クルド人難民申請者の強制送還

2005年1月20日


当ページは時事的なニュースを提供する意図で運営しているわけではありませんし、日本の入管・法務省によるクルド人難民申請者に対する無法な仕打ちについては様々な情報がウェブ上で提供されていますが、個人的な経路で関係もあるため、簡単にまとめます。

2005年1月17日品川の東京入管に拘束されたアフメット・カザンキランさんと息子のラマザンさんは、手錠をはめられてその日のうちに成田空港に移送され、18日の飛行機でトルコに強制送還されました。二人に同行した日本の入管職員がイスタンブール空港で二人をトルコ警察に直接引き渡しました。二人は一夜をイスタンブールの警察署で過ごしたあと別々に釈放され、ラマザンは釈放後、メディアの前で、トルコのクルド人問題について非常にはっきりした発言をしたため、極めて危険な状況に置かれていると家族は心配しています。とりわけ、メディアや国際的な支援者の注意が途切れたときは危険な状況になります。

サダム・フセインによるハラブジャでのクルド人虐殺が(今でもその実態は完全に明らかにはなっていないようですし毒ガス兵器をサダム・フセインが得たのは米国の支援もあったからですが)米国の不法なイラク侵略準備の際に喧伝された陰であまり伝えられていませんが、トルコのクルド人も大規模かつ強硬な弾圧を被ってきました。1990年代にはトルコ東南部クルド人が暮らす地域で数百の村々が破壊され、今も弾圧は続いています。これらについては、中川喜与志『クルド人とクルディスタン』(南方新社)他、この2年ほどで新書を含めいくつかの解説書がが出版されていますので、それをご覧下さい。

カザンキランさんたちは、ドーガンさんとともに2004年夏青山のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)前で座り込みを行なっていたクルド人家族です。カザンキランさん一家はUNHCRのマンデイト難民に指定されていました。そうした中での日本政府による強制送還は、収容した翌日に送還するという異例の速度とともに、前例のないものです。

これに対してUNHCRは「深く憂慮」し、今回の強制送還は「国際法のもとでの日本の義務に反する」との声明を発表しています。

日本の法務省は、これまでも、難民申請者の家族に関する調査をトルコ政府と協力して行うなど(これはたとえて言えばナチスドイツを逃れて日本に難民申請したユダヤ人の情報をナチス政府に通告しドイツに残された親族の「調査」を行うというのと同じです)、国際法上の義務を破る行為を平然と行なってきました。法務省はこのときも今回も「問題ない」と居直っています。

率直に言って、完全に無法な振舞いを入管・法務省は強行したことになります。

難民申請者は犯罪者ではありませんが、自ら無法ぶりを発揮する入管・法務省はあたかも難民申請者を犯罪者であるかのように扱い、非常に非人間的に扱っています(これについては、たとえば「ひとつの地獄からもう一つの地獄「日本」へ」をご覧下さい)。

二家族やジャマルさんを支援するサイトが様々な情報を提供しています。是非参照して下さい。

今回の法務省・入管の措置に抗議したりまた送還された二人の身の安全を求め残された家族の安全な第三国への移住を求めたりするための行動を以下にご案内します。 よろしければできるだけ情報を広めて下さい。また、お知り合いの議員やメディア等にも働きかけて下さいますようお願いいたします。

益岡賢 2005年1月20日

一つ上へ] [トップ・ページ