙かに大きな損害と死をもたらした経済制裁)について大規模な賠償を支払わせるよにすることです。そして、そうした誠実さを期待するのが無理であれば、少なくとも、イラクの人々が自分たちの決定に基づき使うような大規模な支援が必要です。それは、ハリバートンやベクテルに米国の納税者が与える援助のようなものとは違うものです。もう一つとても大切なのは、安全保障戦略で宣言され、「ペトリ皿」で実行された、極めて危険な政策にブレーキをかけることです。それと関連して、戦争の帰結として楽しそうに予期されている武器販売によるボロ儲けを阻止するために真面目な努力をつぎ込むことです。この武器売却は、世界をさらに忌まわしい危険な場所にすることに貢献します。けれども、これは始まりに過ぎません。反戦運動は、世界的な正義を求める運動と堅く結びつく必要があります。後者は、正しくも、さらに遠大な目標を持っています。

(11) イラク侵略とコーポレート・グローバリゼーションの関係についてはどう思いますか。また、反コーポレート・グローバリゼーション運動と平和運動の関係については。

イラク侵略は、コーポレート・グローバリゼーションの中枢から強く反対されました。1月にダボスで開催された世界経済フォーラムでは、反対があまりに強かったため、パウエルは戦争の理由を提出しようとしたときに、実際、大声で反対の声を黙らせなくてはならなかったほどです。そして、とてもはっきりと、誰も追従しなくても −お粗末なブレアは別ですが− 米国は「リード」を取ると宣言したのです。世界規模の正義と平和運動とは、その目的においてとても緊密に関係していますから、あまり言うことはありません。しかしながら、私たちは、政策立案者たちも、それらの関係に注目しています。私たちは自分たちの方法でそれをしなくてはなりません。政策立案者たちは、自分たちが構想する「グローバリゼーション」が順調に進めば、「慢性的な金融不安」(主に貧困層に対して打撃となる成長のさらなる低下を意味します)が起こり、「また、経済的格差が広がる」(経済的格差が収束するという技術的な意味でのグローバリゼーションから見ると、グローバリゼーションの後退)と述べています。さらに、「経済停滞の深化と政治的不安定、文化的疎外は、民族的、イデオロギー的、宗教的過激主義を生みだし、また、暴力を生みだす」と述べています。暴力の多くは米国に向けられるだろうとも。つまりさらなるテロです。軍事戦略家たちも、同様の考えを持っています。米国の軍事支出が急増している理由付けのかなりはここにあります。その一つには、世界中が阻止しようとしている宇宙の軍事化があります。けれども、そうした事態を阻止する第一の責任を担っている米国人の目から、こうした問題が隠されている限りは、希望は大きくありません。昨年10月の重大な出来事のいくつかが米国では報道すらされなかった理由はここにあると思います。たとえば、国連で、生物兵器を禁止する1925年のジュネーブ条約再確認を求めた際、米国だけが(イスラエルとともに)反対票を投じたこと、同様に、1967年の宇宙条約における、我々全員を殺害してしまうような攻撃兵器を含め、宇宙の軍事利用を禁止を強化しようと言うもう一つの決議にも、米国だけが反対したことなどです。

いつものことですが、対抗のアジェンダは、世界で何が起きているか知ろうとすることから始まり、次いで、それについて何かすることになります。私たち米国人は、他のどこよりも、よくできるのですから。私たちのような特権と力、自由を持っている人々は、したがって責任も負っている人々は、あまりいません。これもまた、自明のことだと思います。

益岡賢 2003年4月15日

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